遺言書は恋を語る
ある朝の電話と依頼人の不安
「急いでお願いしたいことがあるんです」
朝一番、鳴り響いた電話の声はやや震えていた。依頼人は初老の女性で、すでに亡くなった兄の遺言について相談したいという。
よくある相続登記かと思いきや、「恋人だったかもしれない人」が登場してくるあたり、波乱の予感がした。
登記名義人は元恋人
事情を整理すると、遺言には「私の想いを知る者に遺す」とだけ書かれていた。対象は不動産1筆。
その土地の登記簿を確認すると、名義人は亡くなった被相続人の名のまま。つまり、まだ登記は未了だった。
だが、「想いを知る者」とは誰のことか――まるでサザエさんの波平が急にポエムを読み出したような話だ。
サトウさんの推理開始
「で、その“恋人だったかもしれない人”というのは?」
塩対応で知られるうちの事務員、サトウさんが眉ひとつ動かさず聞く。
依頼人はポーチから古びた写真を取り出し、若き兄と並んで写る女性を指差した。「この人かもしれないの」
やれやれ、、、また“かもしれない”か。
遺言書の中の曖昧な言葉
自筆証書遺言には、特定の名前や住所は一切書かれていない。「想いを知る者」では第三者の推測に頼るしかない。
これは司法書士の出番というより、探偵事務所の依頼だ。しかし、登記を通すには受遺者を特定せねばならない。
その「想い」の正体が必要なのだ。
相続人に名乗りを上げた女たち
数日後、依頼人の呼びかけで三人の女性が事務所に集まった。いずれも被相続人と何らかの関係があったという。
ひとりは近所の喫茶店のママ、ひとりは短歌サークルの講師、もうひとりは…なんと昔のフィアンセだという。
「想いを知る」と名乗りを上げるには、ちょっとドラマが足りないメンツだ。
元恋人の影と指輪の謎
依頼人がぽつりと言った。「兄の部屋に、昔の婚約指輪があったんです」
それがヒントになるかもしれない。サトウさんが即座に調査を始め、購入履歴を洗った。
結果、指輪の購入者名義は亡くなった被相続人。宛名は「E子」――喫茶店のママの旧姓だった。
古いラブレターが語る真実
さらに押入れの奥から、数通のラブレターが見つかった。丁寧な筆致で「あなたの想い、私は知っています」と綴られていた。
差出人の名前はなかったが、便箋のデザインと筆跡から、サトウさんはピンと来たらしい。
「この文字、短歌の人と一致しますね」塩対応ながら鋭い分析に、思わず頷いてしまった。
公正証書の筆跡は誰のものか
ところが別ルートから、公正証書遺言の下書きが見つかった。そこには明確に「喫茶店ママ」への名前が記載されていた。
だが完成前に自筆証書遺言へと変更された形跡がある。不穏な香りがしてきた。
「誰かが公正証書を止めた?」とサトウさんが言った。まるでキャッツアイのターゲットみたいな話になってきた。
裁判所ではなく机の引き出しへ
調査を進めるうち、喫茶店のママが語った。「あの人、最期に言ってくれたの。“思い出を残すのは君しかいない”って」
それが直接の証拠にはならないが、遺言の「想いを知る者」という表現と一致する。
結局、遺言の内容をもとに家裁で検認し、他の相続人の同意も取り付けて名義変更を進めた。
サトウさんの一刀両断
「恋を法律で証明するなんて、無理があります」
サトウさんの冷静な一言に、全員が頷いた。だが今回の件は、“証拠になりそうでならない”ものに溢れていた。
紙一重の感情が、登記を左右するのだ。
やれやれ書類より恋の方が厄介だ
結局、僕はただの司法書士として書類を整え、登記を完了させただけだ。
けれどこの数日、書類以上のものを扱った気がする。
やれやれ、、、こんな厄介な“恋の相続”なんて、もうごめんだ。
本当に相続したものは何だったのか
土地でも指輪でもなく、相続されたのは「記憶」だったのかもしれない。
法には書けない想いが、引き継がれるということもある。
それを感じたのは、僕が久々に人のために一生懸命動いたからだろうか。
恋と登記の境界線
どこまでが感情で、どこからが手続きなのか。線引きは案外難しい。
「またこんな依頼が来たらどうします?」とサトウさんが言う。
「そりゃ逃げるに限るさ」と僕は肩をすくめてみせた。
司法書士の仕事は終わらない
今日は土地の名義変更、明日は抵当権の抹消。
恋の相続なんて滅多にない、そう願いたいけれど、現実は毎日なにかしら事件だらけ。
やれやれ、、、明日は明日でまた、新しい依頼人が待っている。