人間関係を何度も手放してしまう理由

人間関係を何度も手放してしまう理由

人との距離を置きたくなる瞬間

人と深く関わろうとすると、ある時ふっと距離を置きたくなる衝動に襲われることがあります。私の場合、それはまるで防衛反応のように突然やってくるのです。例えば食事に誘われたとき、「また今度にしておきます」と返してしまったり、既読無視のまま連絡を絶ってしまう。特に仕事が忙しいときほど、そうした傾向が強くなります。心のどこかで「これ以上関わったら自分が壊れる」とブレーキをかけているのかもしれません。

何気ない一言で心のシャッターが下りる

ある日、同業の知人との雑談中に「お前の事務所、潰れないのが不思議だよな」と冗談めかして言われたことがあります。言った本人は軽い気持ちだったのでしょうが、私にとっては心の芯を突かれるような痛みがありました。それから自然と距離を取り、疎遠になりました。相手の言葉に敏感になりすぎる自分に嫌気がさす一方で、そうせずにはいられない自分もいます。

「普通に言っただけ」それが一番きつい

「そんなつもりじゃなかった」「普通に言っただけ」この言葉は、私にとっては刃物です。発言した側に悪気がないという事実は、逆にこちらの感情を否定されているように感じてしまうからです。私自身も過去に何気ない一言で人を傷つけた経験があります。それでも、言葉の鋭さに日々傷つき、結果的に「これ以上は踏み込みたくない」と自分からシャッターを下ろすことになります。

言葉の重さに耐えられない自分がいる

司法書士という仕事をしていると、日々の会話が形式的になりがちです。言葉に裏があってはいけない、誤解を生まないようにしなければならない。だからこそ、プライベートで投げかけられる軽い言葉に対応しきれなくなるのです。人間関係において、そんな言葉の重みに耐えられない自分がいることを、どうにも否定できずにいます。

忙しさの中で孤独に慣れてしまった

司法書士事務所を一人で切り盛りする毎日は、慌ただしくも孤独です。日中は登記や相談業務に追われ、夜は書類のチェックや準備。気がつけば、他人とじっくり話す時間など一日のうちに数分しかありません。誰かに「寂しくないの?」と聞かれても、正直なところ、寂しいという感覚すら麻痺してきたように感じます。

ひとりでやることが当たり前になった

最初のうちは、事務所の立ち上げも業務の習得も、一人でなんとかしなければという意識が強かったのですが、それが習慣になると、何でも一人で完結させる癖がついてしまいます。事務員を雇ってはいますが、指示を出すのも申し訳なく感じてしまい、つい自分で抱えてしまう。そうして「頼る」という感覚がどこかへ行ってしまったのかもしれません。

他人に頼るのが怖くなった理由

過去に一度、仕事を信頼して任せた相手に裏切られた経験があります。そのときの怒りと悔しさ、そして何より「自分の見る目のなさ」に打ちのめされました。それ以来、誰かを信じること、頼ることが怖くなったのです。今では「最初から頼らなければ傷つかない」と無意識に思ってしまっている自分がいます。

リセット癖という名の自衛本能

人間関係を断ち切ることで、安心する自分がいます。「もう関わらなくていい」と思えると、どこかほっとする。それは冷たい人間だからではなく、ただ疲れてしまったから。傷つくくらいなら最初から関わらない方がマシだと、心のどこかでそう思ってしまっているのです。

関係が深まるほど不安になる

親しくなればなるほど、「いつか嫌われるんじゃないか」という不安がつきまといます。誰かと本音で向き合うことには、どうしてもリスクが伴います。私にとっては、そのリスクがどんどん大きく感じられてしまい、結果的に「関係を維持すること」より「失うことの恐怖」ばかりが先に立ってしまうのです。

見透かされるのが怖いから逃げる

人と深く関わっていくと、必ず「弱い部分」や「本当の顔」が見えてしまいます。それをさらけ出せるほど、私は器用でも強くもありません。見透かされるくらいなら、いっそ自分から離れてしまいたい。そんな逃げの姿勢が、自分の中にあることは否定できません。

「自分から切った」と思いたいだけかもしれない

本当は、相手から拒絶されるのが怖いだけなのかもしれません。だから先に自分から切ってしまう。そうすることで、まだ自分が主導権を握っていると思える。でもそれはただの虚勢で、心の中はいつも空っぽです。結局、残るのは後悔と寂しさだけなのです。

司法書士という職業の影響もある

人の人生の節目や終わりに関わる仕事をしていると、どこかで感情をセーブするクセがついてしまいます。家族の死、相続、離婚など、悲しみや争いに日常的に触れていると、自分の感情を守るために、ある程度の距離を置くようになります。それがいつしか、日常の人間関係にも影響しているのかもしれません。

日常的に人の終わりを扱う立場

例えば、亡くなった方の名義変更の手続きをしているとき、遺族の悲しみに触れる場面が多々あります。最初の頃は心が痛みましたが、今では手続きに集中するあまり、感情を切り離すようになってしまいました。そうしないと、自分の心が持たないからです。

感情を切り離す癖が日常にも染み込む

そうして身についた「感情を切る癖」が、仕事以外の場面でも無意識に出てしまいます。友人との会話でもどこか他人行儀になったり、恋愛関係が長続きしない理由も、そこにある気がします。「誰とも深く関わらない方が楽」そんな考えが、心のどこかに根を張ってしまっているのです。

それでもつながりたい気持ちはある

リセット癖があるとはいえ、本心では人とつながっていたいという気持ちもあります。ただ、その方法が分からなくなっているだけなのです。傷つきたくない、でもひとりも寂しい。そんな矛盾を抱えながら、今日も机に向かっています。

切って後悔してまた一人反省会

人間関係を自分から手放したあと、ふとしたときに後悔が押し寄せます。「あの人、元気かな」と思っても連絡は取れず、ただ一人で反省会を開く。やり直せない関係ばかりが増えていき、積み重なるのは「もしもあのとき」という後悔だけです。

「あの時もう少しちゃんと向き合えていたら」

本当にそう思います。自分の不安や恐怖に向き合って、ちゃんと話せていたら、相手を信じて一歩踏み出せていたら。そうすれば、失わずに済んだ関係もあったはずなのに。後悔は時間が経つほど重くのしかかってきます。

取り返せないことばかり増えていく

時間が経てば経つほど、関係の修復は難しくなります。連絡する勇気も出ないし、相手の生活に踏み込むこともためらわれる。だからまた一人になって、同じことを繰り返す。そして、取り返せないことばかりが増えていくのです。

共感してくれる人がいると救われる

こんな話をしても、「自業自得だろ」と言われるかもしれません。でも、どこかで似たような孤独を抱えている人がいると思うと、少しだけ救われます。このコラムを読んで「自分も同じ」と思ってくれる人がいたなら、それだけで書いた意味があるように思えるのです。

似たような孤独を抱える誰かへ

人との関係に疲れたことがある人、自分から距離を取ってしまったことがある人、きっと少なくないはずです。その気持ちを否定する必要はないと思います。大切なのは、その癖とどう付き合っていくか、自分自身を少しずつ許していけるかどうかです。

それでも誰かと関わっていたい

矛盾していますが、それでも人と関わっていたいと思っています。笑い合ったり、バカ話をしたり、そんな時間がほんの少しでもあるだけで、孤独は和らぎます。たとえ不器用でも、失敗ばかりでも、それでも関係を築こうとする姿勢が、たぶん人間らしさなんだと思います。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓