誰もいない部屋に帰るということ
日が暮れて事務所の電気を消し、カバンを肩にかけて車に乗る。今日もひとりで夕飯を食べ、ひとりでテレビを見て、ひとりで眠る夜がやってくる。別にそれが珍しいわけでもないし、もう慣れてしまっているはずなのに、やっぱり「誰かがいる帰り道」って、いいなあと思ってしまう。疲れた体を引きずるように玄関のドアを開けるとき、「ただいま」と口に出すクセがついてしまっているのは、自分でもちょっと笑える。
玄関の鍵を開ける音だけが迎えてくれる
自動ドアでもない、手動の鍵を「カチャ」と開ける音。それが、この家で唯一の「おかえり」と言ってくれる音だ。昔は実家に帰ると、母親が台所から「おかえり」と声をかけてくれた。あの何気ない言葉に、どれだけ支えられていたのかと思い知る。今は誰も待っていない。飼い犬もいない。カーテンも開けたままで、朝のまんま。帰ってきた実感すら、薄い。事務所よりも無機質で、静かで、寒々しい。
ただいまと言っても返事はない
今日もなんとなく「ただいま」とつぶやいてみる。でも、もちろん返ってくる言葉はない。スマートスピーカーを置いたらどうかと考えたこともある。AIが「おかえりなさい」と答えてくれるらしい。でもそれを設定してまで自分を慰めたいのか、と考えると、なんだか虚しくなって結局買わなかった。誰かに言ってもらう「おかえり」が欲しい。けれど、それがどれほど貴重なものかを、ようやく知った。
テレビをつけても心の空白は埋まらない
とりあえずテレビをつける。ニュース番組のアナウンサーが「こんばんは」と言ってくれるけど、それは僕に向けてじゃない。音はあるのに、孤独は消えない。バラエティの笑い声が、むしろ部屋の静けさを際立たせる。気づけばリモコンを握ったまま、ボーッと画面を見ている時間が1時間。何をしてたんだっけと自問しながら、ただ時間をやり過ごしている夜。誰かと過ごす時間って、こんなにも貴重なんだなとしみじみ思う。
仕事は山積みだけど空しい夜
司法書士の仕事は、手を抜こうと思えばいくらでも抜けるけど、逆にやろうと思えば永遠に終わらない。登記の申請、書類チェック、顧客対応、そして明日の予定確認。日中はバタバタしていて、自分の寂しさなんて忘れている。でも、夜になって事務所を出ると、一気に現実が押し寄せてくる。「あれだけ働いて、今夜も一人か」って、つい思ってしまう。贅沢な悩みなのかもしれないが、心がぽっかり空いた感じがしてならない。
相談を受ける立場でも心は誰にも見せられない
僕ら司法書士は、人の悩みや不安を受け止める仕事だ。相続や借金、家族との問題、時には涙をこらえながら話を聞くこともある。でも、自分のこととなると話は別だ。誰かに弱音を吐くなんて、照れくさいし、相手もいない。事務員の女性に「先生、疲れてませんか?」と言われると、嬉しいけれど、そんな一言に胸が詰まりそうになることもある。自分だって誰かに相談したい夜はある。けれど、それができないのがこの仕事の現実だ。
ふと気づくと誰とも会話していなかった一日
先日は特に忙しかった日で、終日外出もなく、電話も少なく、書類とだけ向き合っていた。夕方になって「今日、一言も発声してない」と気づいて、ぞっとした。人間って、こんなに黙っていられるものなんだな、と妙に感心すらしてしまった。でも、それって健康的とは言えないよなと後から思う。人と関わらなくても成立する仕事の側面が、孤独を加速させる。そんな日の夜は、無性に誰かの声が恋しくなる。
せめて事務所では笑っていたいけれど
僕には一人、長年勤めてくれている事務員さんがいる。彼女の存在は本当にありがたい。でも、変に気を遣わせたくなくて、事務所ではなるべく明るく振る舞うようにしている。冗談を言ったり、少し声のトーンを上げたり。だけど、それがまたしんどい日もある。心がくたびれているのに、笑顔を装うって結構なエネルギーがいる。でも、誰かがいる場所では、弱さを見せられないのが、僕の不器用なところかもしれない。
人に頼るのが下手な自分
昔から、甘えるのが下手だった。野球部の頃も、ケガしてても我慢して練習に出ていたし、誰かに「無理だ」と言うのが怖かった。司法書士になってからも、その性格は変わらない。むしろ仕事の責任が重くなる分、ますます頼れなくなった気がする。「大丈夫です」と言いながら、実は全然大丈夫じゃない。そんな夜を何度も越えてきた。でも、「誰かに頼ってもいい」と思えるようになることは、弱さじゃなくて、人としての柔らかさだと思いたい。
元野球部の意地と孤独な頑張り
僕にとって「根性」は美徳だった。練習中、汗と泥にまみれて、チームメイトと励まし合った日々。だけど今は、グラウンドもなく、仲間もいない。ただ、自分の中の「意地」だけが残っている気がする。誰にも頼らず、黙々と働き、帰っても誰もいない部屋。そんな毎日に、時々「何やってるんだろう」と思う。でも、あの頃の自分に恥じないように、歯を食いしばって仕事をしている。だけど正直、たまには誰かに甘えてみたい。
誰かに頼りたい夜もある
心が折れそうな夜は、誰かに「頑張ったね」と言ってほしい。ただそれだけなのに、それすら叶わない夜がある。SNSを開けば、誰かの幸せそうな投稿が並ぶ。けれど、スマホを置いた後に残るのは、虚しさだけだったりする。頼れる人がいないわけじゃない。連絡すれば、話を聞いてくれる友人もいる。でも、それを「迷惑かもしれない」と思ってしまう自分がいる。人に頼るって、勇気がいる。そんな夜は、特に強がってしまう。
優しさが重くなることもある
「先生って優しいですね」と言われることがある。きっと悪い意味じゃない。でも、優しさって、時には重たい。誰かを気遣って、自分の感情を押し殺すこともある。優しい人ほど、疲れやすいのかもしれない。僕も、もう少し鈍感になれたら楽なのにな、と思うことがある。けれど、そんな性格だからこそ、司法書士として、人に寄り添うことができるのかもしれない。報われる日が来ると信じて、また明日も「おかえり」のない夜に帰る。
「おかえり」がないからこそ気づけること
独り暮らしの寂しさは確かにある。でも、「おかえり」がない日々を過ごしてきたからこそ、見える景色もある。たとえば、依頼者が不安を抱えて事務所に来るとき、僕の「こんにちは」の一言が、少しでも安心につながっているなら、それはきっと意味のあることだと思える。誰かに必要とされること。それが、今の僕にとって最大の救いなのかもしれない。そして、いつか自分にも、本物の「おかえり」が届く日を、密かに願っている。