笑って流せない自分が嫌になる瞬間
気軽なノリが苦手だと、日常の些細なやりとりすら地雷になり得ます。周囲は冗談のつもりで言ったつもりでも、こちらとしてはその言葉が一晩中ぐるぐる頭の中を巡ることがあるんです。とくに地方で事務所を構えていると、仕事だけでなく近所付き合いや業界内のつながりなど、社交的な態度が求められる場面が多く、そのたびに「もっと気楽に振る舞えたら」と自分を責めてしまう夜が増えていきます。
飲み会での「軽口」が心に刺さる
地元の士業の集まりや業界の飲み会では、「軽いノリ」がある意味で社交の通貨のようになっていて、それに乗れないと居場所がなくなる気がしてしまいます。ある時、同業者から「独身なんて気楽でいいじゃん」と笑いながら言われたことがありました。向こうに悪気はなかったのでしょうが、自分にはその言葉が妙に刺さって、帰宅後に一人で酒を飲みながら悶々と考え込んでしまいました。
周囲の空気を壊したくないというプレッシャー
気軽な一言にも過敏に反応してしまう自分に気づくたび、「空気を読まないと」とプレッシャーを感じます。その場で笑顔を作ってやり過ごすものの、内心は全然笑えていません。翌朝になると、「あのときあんなリアクションをしてしまったけど、変に思われたかな」とまた自分を責めるというループ。空気を壊したくない一心で我慢し続けた結果、自分の本音を押し殺してばかりの会話が積み重なっていくのです。
「気にしすぎ」と言われるつらさ
何気ない言葉を引きずっていると、「そんなの気にしすぎだよ」と言われがちです。でも、その「気にしすぎ」と言われること自体が、さらに傷になります。感情のスイッチが他人より敏感なのは、自分でもわかっている。でも、直せないし、直したくもない。そうやって言い訳にも似た気持ちを抱えながら、ますます自分を守る殻が厚くなっていくのが、情けなくてつらくなるのです。
「冗談」の境界線がわからない
冗談って、本当に難しいです。たとえば、書類のミスについて軽く「またやっちゃったの?」なんて言われると、自分の存在ごと否定されたような気持ちになることもあります。これは職業柄の性格かもしれませんが、真面目に受け止めてしまうんですよね。相手の軽さに対応できない自分を「面倒な人間」だと思ってしまう瞬間も、何度もあります。
「ただの冗談」と「人としての線引き」
冗談というのは、相手との関係性や状況に大きく左右されるものです。でもその「関係性」が浅かったり、信頼が十分でなかったりすると、冗談のはずが攻撃にしか聞こえません。たとえば仕事上でのちょっとした失敗を笑われると、それがどんなに「軽いノリ」でも、自分としては「仕事を軽んじられた」と感じてしまう。線引きの難しさと、そこに傷つく自分への苛立ちが混ざり合って、夜中に眠れなくなるんです。
正しさよりも楽しさが優先される場面
「その場が楽しければいい」という空気の場面って、どの業界にもあります。でも司法書士という仕事柄、「正確さ」や「真面目さ」が常に求められるので、その場のノリに乗ることが習慣化されていません。だからこそ、急にカジュアルな場に放り込まれると、ペースが乱れて戸惑ってしまうんです。笑っていいのか、指摘すべきか、曖昧な空気に耐えられなくなってしまうこともあります。
元野球部という肩書きが生きづらさを招く
「元野球部」と聞くと、明るくて社交的で、気合いと根性で乗り切れる人間だと思われがちです。でも実際には、自分はチームメイトの輪にうまく馴染めず、無理やり明るく振る舞っていたタイプでした。そんな過去があるからこそ、今でも「元野球部=明るい」というステレオタイプに苦しめられています。
体育会系ノリへの違和感
「よっしゃ!やるぞ!」という掛け声や、大声での挨拶、ハイテンションな励まし合い。そんな体育会系のノリが、どうしても肌に合わなかった。とはいえ、輪を乱さないように演じ続けた結果、無理をしすぎて潰れかけたこともありました。いま司法書士として仕事をしていても、その「元気な人でいなきゃいけない」という呪縛から完全には逃れられていない気がします。
本当は内向的だったけれど隠していた
学生時代、ひとりで本を読んだり、考えごとをする時間の方が好きだったけど、それを言い出せる空気じゃなかった。野球部という肩書きに合わせて無理に明るく振る舞っていたことが、いまの自分にも影を落としているように思います。「こう見えて内向的なんです」と言ってもなかなか信じてもらえない。そのギャップを説明するのも面倒になって、ますます孤独になっていくんです。
求められる「明るさ」とのギャップに苦しむ
「元気ですね」「明るいですね」と言われることがあるたび、「そう見せなきゃいけない空気」を感じてしまいます。でも本当は、黙って静かに過ごしたい日だってある。テンションを無理に上げて、あとからどっと疲れる日々。こうした自分のペースと、周囲の期待とのギャップが、日常の中でじわじわと心を削っていくのです。
この先の自分をどう肯定していくか
気軽なノリに乗れないからといって、人として劣っているわけではない。そんな当たり前のことを、心の底から信じられるようになるには時間がかかりました。でも、無理をしすぎて壊れるよりも、自分の特性を理解して生きる方が、ずっと健やかで正直な道だと思うのです。誰かに合わせるための笑顔ではなく、本当に自分の中から出てくる笑いを、大切にしていきたい。そう思える夜も、少しずつ増えてきました。