法定相続と聞くだけで胃が重くなる
司法書士として仕事をしていると、「法定相続」という言葉に出会わない日はほとんどありません。けれども、この言葉を聞くたび、なんとも言えない重苦しさを感じます。仕事として淡々とこなすべき書類のはずなのに、依頼人の表情や沈黙からにじみ出る複雑な感情が、心にずっしりと残るんです。そういう自分も、家族や親族のことになると、うまく言葉が出てこなくなる。正直な話、法定相続というのは、制度としては整っているけれど、人間の感情にはまったく対応しきれていないと感じる瞬間が多々あります。
親族からの相談が増えるたびに思うこと
親戚づきあいが薄くなったとはいえ、何かあったときだけ「司法書士だから教えて」と連絡が来る。そういうとき、「専門家として頼られてるんだな」と思う半面、「またか」と少しため息が出るのも本音です。実際には、制度の説明だけで済まないことがほとんど。遺産の額よりも、心の整理や人間関係のもつれの方が話の中心になってしまう。それを受け止めきれない自分に対して、情けない気持ちになることもしばしばです。
「家族なのに敵みたい」と言われる瞬間
ある相談者が、開口一番「兄がまるで他人のようになってしまって」と言ったとき、ぞっとしました。幼いころは一緒に野球をして育った仲の良い兄弟だったそうです。だけど、親が亡くなり、家をどうするかという話になった瞬間に、意見は割れ、相続分で揉め、「お前なんか長男ヅラするな」と言われたとか。財産があるから揉めるんじゃなくて、思い出が詰まってるからこそ拗れる。その実例をまざまざと見せつけられた気がしました。
うちの親族も他人事じゃない
実は私の家族も、相続の話題になると空気が重たくなります。祖母の家をどうするか、誰が住むか、売るか残すか。その議論が始まると、ふだん温厚な親族が妙に無口になり、場の空気が凍るんです。私は司法書士なのに、自分の家族のこととなると口出ししづらくなる。中立の立場を保つって、他人よりも身内の方がよほど難しいんです。
家の相続は「感情」と「法律」の板挟み
理論上はすべて明確。相続分は法律で決まっていて、戸籍を確認し、財産を洗い出し、登記を移すだけ。ところが実務では、感情がそれを何倍も複雑にします。書面上で平等でも、実際の人間関係は不平等だったり、記憶がそれぞれ違ったり。話し合いの場では、過去の恨みや、昔の発言まで飛び出して、話が前に進まない。書類に書かれた相続割合が、まるで人間関係のヒビをあぶり出すインクみたいに見えるんです。
制度は正しいのに納得はされない
「兄と私で半分ずつ?でも私は親の面倒をずっと見てきたのに、それっておかしくないですか?」こういう声は本当に多いです。感情としては痛いほど分かります。けれども、法定相続分は機械的に分けるためのもの。介護の負担や思い出の濃さまでは勘案されない。だからこそ「法律が冷たい」と言われてしまうんですが、それは法律の限界でもあります。そしてそれを説明するのが私たちの役目。だけど、正しいことを言うのが一番しんどい瞬間でもあります。
相続分よりも「心の不公平感」が厄介
制度上の公平と、気持ちの中の公平って、まったく違うんですよね。たとえば、実家に長年住んでいた妹が「家を私にくれるはずだった」と言う。でも名義は父親のままで、兄弟も当然相続人。だから話がこじれる。気持ちでは「私の家」でも、登記上は「父の不動産」。このズレが、もめ事の引き金になるんです。感情には証拠がないから、どこまでも平行線。
書類よりも言葉が刺さる場面も
相続協議の場で、書類に押印するその前に飛び交う言葉が怖いと感じることがあります。「お前だけが得して」「口ばっかりで何もしてこなかったくせに」。書類は淡々としているのに、言葉は情け容赦なく突き刺さる。まるで紙の上では割り切れても、人の心は割り切れないって見せつけられる瞬間。書類作成の専門家である自分が、何の力にもなれないように思えて、無力感を覚えます。
争いは起きるべくして起きている
「うちは大丈夫、兄弟仲いいから」と言っていた方が、手続きに入ると突然険悪になるケース、少なくありません。相続というのは、人間関係の本音を引き出してしまう不思議な力があります。隠れていた不満が噴き出す、まさに感情の地雷原。あれだけ仲の良かった兄弟が、遺産の話になると連絡を取らなくなる。そういう現場を見ていると、争いは突発的ではなく、蓄積の結果だと実感します。
もめるのは「金額」じゃなく「気持ち」
実際のところ、財産の額が何千万もある家より、数百万程度しかない家の方が揉めるケースもあります。「お金の問題じゃないんです」とよく言われるけど、本当にその通りで。問題は金額よりも、「自分の努力が報われていない」と感じてしまう気持ち。その思いが積もって、法定相続の枠の中では収まらなくなる。感情は、紙の上では処理できないんです。
仲の良かった兄弟が急によそよそしく
私の友人の兄弟もそうでした。親の死をきっかけに、ずっと仲良くやっていたのに急によそよそしくなった。「今さら話すのも気まずくて」と言っていたけれど、あの頃きちんと話し合っていたら…と何度も後悔している様子でした。遺産は結局どうにかなったそうですが、関係は元に戻らなかったと聞きます。金銭よりも、関係の方が取り返しがつかない。それが相続の怖さです。
昔の話を蒸し返す不思議なタイミング
相続の話をしていると、なぜか子どもの頃の話や、30年前の言い争いまで飛び出してくるんです。お互いに「そんなこと言ったっけ?」と笑えるならいいですが、たいていは「そういうところが気に入らなかった」とヒートアップする。家族というのは過去の積み重ね。その積み重ねを清算するような場が、相続なのかもしれません。司法書士として、そうした場面に同席するたび、家庭って難しいなあとつくづく思います。