朝の静けさとキーボードの音だけが響く
朝8時。シャッターを開ける手が少し重い。誰も待っていないとわかっていても、開けるのが僕の仕事だ。事務所の中は、昨日片付けたままの静けさ。新聞配達の音も、通勤の車の音もない。ただ、僕の足音とキーボードを叩く音だけが空間を埋めていく。この「誰も来ないかもしれない一日」の始まりが、いつの間にか日常になった。人と話すことが少ないと、自分の中の声ばかりが大きくなっていく。
開けても開けても扉は開かない
ドアのガラス越しに外を見ても、人影はまばら。予約もなく、飛び込みの相談もない日が続くと、扉の向こうが別世界に見える。「もしかして今日は誰も来ないかな」と、心のどこかで期待しながら不安を感じてしまう自分がいる。これはもう、開業して十年以上になるけれど、慣れるようで慣れない孤独だ。
誰も来ないことに慣れてしまった自分
最初は毎朝、誰かが来ると信じていた。でも来ない日が続くと、段々と「今日は何もなくていいかも」と思い始める。そんな自分が怖いような、楽なような。独立するって、こういうことなんだろうな。肩書は「司法書士」でも、実態は「無人の店番」のような気分になる。
「今日は何件かな」とつぶやく朝
PCを開いてまず確認するのは、法務局からの完了通知とメールの件数。目の前に人はいないけれど、確かに仕事は動いている。でも、やっぱり人と顔を合わせて「ありがとう」と言われる日が恋しくなる。「今日は何件かな」ってつぶやく声だけが、事務所にこだまする朝がある。
事務員の気配だけが救いの日
隣のデスクから聞こえる、紙をめくる音やマウスのクリック音。その気配に、どれだけ救われていることか。事務員が一人いるだけで、事務所がただの「作業場」にならずにすんでいる。彼女がいなかったら、僕はこの空間の静けさに耐えられただろうか。
お互い無言でも感じる存在感
多くを話さない。でも、お互いの空気があるだけで安心できる。わざわざ口に出さなくても、ペースを保って働ける。僕が少し疲れていると、さりげなくお茶を出してくれる。そんな優しさに、心が温まる瞬間がある。孤独の中に、かすかな連帯がある。
コーヒーを淹れてくれるだけで救われる
忙しくても、彼女がコーヒーを入れてくれる。それがルーティンのようになっている。「あ、飲みます?」の一言に、思わず「ありがとう」と返す。たったそれだけのやりとりでも、人と関われることのありがたさを思い知る。こういう小さなことが、今日も頑張ろうと思わせてくれる。
登記は止まらない日常のルーティン
誰かが来なくても、登記申請は進めなければならない。ネットで届いた依頼を処理し、必要な書類を確認し、期限通りに提出する。相談はなくても、仕事はある。そんな毎日を繰り返すうちに、司法書士って孤独な職業だとあらためて思う。でも、孤独だからこそ、自分の手で支えている感覚がある。
依頼が来るのはメールとFAXだけ
今や、登記の大半はメールとFAXで完結する。顔を合わせず、声も聞かず、ただ画面上の指示だけで仕事を進める。便利になったけれど、どこか味気ない。かつては相談者とじっくり話し、納得してもらうまでが仕事だった気がする。今は「効率」が優先される。
人と会わなくても仕事は回る時代
この業界もデジタル化が進んだ。書類のやり取りも、押印も、すべてオンラインで完結できるようになってきた。便利になったのは確かだが、人との関わりがどんどん薄れていくのを感じる。業務としては問題ない。でも、仕事をしているという実感が希薄になってしまう日もある。
便利だけど孤独が深まる
かつてのように、玄関のチャイムが鳴って「相談いいですか」と言われる瞬間は減った。メールの「登記お願いします」は、事務的で効率的。でも、画面越しのやりとりに心が乗らない。結局、ひとりで静かに進める作業ばかりが増えていく。気づけば、誰とも会話していない日が増えた。
登記完了の通知だけが喜び
登記が完了した通知を見ると、ほんの少しだけ達成感を感じる。そこに「ありがとう」や「助かりました」の言葉があれば救われる。でも、大半は何も言われず終わる。自己満足だけが支えの仕事だ。それでも、きちんと完了させた自分をほめてやるしかない。
誰にも褒められない達成感
通知を見て「よし」とつぶやく。その声を聞いてくれる人はいない。家族もいないし、恋人もいない。でも、仕事だけはちゃんとやっている。そんな自負が、今日も自分を動かしている。誰かに褒められたくてやっているわけではない。でも、ちょっとは褒められたい気持ちもある。
「よくやった」と自分に言う癖
ひとりで長く仕事をしていると、自分をねぎらうことが習慣になる。「今日もやったな」「ちゃんと回したぞ」と、自分に言うようになる。これがないと、どこかで折れてしまう気がする。野球部時代に、誰も見ていなくても素振りを続けたあの感覚に、少し似ている。
それでも事務所は続いていく
今日も朝が来て、シャッターを開け、パソコンを立ち上げる。誰が来なくても、仕事があろうがなかろうが、事務所は僕の仕事場だ。司法書士でいることに誇りはある。でも、それはにぎやかで派手なものじゃない。静かで、ひとりで、淡々としている。けれど、確かに続いている。
来客ゼロの日もドアは開ける
無意味かもしれない。でも、ドアを開けることには意味があると思っている。そこに、誰かが入ってくる可能性があるから。たとえ今日じゃなくても、明日かもしれないし、一週間後かもしれない。その「かもしれない」のために、僕は毎日シャッターを開け続ける。
いつか誰かが来るかもしれない
ある日突然、「ホームページ見ました」と訪ねてくる人がいる。そういう奇跡みたいな日が、年に数回ある。その一回のために、残りの360日があってもいい。誰かに必要とされる瞬間が、司法書士という仕事の報酬だと思っている。
不安と希望を混ぜた毎日
経営は楽じゃない。家賃も光熱費も人件費もかかる。誰も来ない日が続くと、不安は募る。でも、どこかで「この仕事はやめたくない」と思っている自分もいる。静かだけれど、誠実に続けていれば、見てくれている人は必ずいる。そう信じて、今日もひとりで登記を進めている。
見えない誰かのためにやっている
画面の向こうにいる誰かの暮らしを想像する。土地を買った人、家を建てる人、会社を設立する人。その人たちの大事な節目を、僕は静かに支えている。それだけで、やる意味があると思える。たとえ顔を合わせることがなくても、僕の手が誰かの役に立っていることを信じて。
顔も知らない相手のために
登記の依頼者とは、最後までメールだけのやりとりで終わることも多い。でも、その人にとっては、人生の大きな一歩かもしれない。僕が黙々と処理した書類の先に、誰かの新しい生活がある。そう思えば、ひとりの静かな仕事にも意味がある。
登記の先にある暮らしを思う
誰も来ない日も、誰かの暮らしは動いている。その一部に関われるのが、司法書士という仕事だ。派手さはない。でも、しっかりと地に足をつけた仕事。そんな誇りを胸に、今日もひとりで事務所に座っている。