一人で抱え込むことが日常になっていた
気づけば、誰にも相談せずに1週間が過ぎていた。司法書士という職業柄、相談を受ける側になることは多いが、自分のことを誰かに話す機会はほとんどない。独身で、地方の小さな事務所を一人で切り盛りしている身としては、日々の業務に追われて「自分の気持ちを整理する暇」なんてものはそもそも存在しない。事務員の彼女も気を遣ってくれているが、仕事の話を越えてまで雑談を交わせる関係ではないのだ。
「大丈夫」と言うしかなかった毎日
毎日、何度も口にしている「大丈夫です」が、だんだん嘘っぽく感じてくる。心の中では「全然大丈夫じゃないのにな」と思いながら、依頼者の前では笑顔で対応し続ける。人から見たら冷静沈着に見えるかもしれないが、心の奥ではどんどん感情が溜まっていく感じがする。相談されるたび、自分は誰に相談すればいいんだろうという虚しさが積もっていく。
愚痴をこぼせる人すら思い浮かばない
一緒に酒を飲んでくだを巻くような友人も、最近は遠ざかってしまった。学生時代の野球部の仲間とも、気づけば年賀状のやり取りすらなくなっていた。そもそも、仕事の話なんて、同業者でもなければ通じないことが多い。だからこそ愚痴をこぼす相手すら思い浮かばなくなっていた。気を使わせるくらいなら黙っていた方がマシ、そう思ってしまう自分がいる。
気づいたら感情の出し方を忘れていた
誰にも頼らないでいると、気づけば感情の出し方すら忘れていく。怒ることも泣くことも減った。ただ淡々と、仕事をこなして帰ってくるだけの日々。週末も予定はなく、スーパーで割引のお惣菜を買って一人で食べる。テレビをつけても音がうるさく感じて、すぐに消す。そんな日常が、何年も続いている。
なぜ人に相談できなくなったのか
「相談すること」が下手になったのか、それともそもそも得意ではなかったのか。昔はもう少し、気楽に話せる人がいたはずだ。なのに今、相談という行為にハードルを感じるのは、年齢や立場のせいだけではないと思っている。自分が自分にブレーキをかけているような感覚だ。
元野球部的な「我慢」が染みついてる
中学高校と野球部に所属していた頃、「弱音を吐くな」「痛くても走れ」「チームのために自分を殺せ」といった精神論が当たり前だった。もちろん昭和の部活の話だが、それが今でも無意識に染みついている。「人に迷惑をかけるな」「黙ってやれ」そんな価値観が、自分の中に根強く残っているせいで、誰かに頼ることがとにかく下手だ。
専門職だからこそ弱さを見せづらい
司法書士として依頼者の信頼を得るには、冷静であること、的確であることが求められる。だからこそ、ちょっとした弱音を吐いたら「この人、大丈夫かな」と思われてしまうんじゃないかという不安がある。結局、相談できる人間関係そのものが築きにくい環境にいるのだと、最近ようやく気づいた。
聞かれることはあっても聞けない立場
相談される機会は多い。相続の話、登記の話、家族の問題、借金の悩み。聞き役になることには慣れている。だけど逆に、自分のことを「聞いてくれる人」を探すのは難しい。立場上、どうしても上下関係ができてしまうし、相談する側になること自体に抵抗がある。気づけば、聞くことはできても、話すことができない人間になっていた。
司法書士は孤独って誰も教えてくれなかった
資格取得の勉強をしていた頃、「やりがい」や「独立性」ばかりが強調されていた。誰も「孤独だよ」とは教えてくれなかった。いざ実務に入って、現場で一人で判断を迫られる場面の多さに愕然とした。職員がいても、最終判断は自分。責任を分け合える人がいないというのは、思っていた以上に堪える。
相談できない日々が生んだもの
相談できないからこそ、自分の中で解決しようとする癖がついた。最初はそれでよかった。しかし、それがいつしか「自分を責める」方向に傾いていった。
どんどん自分に厳しくなっていく
「もっとできたんじゃないか」「あれは判断ミスだったかも」「なんでこんなことで悩んでるんだ」…頭の中で自分を責める言葉が止まらなくなる。誰かに話していたら、少しは緩和されたかもしれないのに、それすらしないから、全部を一人で抱え込んでしまう。気づけば、誰よりも自分が自分に厳しくなっていた。
優しさの裏にある自己否定
依頼者や職員に対してはできる限り丁寧に接している。だけど、それは裏を返せば「自分には厳しくして当然」という思い込みの裏返しだった。優しさと自己犠牲の境界が曖昧になり、自分のケアを完全に後回しにしてしまっていたのだ。
人を気遣う分自分には冷たい
「○○さん、いつもありがとうございます」と伝えるのは得意でも、「自分はよく頑張ってる」と認めるのはとても難しい。人には労いの言葉をかけられるのに、自分には一言も言わない。そのギャップが、じわじわと心をむしばんでいく。
「愚痴ばっかりの自分」にも嫌気が差す
たまにSNSでつぶやいたりしても、あとで消してしまう。愚痴を言ってる自分にすら、嫌気が差してしまうからだ。誰かに聞いてほしい、でも迷惑をかけたくない。そんな気持ちがぐるぐると回って、結局また何も言えなくなる。
それでも立ち止まった日の話
ある日、仕事で失敗し、夜遅くまで落ち込んでいた。事務員の彼女が一言、「先生も人間ですから」と言ってくれた。その言葉に、涙が出そうになった。
事務員の一言に救われた瞬間
その日初めて、自分がどれだけ張り詰めていたかに気づいた。誰にも相談できなかったからこそ、小さな一言にここまで救われるのだと思った。優しさは、派手な言葉でなくても届く。
「誰か」と話せたことの大きさ
本音を言えたことで、少しだけ肩の力が抜けた。それからは、月に一度、仕事の話とは関係ない雑談の時間を職場で取るようにしている。ちょっとしたことでいい。話す相手がいることが、こんなにも違うのだと実感した。
相談相手がいないならどうするか
誰にも相談できない状況は、すぐに変わらないかもしれない。でも、自分なりにできることもある。
紙に書くだけでも意外と効果がある
最近は、朝に3行だけ日記を書くようにしている。「眠い」「疲れた」「でもやるしかない」とか、そんなことでいい。書いているうちに、自分の感情に気づけるようになってきた。
仕事仲間を頼ることは負けじゃない
同業者の飲み会や研修会に顔を出すことが増えた。そこで他の司法書士さんと話してみて、「あ、みんな同じように悩んでるんだな」とわかって少し安心した。話すことで、自分を責める時間が少しずつ減ってきた。
同業者とのゆるいつながりがヒントになる
無理に親しくなる必要はない。でも、困ったときに「こういうときってどうしてますか?」と聞ける相手がいるだけで、心はずいぶんと軽くなる。
元依頼者とのちょっとした会話に救われることも
たまに「また先生にお願いしようと思って」と連絡をくれる依頼者がいる。そんな一言が、思っている以上に励みになる。自分が役に立っていると思えることは、孤独を和らげてくれる。
自分を許せるようになるまで
結局のところ、一番必要なのは「自分への許し」だと思う。相談できなくてもいい。できない自分を責めないこと。それが一歩目なのだ。
相談できない自分を否定しない
「相談できない自分」を責めるより、「よくここまで頑張ってきた」と認めてやることにした。そのほうが、次に誰かに話す勇気が出てくる。
独身でも頼れる自分でいたいと思えた
パートナーはいない。家に帰っても誰もいない。でも、そんな自分でも、自分自身を支える存在になれたらいい。ちょっとずつ、自分にも優しくできるようになりたい。