一人でやれるからといって寂しくないわけじゃない
司法書士という職業は、何かと「一人でやること」が多い。案件を一つひとつ丁寧に処理するには集中が必要で、人に任せるより自分でやった方が早い。そうやっているうちに、「あの人は一人で大丈夫」と思われて、どんどん相談も減っていく。別に一人が好きなわけじゃない。得意なだけ。黙ってても片付けてくれる便利屋みたいに扱われてるなって思う日もある。けど、心の中は「誰か気にかけてくれないかな」とつぶやいてるんだよね。
仕事も生活も「任されすぎる」のが常態化
事務員さんは一人だけ。結局、実務の8割以上は自分でやる。登記簿の確認から書類の提出、役所とのやり取りまで全部。誰かと分担するという発想が最初から存在しない。昔、知り合いの税理士に「自分で抱えすぎじゃない?」と言われたことがある。でも、手放したくても手放せない。不安なのだ。信頼しても最後に責任を取るのは自分。だから一人でやる。それがクセになってる。でも本当は、任せたいし、頼りたいんだよ。
気軽に愚痴れる相手がいないつらさ
一人事務所だと、何かミスが起きたときに「それ、あるあるだよね」って言ってくれる人がいない。それが地味につらい。たとえば、申請書の記載ミスで法務局に怒られた日。あんなの、誰かに笑ってもらえたら気が済むのに、黙って訂正印押して、何事もなかった顔して戻るしかない。帰り道の車内で「俺、何やってんだろ」とつぶやくこと、何度もある。でも誰に言うでもない。誰にも届かない。だからまた一人で耐えて、笑ってみせる。
LINEも鳴らないまま過ぎていく休日の午後
仕事が落ち着いた休日、スマホを見ると通知ゼロ。昔の同級生は家庭があって、子どもと出かけてる。野球部の同期も最近は連絡が減った。俺だけが取り残されたような気がして、テレビの音をやたら大きくする。誰かと会いたいわけじゃない。けど、誰かから「どうしてる?」の一言がほしい。ただそれだけなのに、誰にも聞かれないし、誰にも聞かないまま、日が暮れていく。独身って、自由と孤独が紙一重だ。
「一人で大丈夫だよね」と思われがちな悲劇
「先生は一人で全部やれちゃうから、安心だよね」と言われると、なんとも言えない気持ちになる。そりゃ確かにそうなんだけど、たまには「大丈夫?」って聞いてほしい。そもそも、大丈夫じゃないときでも大丈夫な顔をしてしまうのが自分の悪いクセだ。頼るのが下手で、甘えるのも苦手。それでも「一人でやれちゃう人」のイメージを崩すのが怖くて、余計に言えなくなる。どんどん深みにハマっていく感じがある。
助けてほしい時に限って誰もいない
年末の繁忙期、風邪で寝込んだことがある。でも、誰かに代わってもらえるわけじゃない。クライアントに連絡してスケジュールをずらして、薬を飲んで、布団の中でノートパソコンを開いて…。その時、「ああ、俺って誰にも頼れないんだな」と実感した。体がしんどいのはもちろんだけど、それ以上に「誰もいない」という現実が精神的に堪えた。あの時の寒さは、ただの気温じゃなかった気がする。
「頼られすぎる人」が抱える孤独
誰かに頼られるのは、確かに悪い気はしない。でも、「頼られる一方」になると、それはそれでつらい。相談はされるけど、自分のことは誰にも話せない。人に甘えるのが下手な人ほど、実は一番甘えたがりだったりするんじゃないか。そう思うことがある。疲れてても「先生なら大丈夫ですよね」と言われたら「はい」としか言えない。でも、その一言の重さに、ぐしゃっとつぶれそうになる瞬間がある。
強く見える人ほど壊れやすいという事実
昔から「お前はメンタル強いよな」と言われることが多かった。野球部時代も、どんなミスでも切り替え早いと言われてた。でも、それは見せ方がうまかっただけで、本当は内心ボロボロだった。今もそう。周りに「先生なら大丈夫」と思わせるために、無理して強く振る舞っている。でも人間って、そんなに強くない。ガラスのように繊細な部分を隠してるだけなんだ。見えないひびが、ある日突然パリンと割れることもある。
飲み会の誘いが減ったのは年齢のせいか性格のせいか
昔はよく飲みに誘われた。同期とも、近くの士業仲間とも。でも最近はめっきり減った。「忙しいだろうから声かけづらくて」と言われる。断られるのが前提みたいに扱われると、それもまた悲しい。こっちはこっちで「どうせ予定あるんだろう」と思って声をかけない。結局、お互いに気を使いすぎて疎遠になる。こうして中年男は孤立していくんだな、と年々感じている。
ひとり居酒屋も慣れたけど本音では誰かと笑いたい
カウンターに座って、ひとりでビールを飲む。最初は気楽だった。でも今は、他のグループが笑い合ってるのを見ると、ちょっと胸がキュッとする。話しかけてくる店主に少し救われる。でも会話が終わると、また無音の時間。居心地が悪いわけじゃないけど、誰かとくだらない話をして笑う夜が恋しくなる。たまには「今からどう?」って誘ってほしい。ただそれだけなんだけどな。
恋愛も縁遠くなる中年男性司法書士のリアル
正直、恋愛からはずいぶん遠ざかっている。仕事が終わって帰るともうクタクタ。出会いなんてどこにもないし、婚活する元気もない。若いころは「そのうち自然に出会いがある」と思ってたけど、そんな奇跡は一度も起きなかった。司法書士って、堅い職業だし、そもそも地味。女性ウケも正直よくない。だからって諦めてるわけじゃないけど、期待もしてない。そんな自分にまたちょっと落ち込む。
独身が長いと人との関わり方を忘れる瞬間がある
誰かとご飯を食べたり、旅行に行ったり、そういう時間を過ごすのが億劫になることがある。独身生活が長すぎて、誰かと合わせることが面倒に感じてしまう。でもその一方で、人との関わりに飢えている自分もいる。久々に人と深く話すと、うまくリアクションができなかったりして、「俺、こんなに不器用だったっけ」と落ち込む。孤独に慣れると、人間関係が怖くなるって、本当なんだと思う。
一人の時間と孤独は似て非なるもの
一人でいるのが好きなわけじゃない。必要だから一人でいるだけ。気がつけば、そういう時間が日常になっていた。誰にも気を使わずに済むのは楽だ。でも、その「楽さ」は裏を返せば「誰もいない」という事実の裏返し。自分で選んだつもりの一人時間が、気づけば孤独に変わっていたことに、ある日ふと気づく。静けさが心地よいときもあれば、たまらなく虚しくなることもある。
一人で静かに考えたい時と、誰かにいてほしい夜
日中は集中して仕事に没頭している。考えることが多すぎて、誰かが隣にいたら逆に気が散る。だから一人がいい。けど、夜になって急に心が空っぽになる瞬間がある。テレビの音、照明の明るさ、何をしても心に届かない。そんな夜は、隣に誰かがいるだけで救われる気がする。でも、その「誰か」はいない。いてくれそうな人も思いつかない。そんな自分にふと寂しさを感じてしまう。
「好きなことに集中できる時間」の落とし穴
自由に自分のペースで動けるのは独身の特権かもしれない。趣味に没頭できる時間もある。だけど、「やりたいこと」なんてそう毎日はない。あるのは、時間だけ。その時間に「やること」がないと、ものすごく空虚になる。「何もない自分」と向き合わされるからだ。好きなことに集中できることは強みだけど、それが孤独を深める原因にもなっている気がする。
一人が平気な顔をして、助けを求めるタイミングを逃す
「先生はいつも落ち着いててすごいですね」と言われる。笑って「まあ慣れですよ」と返す。でも、本当はただ我慢してるだけ。助けてって言えない性格が、年を重ねるごとに硬直していく。タイミングを逃すと、もう言えなくなる。誰にも言えずに抱え込んで、ふとした時に涙が出そうになることだってある。けど、そんな自分を誰にも見せられない。それがまた、孤独を深めていく。