誰とも話さずに終わる日がある
司法書士という仕事は、人と接する職業のようでいて、実のところ書類とだけ向き合う日も少なくありません。朝、事務所の鍵を開け、電気をつけ、パソコンを立ち上げる。机の上には未処理の書類が積み上がり、それを前にして黙々と作業を進める。電話が鳴らない日もあり、そのまま誰とも会話せずに日が暮れる。そんな日は、自分がこの世界から忘れられてしまったような気持ちになるのです。
机の上には書類の山だけがある
司法書士の業務といえば、登記や相続に関する書類の山。どの書類も、間違いがあってはならない重い責任を伴います。気を抜けばすぐにトラブルになりかねず、神経を張り詰めたまま一日が終わることもあります。机の上に広げられた書類を前に、ふと「この山、いつ崩れるんだろう」と思うことも。書類が減っていくのは嬉しいけれど、その分孤独も増していく気がして、複雑な気持ちになります。
印鑑の押し忘れを防ぐために神経をすり減らす
印鑑一つの押し忘れが、手続きのやり直しに繋がるのがこの世界の怖さです。あれだけ確認したはずなのに、法務局からの電話一本で冷や汗が出ることもあります。私の場合、寝る前に「印鑑押したっけ?」と思い出してしまい、眠れなくなる夜もあります。完璧を求められる世界で、完璧でい続けるのは簡単ではありません。でも、誰も代わりはいないのです。
内容証明を出した瞬間だけ感じる“存在感”
内容証明郵便を発送する瞬間、ほんの少しだけ自分の存在意義を感じます。封筒に差出人の名前を書くとき、たしかに自分の名前がこの手続きに刻まれていると思えるからです。けれどそれも束の間。郵便局を出た瞬間にはまた、ただの“町の司法書士”に戻っていきます。誰にも知られず、誰にも気づかれず、今日もまた一通の書類が片付いた。それがこの仕事のリアルです。
電話の音にビクッとする自分がいる
事務所にいると、電話の音が唯一の「外との接点」になります。にもかかわらず、電話が鳴ると反射的に身構えてしまうのです。おそらく、電話の内容が厄介な案件であることが多いため、条件反射のようになっているのでしょう。電話に出る前の1秒間で、脳内では「クレームか?急ぎか?トラブルか?」とあらゆる可能性が駆け巡ります。人と話すことは嫌いじゃないのに、不思議なものです。
かかってこないと不安になる矛盾
電話が鳴らないとき、「もしかして仕事が減ってるんじゃないか」という不安に襲われます。かといって、鳴れば鳴ったで「また面倒な案件かも」と身構える。この矛盾した感情に、日々振り回されている気がします。まるで恋愛のようだなと思うことすらあります。期待して待つのに、来たら困る。誰とも付き合っていないくせに、電話との駆け引きに疲れてしまうのです。
かかってくると面倒に感じてしまう本音
正直なところ、仕事の電話はほとんどが「今すぐ何とかしてほしい」案件です。登記の締切が迫っていたり、感情的な相談が続いたり。そのたびに自分の予定が崩れていきます。「いま、それ言う?」と内心思っていても、声には出せません。電話の向こうには必死な人がいて、自分がその矢面に立っている現実。やっぱり司法書士って、地味だけど責任だけは派手に重い仕事です。
事務員さんのありがたさを痛感する瞬間
たった一人でも、信頼できる事務員さんがいるだけで、業務の負担は大きく違います。以前、一人で事務所を回していた時期がありましたが、書類作成から郵送、来客対応まで全てを自分でこなすのは正直無理がありました。今では、事務員さんがいてくれることで、「人と働いている」という感覚を取り戻せています。たまに雑談するだけで、孤独が少し和らぐのです。
たった一人いるかいないかで天と地の差
一人で全てを抱え込んでいた時代には、毎日が戦いでした。特に、朝から複数件の登記案件を処理しつつ、法務局への提出準備をして、合間に電話も受けるとなると、心の余裕が一切なくなっていきます。今は事務員さんが書類の下準備をしてくれたり、郵便物をまとめてくれるだけでも、本当に救われています。人間って、ひとりだとやっぱり弱い生き物ですね。
ひとり事務所だったあの頃の地獄
一番つらかったのは、忙しさと孤独が同時に押し寄せてくる感覚です。昼食を取る時間もなく、コンビニで買ったパンを机の上で立ったまま食べながら電話応対する日々。「こんな働き方で大丈夫か」と思いつつ、止まると不安になる自分もいて、結局走り続けてしまう。心も体もすり減っていったあの時期が、いま思い返してもいちばんきつかったです。
「あの書類どこですか?」の声に救われる
事務員さんに「先生、あの契約書ってどこにありますか?」と聞かれる瞬間が、実は嬉しかったりします。誰かが自分を頼ってくれている、必要としてくれている。その事実に、ふと安心できるのです。一人きりの時は、誰からも何も聞かれないまま終わる日もありました。だからこそ、たとえ些細なやり取りでも、人と関わっているという実感が、救いになるんだと思います。
それでも任せきれないもどかしさ
信頼していても、やっぱりすべてを任せるのは難しいと感じてしまいます。特に、登記関係の書類や裁判所提出の書面など、ミスが許されないものに関しては、どうしても自分の手で最終チェックをしてしまう。信じたいのに信じきれない、この感情が続く限り、本当の意味でチームにはなれないのかもしれない。それでも、任せたい。任せて楽になりたい。それが本音です。
結局、細かいことは自分でやってしまう
たとえば郵便の発送日一つでも、「これ、ちゃんと今日出したかな?」と気になってしまい、確認しに行くことがあります。任せたのに、任せきれない。結果として、自分で二重チェックしてしまう。そんな自分が嫌になることもあります。でも、過去に一度だけ手続きミスが起きたときのトラウマがあるから、つい過剰に確認してしまう。信用とは、簡単に回復できるものじゃないんですね。
信じたいけど、責任の重さが怖い
この仕事は、最終的な責任をすべて自分が負う立場にあります。だからこそ、「信じて任せたのに」では済まされないことが多い。もし何かあれば、自分の名前で処分や苦情が来る。そう考えると、どうしても疑ってしまう。責任を一人で背負う重さ。それに耐えきれないとき、「もう辞めたいな」と思う自分が、心の片隅にいるのです。