人に疲れたら犬が正解かもしれない

人に疲れたら犬が正解かもしれない

ふとした瞬間に犬に救われる日がある

毎日、事務所に戻るのは夜の7時を過ぎてから。書類を抱えて帰ってきて、無言でカバンを置くと、真っ先に寄ってくるのは飼っている柴犬のコロだ。何も言わないけれど、尻尾だけはものすごく元気に振っている。その姿を見た瞬間、ようやく息ができるような感覚になる。人と接する時間が長く、心がささくれ立っている日ほど、コロの存在に救われる。どれだけ疲れていても「おかえり」と迎えてくれるその姿が、今日一日のやりきれなさを少しだけ和らげてくれるのだ。

心をすり減らすのは人との距離感

司法書士という仕事柄、たくさんの人と接する。依頼者、役所、銀行、法務局、そして時に揉め事の関係者まで。どこかで誰かと噛み合わなかったり、言葉の温度が合わなかったりすることが続くと、それだけでどっと疲れる。距離感が難しいのだ。丁寧に接しつつ、突き放しすぎず、でも深入りしすぎないように。そんな微妙なバランスを毎日繰り返すと、自分の心のバッテリーがどんどん減っていくのがわかる。

気を遣いすぎて疲れて帰る夜

ある日、相続の相談で訪れた家族の空気が重くて、ずっとピリピリしていた。僕はその場を和らげようと必死に言葉を選び、相手の目線に合わせて話したけれど、帰り道にはどっと疲れが出てきた。「誰かのため」に頑張るのが当たり前になっていると、ふと「自分のため」はどこに行ったんだろうと思うことがある。そんな夜は、人と話す気力も残っていない。テレビもつけず、ただコロの頭を撫でて、何も考えずに過ごす。それが何よりの回復時間になる。

誰にも話したくない日の沈黙

正直、誰にも会いたくない日がある。言葉を交わすのも面倒だし、気持ちを説明するのもしんどい。そんなとき、犬は何も聞いてこない。ただ近くに座って、こちらを見つめてくるだけ。その目に「何があったの?」なんて詮索はない。自分が何者で、どんな状態かなんて関係なく、ただ「いてくれる」。その沈黙が、ありがたいのだ。人に癒されたいと思う余裕もないとき、犬の沈黙こそが一番の薬になる。

ペットの「無言の肯定」が効く理由

犬は何も言わないけれど、全身でこちらを肯定してくれる。「今日も頑張ったね」なんて言葉はいらない。ただ、近寄ってくる様子を見るだけで、「あなたはそのままでいいよ」と言われている気がする。誰かに評価される世界で生きていると、自分を肯定してくれる存在のありがたみが染みる。飼い主だから好きなんじゃなくて、存在そのものを認めてくれる感じ。それがペットが人間以上に癒してくれる理由なのだと思う。

何も言わないからこそ伝わるもの

言葉って、ときに重い。慰めようとして逆に傷つけたり、励まそうとしてプレッシャーになったりする。人間同士は複雑すぎる。だけど犬は違う。何も言わないくせに、全部伝わってる気がする。僕が落ち込んでるときは少し距離を置いて見守ってくれて、元気そうなときはしっぽを振って遊びに誘ってくれる。こっちの調子に合わせてくれる存在って、なかなかいない。言葉を使わないのに、ちゃんと気持ちが通じるのが不思議だ。

ただ寄り添うだけで救われる

あるとき、登記の手続きミスで依頼者に怒られて、自分でも落ち込んでいた日があった。夜、自宅でソファに座っていたら、コロが静かに足元に寝そべってきた。その姿を見て、なんだか涙が出た。誰かに優しくされる余裕もなかったのに、「そばにいるよ」と無言で示してくれた。それだけで救われた。言葉より行動、行動よりもただの存在感。それがこんなにも心を支えるなんて、正直予想してなかった。

余計なアドバイスをしない存在

人はよく「こうしたらいいよ」「頑張れ」って言ってくる。悪気はないのはわかるけど、落ち込んでるときにそれはしんどい。でも犬はそんなこと言わない。慰めもしなければ、励ましもしない。ただこっちを見てるだけ。でもその視線が、「無理しなくていいよ」と言ってくれてるようで、安心する。自分を無理に変えようとしない存在に囲まれることが、こんなに心地いいなんて思わなかった。

司法書士という職業の孤独と責任

この仕事は、相談相手がいても最終的には自分一人で判断を下さなければいけない。責任の重さに耐えながら、常に「間違ってないか」と不安を抱える。誰かに気軽に相談できるような性質でもなく、孤独を感じる瞬間は多い。それでも、誰かの人生の一部を預かる仕事に誇りはある。でも、だからこそ「人と関わる疲れ」も人一倍強く感じてしまうのだ。

誰にも見せられないプレッシャー

依頼者の前では平然を装う。でも内心は、手続きの確認や書類の正確性でずっと緊張している。失敗できない、間違えられない、そんな気持ちがずっと頭の中で渦巻いている。事務員にはあまり見せないようにしてるけど、家に帰って一人になると、ドッと疲れが出る。「もう無理かも」なんて思うこともある。そんな夜に限って、コロはいつもより静かに寄り添ってくれる気がする。

笑顔で帰っても心は擦り切れてる

たとえば依頼者とのやりとりがスムーズに終わっても、それだけで一日が報われるわけじゃない。誰かの役に立てたという充実感はあるけれど、その裏で擦り切れてる自分も確かに存在する。ずっと気を張ってると、自分の感情の置き場がなくなる。そんなときに、コロの頭を撫でる時間だけが「何者でもない自分」に戻れる瞬間なのだ。

だからこそ癒しを求める先が変わる

昔は飲みに行って気分転換していたけど、今はそんな元気もない。誰かと話すより、犬と一緒に過ごす方がよっぽど回復できると気づいた。心が疲れてるとき、人は静けさを求める。そしてその静けさの中で、そっと隣にいる存在が、何よりの癒しになる。ペットが癒しになるのは、単に可愛いからじゃない。何も求めず、ただそこにいてくれるからだ。

恋愛じゃ満たされないものがある

年齢的にも、恋愛がどうこうっていう段階じゃなくなった。若い頃は寂しさを埋めるために誰かと付き合ったりもしたけれど、今は違う。誰かと一緒にいても疲れてしまうことがある。そんなとき、無言で寄り添ってくれる犬の存在がどれだけありがたいか。恋愛では癒せない疲れが、確かにあるんだと思う。

言葉より信頼が欲しかっただけ

言葉は大事だけど、信頼ってそれ以上に大切。ペットとの関係は言葉がなくても築かれていく。散歩中に交わすアイコンタクト、餌をあげるときの信頼感、撫でたときのリラックスした表情。どれも「信頼」がなければ成立しない。人間関係では、信頼を築くのに時間も駆け引きも必要だけど、犬との関係にはそれがいらない。ただ真っ直ぐに向き合えばいい。それが何より心地いい。

ペットといるときの素の自分

事務所では「先生」と呼ばれて、立場上、弱音も吐きづらい。だけど家に帰ってコロと一緒にいるときだけは、肩の力を抜いていられる。変な話、腹が鳴っても恥ずかしくないし、寝ぼけた顔でも気にしないでいられる。素の自分を出せる場所って、意外と少ない。だからこそ、そういう存在は貴重だ。

「また明日もがんばるか」と思える瞬間

どんなにしんどくても、朝コロと散歩していると、不思議と気持ちがリセットされる。朝日を浴びながら、風の匂いを感じて、草むらを歩く。何でもない時間だけど、そこで「よし、今日もやるか」と思える。ペットがいると生活にリズムができて、心の回復力も少しずつ上がっていく。そんな存在に支えられて、今日もまた、誰かのために書類を作ることができるのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓