布団の中が一番安心で一番つらい

布団の中が一番安心で一番つらい

朝を迎えるのが怖いという感覚

目覚まし時計のアラームが鳴る前に、うっすらと目が覚める。まだ5時台なのに、心が重たい。布団の中はあたたかくて、安全地帯のように思えるけれど、その安心感の中に閉じ込められているような気もする。もうすぐ始まる一日を考えると、ため息が自然と漏れる。今日もまた同じようなスケジュール、同じような不安、同じような孤独。毎朝この感情を乗り越えることが、最近は一番のハードルになっている。

目が覚めた瞬間に重たくなる気持ち

目を開いた瞬間から始まる、なんとも言えない重さ。体ではなく、心の話だ。天井を見つめながら「今日は少しでも楽にならないかな」と考えるけれど、何も変わらないと知っている自分がいる。司法書士という職業柄、責任感が重くのしかかる日が多い。誰かに相談できるわけでもなく、朝の静けさがかえって苦しくなる。布団の中で10分、20分、気がつけば30分。そうやって時間が過ぎていく。

起きる理由を探すのに時間がかかる

「何のために起きるんだろう」と自問自答する朝が続いている。仕事があるから、誰かを待たせているから、それだけで人は起きられるのだろうか。正直なところ、昔はもっと違った。新人のころは「成長したい」とか「お客さんに喜んでもらいたい」という気持ちで起きていた気がする。でも今は違う。ただ「今日も無事に終わればいい」と願って、重い体をなんとか動かすだけだ。

ため息が一日の始まりの合図になる

枕をどかして、背中を起こして、ため息をつく。もはやこれはルーティンになってしまった。コーヒーを入れる前に、スーツに袖を通す前に、まずは一発、深いため息から始める。これは自分だけの儀式かもしれないけど、たぶん似たような朝を迎えている人は少なくないと思う。ため息にはネガティブな意味があるけれど、私にとっては一種のスイッチ。これをしないとエンジンがかからないのだ。

司法書士の朝は誰にも見えない孤独から始まる

どんなに早く出勤しても、事務所に入るときのあの無音の感じは、なんとも言えず寂しい。私の事務所は小さく、スタッフも一人だけ。彼女が来るのは9時過ぎ。それまでの時間、自分の気持ちとだけ向き合う時間になる。書類の整理をしながらも、ふと不安がよぎる。「この仕事、あと何年続けられるかな」「今月もギリギリかもしれないな」そんなことばかり考えてしまう。

スーツを着る手が止まる日もある

朝の支度は機械的だ。顔を洗い、歯を磨き、スーツを着る。でも、スーツの袖を通す手が止まる日がある。たとえば、寝不足だった日や、前日に理不尽なクレームを受けた翌朝。思い出すとまた気が滅入ってしまって、着替えを途中でやめてソファに座り込むこともある。そんなときは、昔の自分に「お前、まだ頑張ってんの?」と声をかけられてるような気がして、情けなくなってしまう。

書類の山よりも気持ちの山が大きい

司法書士の仕事って、書類と格闘する日々だ。登記簿、契約書、遺言書、申請書…机の上には常に山ができている。でも、実際に一番しんどいのは、その書類の山ではない。自分の中の「やる気が出ない気持ち」の山。これを越えるのに、どれだけの時間とエネルギーが必要か。実務能力ではなく、精神力の問題。書類を処理するより、自分の気持ちを処理するほうがよっぽど厄介だ。

やることはあるのにやる気はない

一日にこなすべき業務は明確だし、優先順位も立ててある。それなのに、いざやろうとすると体が動かない。メールを開いても目が滑るし、電話も取るのが億劫だ。時間だけが過ぎて、焦りだけが増えていく。そんな日が週に一回どころじゃなくなってきた。年齢のせいか、疲れが抜けないせいか、それともモチベーションの問題か。理由はたくさんあるけど、どれも言い訳にしか聞こえない自分がつらい。

自分だけが置いていかれているような錯覚

同年代の友人たちのSNSをふと見ると、家族との旅行や子どもの入学式の写真が並ぶ。「ああ、みんなちゃんと生きてるんだな」なんて思ってしまう。自分は何も変わらず、事務所と自宅を行き来して、布団の中でため息をつく日々。それだけ。そんな自分を認めたくなくて、でも現実は変わらなくて、どんどん自分だけが取り残されていくような感覚になる。

SNSもテレビも他人がまぶしい

たまにテレビをつけても、明るい家族や笑い声がしんどく感じる。SNSを開いても、眩しすぎる世界が目に刺さる。「あれはフィルターかかってるから」「現実はそんなもんじゃない」と分かっているつもりでも、心はそう割り切れない。気づけば、スマホを伏せて、またため息をついている。こんなふうに他人の幸せに打ちのめされるのは、ただの僻みかもしれない。でも、それが今の正直な気持ちだ。

結婚の話題が避けたいものになっていく

昔は「いい人いないの?」なんて聞かれても笑って返せていた。でも最近は、その質問が刺さるようになってきた。飲み会の場でも、親戚の集まりでも、なるべく恋愛や結婚の話には触れられたくない。話題を変えるのがうまくなったのはいいけれど、心のどこかでは「自分は欠けてる存在なのか」と思ってしまう瞬間がある。そういうときこそ、布団に潜りたくなる。

一人暮らしの部屋に話し相手はいない

仕事が終わって部屋に戻っても、ただ静か。冷蔵庫の中も静か。テレビをつけても誰も笑わない。そんな空間に、もう慣れてしまった自分がいる。誰かに今日の愚痴を言えたら、誰かとご飯を食べられたら、それだけで少し気持ちは軽くなるんだろうなと思う。でも、現実には話し相手はいない。だからこそ、布団の中で自分自身と会話をすることが増えてしまったのかもしれない。

それでも事務所は回さなきゃいけない

どれだけ気持ちが沈んでいても、仕事は待ってくれない。登記申請の締切も、依頼者との面談も、誰かが代わってくれるわけじゃない。自営業である以上、自分が止まればすべてが止まる。それがプレッシャーでもあり、同時に支えでもある。仕事があるから生きていられる。でも、仕事があるから苦しくなる。この矛盾の中で、今日もまた布団から出る覚悟を決める。

事務員に弱音を吐けない自分がいる

唯一の事務員は、真面目で気が利くいい子だ。でも、彼女に弱音を吐いたことはない。というより、吐けない。上司としての立場もあるし、心配させたくないという気持ちもある。だから、今日も「大丈夫そうな顔」を作って事務所に入る。これは演技というより、自己防衛だ。誰かに頼れない自分を保つための、苦しい習慣かもしれない。

予定表のスケジュールはいつもぎっしり

Googleカレンダーを見ると、ほとんど空白がない。午前中は役所まわり、午後は面談や調査、夜は報告書の作成。スケジュールが埋まっているのはありがたいことだし、生活の糧にもなる。でもその一方で、逃げ場がないとも感じる。心に余白がない。自分の人生に「好きなことを考える時間」がなくなっていることに気づくと、また布団の中でため息が増える。

ため息の回数で忙しさを測っている

最近、自分の忙しさはスケジュール帳じゃなくて「ため息の数」で測っている気がする。朝一のため息、昼のため息、夕方のため息、帰宅後のため息…。気づけば、何度も息を吐いている。そのたびに、「ああ、今日もまた疲れてるな」と思う。このサイクルを断ち切りたいけれど、どうしたらいいのか分からない。せめて今日は、夜だけでも深呼吸をして眠りたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓