人知れず積み上げた毎日のこと
司法書士という仕事は、派手さもなければ、スポットライトを浴びることも少ない。日々、依頼者の相談に応じ、書類を整え、法務局や裁判所とやり取りする。華やかではないが、確実に誰かの生活を支えている実感はある。ただ、それを誰かが口にして褒めてくれるわけじゃない。朝起きて、机に向かい、静かに淡々と書類と向き合い、時には胃が痛くなるような責任をひとりで抱えている。そんな日々の積み重ねに、拍手はない。
朝から晩まで誰も見ていない机の上で
自宅兼事務所の狭い机。朝の7時には座り、夕方過ぎまでずっと何かしらの書類に目を通している。誰にも頼まれていないのに、ついチェックしすぎてしまう性分だ。大きな案件が終わっても、「ああ、お疲れさま」と誰かに言ってもらえるわけじゃない。家族がいるわけでもないし、同僚もいない。唯一の事務員さんは忙しくしているし、余計な心配はかけたくない。そんな孤独な机の上で、毎日コツコツ積んできた時間が、誰にも見られていないことにふと気づく。
相談者には笑顔で向き合って
「先生、ありがとうございます」そう言われると、やっぱり嬉しい。それが一言でもあるだけで、気持ちは救われる。相談者の前では、ちゃんとした大人の顔でいなければと気を張っている。笑顔を作って、声のトーンを整えて、安心させるような話し方を心がけている。でも、本音を言えば、その笑顔の裏では「誰か、自分にも優しくしてくれないかな」と思っていたりする。情けない話だけど、笑顔を向けている自分も、どこかで同じものを求めていたのかもしれない。
でも帰り道にはため息しか出ない
外は暗くなっていた。車を運転しながらふと、「今日も誰にも褒められなかったな」とつぶやくことがある。別に見返りが欲しくてやってるわけじゃない、なんて強がりは通じない。誰かに認めてほしい、そんな気持ちはいつまでも消えないままだ。自分で自分を褒めればいいとわかっていても、それができない夜が多すぎる。ため息ひとつで、今日の仕事を終えたことを脳に知らせて、明日もまた、同じ毎日が始まる。
結局のところ褒められたかっただけだった
司法書士になって20年近く。振り返ると、最初から今までずっと「誰かに認めてもらいたい」だけで走ってきた気がする。もちろん仕事としての使命感もあるし、クライアントの役に立ちたいという思いもある。でも、根っこを掘り下げると、少年時代に置き去りにしてきた承認欲求が、今でも自分を動かしているような気がするのだ。「よく頑張ってるね」その一言が、どれだけ自分の心を救ってくれるか、たぶん誰にもわからないだろう。
子どものころは親の一言がすべてだった
野球部で打ったヒット。試合後に母が言った「今日は頑張ったね」の一言。それだけで泣きそうになるほど嬉しかったのを覚えている。でも、そんな言葉をもらえたのはほんの数回。あとは「もっとやれたんじゃないの」「勉強もちゃんとしなさいよ」といった、期待を裏切るまいとする重圧ばかりだった。大人になっても、あの「頑張ったね」に飢え続けている自分がいる。
野球部で味わった唯一のヒーロー体験
高校最後の夏、9回裏ツーアウト満塁で打席が回ってきた。結果はセンター前ヒット。ベンチから飛び出す仲間の笑顔と、スタンドの拍手。あの瞬間、自分が「ヒーロー」だった。でも、あれが人生で最初で最後だったのかもしれない。司法書士になってからは、どれだけ頑張っても拍手も歓声もない。たまに誰かから感謝されても、あのときの熱量にはほど遠い。
今は誰もガッツポーズしてくれない
何度も難しい案件を乗り越えてきた。登記にトラブルがあっても一晩中調べて何とかした。けれど、それを知ってるのは自分だけ。誰もガッツポーズしてくれないし、勝利の音楽も流れない。ただ静かにメールを送り、請求書を出すだけ。高校のグラウンドに立っていたあの頃、自分がこんなに無音の世界で生きるようになるとは思ってもいなかった。
事務員さんに言えない「弱音」のこと
彼女はよくやってくれている。感謝もしているし、信頼もしている。ただ、それでもこちらが「今日はきついな」と漏らせる関係かと言われれば、そうじゃない。自分が愚痴をこぼせば、かえって気を使わせることになる。だからこそ、弱音は胸の内にしまってしまう。だけど、本音を言えば聞いてほしい夜もあるのだ。
忙しいのはわかってるけど誰か聞いてほしい
事務所の隅っこの棚に、昔の野球のグローブが置いてある。手に取ってみると、あの頃の「うるさいぐらいの声援」を思い出す。今の自分には、声をかけてくれる人がほとんどいない。だからこそ、たった一言「大変だったね」とか「頑張ったね」と言ってくれる存在がほしい。そんな願いは、贅沢なんだろうか。
ねぎらいの一言が今日も届かない
誰かから届くLINEもない。メールも業務連絡だけ。SNSを開けば、みんな頑張ってるように見えて、余計に疲れる。自分の頑張りはどこにも発信されていないし、誰にも届いていない。ねぎらいの言葉が欲しいなんて、大人げないと思いながらも、心のどこかでずっと待っているのだ。
でもそれを求めてる自分が情けない
「褒めてほしい」「ねぎらってほしい」そんなことを願っている自分が、ふと鏡に映ると情けなくなる。もっと強くあれ、もっと大人であれ、そんな声が聞こえてくる。でも、その強がりを抱えすぎて、疲れているのも事実だ。誰かに言ってほしかっただけなのに、それすら言えずにいるのが今の自分だ。
司法書士という職業はやりがいか孤独か
「責任感がある」「真面目で堅実」司法書士という仕事に対して、そんなイメージを持っている人も多いだろう。たしかに、そうかもしれない。だけど、その裏側には、常にひとりで答えを出さなければならない孤独がある。褒められることは少なく、怒られるリスクだけが山のように積み重なる。それでも続けるのは、どこかに「誰かが見てくれている」と信じているからかもしれない。
誇りはあるけど報われている気がしない
登記が通ったとき、任務を全うしたとき、心の中で「よし」と思う。でもそれだけだ。拍手はなく、成功が当たり前の世界。誇りはある。でも報酬も少なく、承認もない。「俺、何やってるんだろう」と虚しくなる瞬間もある。それでも仕事は回っていく。
ミスすれば責任 成功しても当然
1つのミスで信用を失う。そんな恐怖を抱えながら、完璧を求められる日々。でも、完璧にこなしても「当然」としか受け取られない。それがこの仕事の現実だ。成功の裏にある努力を誰も知らない。だからこそ、たまには言いたい。「当たり前じゃないんです、それ」と。
結局自分を褒められるのは自分しかいない
他人に期待するのはやめた。そう思いながらも、どこかで誰かの声を待っている。でも、最終的には自分で自分をねぎらうしかないのかもしれない。「今日もよくやったよ」と、自分にだけでも言ってあげる。それが明日を生きる唯一の糧になっている気がする。