一人で抱えすぎた結果見えなくなったもの

一人で抱えすぎた結果見えなくなったもの

気づけば全部自分でやっていた

司法書士として独立して十数年。地方の小さな事務所で、事務員さんと二人三脚でなんとかやってきた。でも、気づけば「これも自分がやらなきゃ」「あれも後回しにできない」と、全部自分の肩に乗せていた。誰にも頼らず、いや、頼れず。朝から晩まで頭の中はタスクでいっぱいで、仕事をしているのか、仕事に追われているのか分からなくなる日もある。そんな日々が続いたある日、ふと「これって普通じゃないのかもしれない」と思う瞬間があった。

頼ることが苦手だった昔の自分

もともと、人に頼るのが苦手な性格だった。元野球部というのも関係しているのか、「背負ってなんぼ」「弱音は甘え」そんな空気の中で育ってきたからかもしれない。司法書士の世界に入ってからも、独立したては周囲に認められたい一心で、どんな仕事でも断らず引き受けていた。それが「信頼につながる」と信じていたし、何より怖かったのは「頼りない奴」と思われることだった。

元野球部の名残か責任感ばかり先走る

高校時代、ピッチャーを任されていた自分は、試合でエラーをしても誰のせいにもできず、常に「自分の責任だ」と感じていた。その頃の癖が抜けず、社会に出ても「トラブルが起きたら自分がなんとかするしかない」と思い込んでいた。だけど、今は一人の力じゃどうにもならないことが多すぎる。司法書士の仕事は、法務局の対応も役所の窓口も、依頼人の感情も絡んでくる。だからこそ、一人で抱え込むには限界があるんだと、ようやく気づき始めた。

事務員さんにさえ気を使いすぎる毎日

事務員さんも真面目な方で、手を抜かず頑張ってくれている。でも、その分こちらも「負担をかけたくない」「不満を言われたくない」という気持ちが強くなって、結局大事な部分は自分で抱え込んでしまう。言わなくても伝わるだろう、と思っていたが、それは甘えだった。コミュニケーションが少ないほど、余計な気遣いが増えてしまう。お互い無理をして、ギクシャクするのは本末転倒だと痛感した。

誰にも言えないまま限界がきた

そんな中で、ついに体が悲鳴を上げた。ある日、朝起きたら手がしびれていて、電話の受話器すらまともに持てなかった。それでも無理をして出勤し、依頼人と打ち合わせして、法務局に提出に行って…とやっているうちに、午後には軽い吐き気と頭痛。これはもうまずいと思い、事務員さんに少しだけ任せて帰宅した。家に帰る道中、「自分で自分を追い詰めていたのかもしれない」と思いながら、少し涙が出た。

睡眠時間を削りながら回す日々

ここ数年は、夜中の2時3時まで申請書類をチェックしたり、メール対応をしていた。独立してると、誰かに怒られることはない代わりに、誰も止めてくれない。自分で「もう寝よう」と言わない限り、どこまでも作業を続けてしまう。気づいた時には、慢性的な寝不足とストレスで集中力が落ち、ミスが増えていた。「効率が下がってる」と感じても、「寝たらもっと遅れる」と悪循環。まさに、自分で自分の首を絞めていた。

予定が詰まっても断れない性格

断ることに罪悪感がある。これはずっと変わらない性格だと思う。「今週中にお願いできませんか?」と聞かれれば、「はい、頑張ります」と言ってしまう。でも、本当はその一言が、自分をどんどん追い詰めていた。予定はどんどんパンパンになり、急ぎの案件が舞い込むたびに綱渡り。ある意味「できてしまう」ことが、さらに首を絞める原因になっていた。もっと素直に「無理です」「再来週ならできます」と言えたら、何かが違ったかもしれない。

「助けて」の一言が言えなかった

本音を言えば、何度も言いたかった。「もう無理かもしれません」って。でも、言葉にしてしまったら、本当に自分がダメな人間になるような気がして言えなかった。それに、司法書士という立場上、「弱音を吐くのはプロ失格」というイメージもあった。依頼人に心配をかけたくないという思いも強く、結局、誰にも「しんどい」と言えずにいた。

同業者に弱音を吐けない空気

同じ士業の仲間と話していても、なかなか本音が言えない。みんな「忙しいですね〜」「やばいっすね」なんて言いながらも、実際どれだけ追い詰められているかまでは見せない。そういう空気の中で、「自分だけ弱音を吐くのはダサい」と感じてしまっていた。でも、ある日飲み会の席で、先輩司法書士がポロッと「最近きつくてさ」と言ったのを聞いて、心の中が少しほどけた。弱音を吐くのも勇気だと、少し思えた。

「みんな頑張ってる」と自分を追い込む

「みんなもっと大変そうなのに、自分が音を上げるのはおかしい」と思っていた。でも、それって本当に事実なのか?見えているのは表面だけで、みんながどれだけ耐えているかなんて本当は分からない。比較することでしか自分を評価できなくなっていた。自分の「つらさ」を他人と比べて否定するんじゃなく、「今、自分は限界なんだ」と認めることが、ようやくできるようになった。

それでも少しずつ分けていく勇気

無理をしても誰も褒めてくれないし、体を壊しても誰も代わりに仕事をしてくれない。そう気づいてからは、少しずつ「頼ること」を始めた。事務員さんに丁寧に説明して任せたり、同業者に「こういうときどうしてますか?」と相談してみたり。最初は怖かったけど、驚くほど世界が変わって見えた。「一人で抱えなくていい」ことに気づくだけで、息がしやすくなった。

事務員さんとの会話に救われた日

ある日、何気ない会話の中で、事務員さんが「先生、最近ちょっと疲れてませんか?」と言ってくれた。その一言に思わず涙が出そうになった。気づいてくれていたこと、自分がちゃんと見てもらえていたこと、それが嬉しかった。そこからは少しずつ、作業の一部をお願いしたり、手順を一緒に見直したりするようになった。そうすることで、信頼関係もより深まった気がする。

小さなお願いが信頼につながる

「これ、やってもらってもいいですか?」とお願いするのは、最初こそ勇気がいった。でも、やってみると事務員さんはむしろ「信頼されている」と感じてくれていたようで、前向きに取り組んでくれた。全部自分でやるより、誰かと分け合う方が効率的だし、なにより心が軽くなる。そのことに気づけたのは、自分にとって大きな変化だった。

「一人でやる」から「一緒にやる」へ

昔は「一人で全部やることが正義」だと思っていた。でも今は、「一緒にやることが大事」だと心から思うようになった。自分の弱さを認めることは恥じゃないし、人に頼ることは逃げじゃない。むしろ、それが人間らしさだとすら感じるようになった。肩の荷が少し軽くなったことで、ようやく周りが見えてきた。

同業者とのつながりが変えてくれた

最近では、地元の司法書士仲間との勉強会にも顔を出すようになった。昔は「忙しいから」と断っていたが、今はむしろそういう時間が自分を救ってくれる。仲間と話す中で、自分だけがしんどいんじゃないことに気づけるし、新しい考え方にも触れられる。そういう“緩やかなつながり”が、思っていた以上に力になることを実感している。

仲間がいると知った安心感

「一人じゃない」と思えるだけで、救われることがある。同じように孤独と戦っている司法書士がいて、同じように悩んでいる人がいる。完璧でなくてもいい、弱くてもいい。そんなふうに思えるようになった今、少しだけ自分を好きになれた気がする。これからもきっと迷うけど、一人で抱えすぎないように、自分にも優しくあろうと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。