人に会うのがしんどいと感じ始めた頃
人と接するのが苦じゃなかったはずなのに、ある時から急に「会いたくないな」と感じるようになった。そんな変化に気づいたのは、ある休日に知人から誘いの連絡が来た時だった。「どうしようかな」とスマホを握ったまま、返事を保留し続けてしまった自分に驚いた。前ならすぐ「行くよ」と返していたのに。気を遣うことが億劫になっていたのかもしれない。気づけば人と距離を取ることが増えていった。
最初はただの疲れだと思っていた
毎日忙しく働いていれば、誰だって疲れる。司法書士という職業柄、登記や相続、遺言など気を抜けない案件が続く中、疲労が溜まるのは当然のことだと思っていた。だからこそ「人に会いたくない」という感情は、ただの体調のせいだろうと割り切っていた。でも、何日経ってもその気持ちは消えなかった。身体の疲れよりも心の疲れが原因だと気づいたのは、それからずいぶん経ってからだった。
話しかけられることすら面倒になる
電話が鳴るたびに心臓がバクバクして、出る前から「また何かトラブルか」と身構えてしまう。近くのコンビニに行くだけでも、「誰か知り合いに会ったら嫌だな」と思って遠回りしたこともある。小さな声で「おはようございます」と言うだけで精一杯だったりする日がある。人付き合いが面倒だと思うようになってから、自分の中で「人と関わる=疲れること」とインプットされてしまったのかもしれない。
プライベートの誘いが負担に感じるようになった理由
昔は飲みに行くのが好きだった。誰かと喋って、くだらないことで笑って、ストレスを発散していた。でも今は、誘いのLINEが来るたびに「またか…」とため息が出る。相手に悪気がないのはわかっている。それでも、気を遣う時間よりも一人で静かに過ごす時間のほうが、自分には必要だと感じるようになった。年齢のせいかもしれない。人に合わせる余裕がなくなってきたのだと思う。
司法書士という仕事と人間関係の重圧
この仕事は一人で黙々とできる時間もあるが、人と接する場面も意外に多い。依頼者とのやりとり、金融機関との調整、役所とのやりとり…毎日が小さなコミュニケーションの連続だ。その一つ一つに神経を使い、失敗が許されない状況に置かれ続けると、だんだん人と関わること自体が「作業」や「義務」になっていく。気づけば、心の余白がすり減っていた。
顧客対応と信頼関係の板挟み
ある時、依頼者から「前に説明したよね?」と言われた。正直なところ、聞いていなかった。いや、聞いたような気もするが、記憶に残っていなかった。でも「すみません、もう一度お願いします」と言うのが難しかった。信頼を損なうことを恐れて、無理して話を合わせた。そういう小さな板挟みが日々続く。本音を出せないまま、相手に合わせるだけの時間が続くと、人付き合いはどんどん重くなる。
人付き合いも仕事のうちに限界を感じた瞬間
業界の集まりや地域の会合など、「行くべき」とされる場に顔を出すことも多い。しかし、そこで交わされるのは名刺交換と社交辞令ばかり。相手の名前を忘れないようにと気を張りながら、当たり障りのない会話を続けるのは、正直つらい。とくに疲れている時には「今日だけは帰りたい」と思うこともある。人付き合いを“仕事”と割り切ってきたが、心がもう割り切れなくなっていた。
事務員との距離感に悩む日々
一人で事務所を切り盛りする中で、事務員の存在はありがたい。しかし、相手にも生活があり、性格がある。話しかけられても返事がそっけなくなってしまったり、逆に気を遣いすぎて空気が重くなったり。たった一人の職場だからこそ、ちょっとしたすれ違いが心に響く。適度な距離感を保ちたいと思っても、それができない日もある。人と関わる難しさは、身近な人間関係にこそ詰まっている。
距離を置くことで保てるメンタルのバランス
人を避けてしまう自分を責めることもあった。でも、そうすることでなんとか心のバランスを取っていることも事実だ。無理に人と関わろうとして、後でぐったりしてしまうより、少し距離を置くことが自分にとってのセルフケアになっている。人付き合いに積極的な時期もあったけれど、今は一歩引いたところから、自分の心を守る選択をしている。
無理して会わない選択も時には必要
「会わなきゃ」「付き合わなきゃ」と思えば思うほど、しんどくなる。ある時から、「今日は誰にも会わない」と決めて、無理に外出しない日を作るようにした。それだけで心が少し軽くなった。誰かと会わない=悪いこと、という思い込みを外しただけで、自分を責める時間が減ったように思う。人と距離を置くことは、逃げではなく、自分に合った生き方なのかもしれない。
寂しさと安心感のあいだで揺れる気持ち
一人でいると安心する。気を遣わなくていいし、誰にも合わせなくて済む。でも、ふとした瞬間に寂しさが顔を出す。特に休日の夜や、ふとテレビの笑い声が聞こえてきたとき。あの空気に混ざれない自分に、孤独を感じる。でも不思議と、誰かと一緒にいた時の息苦しさよりも、この寂しさの方が耐えられる気がする。結局、自分にとって何が心地いいかを選ぶしかないのだろう。
一人の時間が回復の時間になっている
最近、仕事帰りに遠回りして公園を歩くことがある。誰とも話さず、イヤホンで音楽を流しながら歩く時間が、自分の回復の時間になっていると気づいた。人と接しない時間があるからこそ、また少しだけ頑張ろうと思える。避けているのではなく、整えている。そう思えるようになったことで、人間関係の距離感が少しだけラクになった。無理せず、ゆっくり。今はそれでいい。
避け続けた結果見えてきたもの
人との関わりから距離を取ることで見えてきたものがある。それは、「自分がどれだけ無理をしていたか」という事実だった。誰かと一緒にいるときの笑顔が、本音から出たものなのか、ただのサービス精神だったのか。そうした小さな違和感を、自分の中にひとつひとつ拾い直す時間になった。避けることで、むしろ自分を取り戻していたのかもしれない。
つながりを断ちすぎて逆に不安になる夜
誰とも会わず、誰とも話さず、誰からも連絡が来ない日が続くと、ふと「このまま孤立していくんじゃないか」と不安になる。寂しいというより、社会から取り残されているような感覚。つながりがないことの自由さと、そこに潜む孤独の重さ。そのバランスを見失いかける夜がある。だからこそ、たまに人と話したくなる。ほんの少し、声を聞くだけで安心する日もある。
誰かと話したいけど連絡できない葛藤
思い浮かべる相手はいる。けれど連絡する勇気が出ない。「今さらどうしたの?」と思われそうで怖い。しばらく連絡を取っていなかった人には、何をきっかけに話せばいいのかわからない。結局、スマホを見つめるだけで一日が終わる。そんな自分に「やっぱり人付き合い向いてないな」と落ち込んだりもする。でも本当は、誰かと繋がっていたい気持ちは、ちゃんとあるのだ。
一歩踏み出す勇気が出ない自分を許すこと
「今のままじゃダメだ」と焦る気持ちもある。でも、だからといって無理に変わろうとすると、余計に疲れてしまう。だから、まずは自分を責めないことから始めることにした。人付き合いがしんどくても、それは悪いことじゃない。一歩踏み出せなくても、それでいい。いつか、タイミングが来たらきっと動ける。そんなふうに、少しずつ自分を認めていこうと思う。