夕方になっても終わらない頭の中の業務
夕方、事務所の電気を消し、最後にドアを閉めたはずなのに、なぜか頭の中ではまだ仕事が続いている。今日の申請書にミスはなかったか、あの依頼者の一言にどう答えるべきだったか。机の上は片づけても、心の中は片づかないまま。こんなこと、もう何年も続いている。特に開業してからは、自分以外に責任を取ってくれる人がいないから、仕事が終わったという実感が湧かない。退勤という概念がないのだ。
退勤はしたのに気持ちはまだデスクにいる
スマホを手に持ったまま、帰宅後もメールが気になる。事務員には「もう気にしなくていいよ」と言いながら、自分はその通知音に一喜一憂してしまう。大した内容じゃないことが多いのに、もし何かあったらと思ってつい確認してしまうのだ。しかも確認したところで、今すぐに解決できることなどほとんどないとわかっていても、頭だけが業務モードに戻ってしまう。こうしてまた、心のスイッチを切り損ねる。
頭の中で再生される今日のやりとり
夕飯を食べていても、頭の中では今日の相談内容や依頼者との会話がリプレイされている。特に気になるのは、少しでも不安を与えてしまった発言がなかったかどうか。相手は気にしていないかもしれないが、自分の中では「あの言い方でよかったのか」と何度も反芻する。録音したわけでもないのに、頭の中にしっかり記録されていて、それが夜の心を騒がせる。
あの一言を訂正したいという後悔
「あとで補正できますよ」と軽く言った一言が、気がかりで仕方ない。補正できるとはいえ、相手はそれをどう受け取っただろうか。軽く受け止められたらいいが、「この人、本当に大丈夫か」と思われたらどうしようと心配になる。言葉は消せない。だからこそ、帰宅後に思い出しては胸のあたりがザワザワする。この後悔が眠りを遠ざけるのだ。
小さな事務所ゆえの責任の重さ
うちは事務員が一人という小さな事務所。任せられることも多いけれど、結局、最終的な責任は全部自分が取る。そう思うと、事務員が帰ったあとも書類に目を通さずにはいられない。楽になると思って雇ったはずが、別の緊張が生まれている。これは性格の問題なのか、それとも司法書士という職業病なのか。
一人雇ったら楽になると思っていた
正直、最初は夢を見ていた。誰かに手伝ってもらえれば、少しは楽になるだろうと。でも実際は、指示を出す責任、確認する責任、教える責任が増えただけだった。もちろん助かる場面も多い。でも「自分が全部やっていた頃のほうが、気楽だった」と感じることがあるのも事実だ。
分担しても責任感は半分にならなかった
仕事を分担しても、責任は半分にはならない。むしろ「自分がチェックしなければ」というプレッシャーが強くなる。これは信頼していないということではない。ただ、役所や法務局は甘くないし、ミスがあれば結局こちらが責任を負う。それが頭のどこかに常にあるから、気が休まらない。
独身司法書士の帰宅後に残るモヤモヤ
仕事の緊張が抜けないまま帰宅し、電気をつけた部屋でひとり座る。誰かに話せば楽になるのだろうけれど、そういう相手はいない。元野球部のクセに、寂しさには弱いタイプだったりする。せめてテレビでも観ようとリモコンを手にするけれど、集中できずにまたスマホを開いてしまう。悪循環だ。
話す相手がいない静かな夜
たまに「今日はこんなことがあってさ」と話したくなる夜がある。でもそれを聞いてくれる人がいない。友人は家庭を持ち、同業の知人とは業務の話しかしない。だからこそ、モヤモヤが溜まりやすい。結局、話さずに飲み込んで、翌日また似たようなことが起きて、蓄積していく。
野球中継で紛らわせるも一瞬
テレビをつけて、昔応援していた球団の試合を観る。ピッチャーが汗を拭う姿に、自分を重ねてしまう。勝負の世界は違うようで似ている。ただ、気が紛れるのも一瞬。CMに入ると、さっきの案件のことがまた頭をよぎる。野球が終わっても、心の中の延長戦は終わらない。
それでも明日も机に向かう理由
こんなふうに疲れているはずなのに、翌朝になるとまた机に向かってしまう。それは、たとえ些細でも「ありがとう」と言われる瞬間や、書類が無事に通ったときの安堵感が心のどこかに残っているからかもしれない。誇りと言えるほど大層なものではないが、この仕事にしかない達成感があるのも事実だ。
逃げたら楽になるのかという問い
ふと「辞めたら楽かな」と考える日もある。でもそれは、ただ逃げたい気持ちに負けたときの思考でしかない。本当に辞めたら、きっと今度は「やめた自分」を責めるだろう。だから今日もギリギリのところで踏みとどまっている。逃げないことが正しいかはわからないが、自分なりの戦い方だ。
ふとした瞬間に感じるこの仕事の誇り
何気なくすれ違った依頼者が、笑顔で「助かりました」と言ってくれる。そんなたった一言で、数日のモヤモヤが少しだけ和らぐことがある。不器用だけれど、人の役に立てる場面がある限り、やはりこの仕事を続けていく意味はある。心が休まらない夜もあるけれど、それでもまた、明日は来る。