恋人いないのかと聞かれた瞬間に胸の奥がざわついた
「恋人いないんですか?」という、たった一言。その日も、仕事終わりの飲み会で同席した司法書士仲間の奥さんに軽く聞かれただけだった。でも、その瞬間、心の中にざわっとしたものが広がった。昔なら冗談めかして返せたはずなのに、今はもう無理だった。答えが見つからない。笑えない。下手に答えたら哀れに思われる気がして、曖昧に濁すしかなかった。なぜこんなにも刺さるようになったのか、自分でもよくわからない。ただ、あの時の空気は妙に重く感じられた。
最初はただの雑談だった
別に悪気があったわけではない。周囲もただ話題を振っただけだろうし、聞いた方も社交辞令の延長線だったのだろう。でも、自分の中ではそれが「踏み込まれた」と感じてしまった。どう返せばいいか迷っているうちに、何かしら気まずい空気が流れてしまったのがわかった。気にしすぎかもしれない、そう思おうとしたけど、気になってしまった。
軽い質問のつもりなんだろう
きっと相手は、ほんの軽い世間話のつもりだったのだと思う。話題に困って口をついて出ただけ。誰が恋人いるかいないか、そんな話題は居酒屋でもよくある。しかし、自分にとっては、それが「なぜいないのか」「いたことあるのか」「この先どうするのか」という人生丸ごとの話に直結してしまう。だから笑えない。反射的に黙ってしまった。
でもこちらにとっては深く刺さる
「いないですけど、別に気にしてないですよ」と明るく答えられる時期もあった。でも今は違う。誰に責められてるわけでもないのに、心の奥で「それはお前に何か欠けてるからだろ?」と自分で自分を責める声が聞こえる。そんな自分の思考のクセに気づいて、さらに落ち込む悪循環。質問が地雷になる瞬間とは、つまりそういう内側の揺れだ。
笑って流せていた時期もあった
二十代や三十代の頃は、こんな質問をされても全然気にしていなかった。むしろ「いないですよ、今は仕事が恋人です」なんて軽口を叩けていたくらいだ。でも、年を重ねて四十代も半ばに差しかかると、そうもいかない。だんだんと「なぜ?」という意味が重くのしかかってくる。誰かの視線ではなく、自分自身の問いかけとして。
若かった頃の自分は余裕があった
昔は、「まだその気になれば誰か見つかる」と根拠もなく思っていたし、独りでいることに対しても前向きだった。周囲も独身者が多かったし、婚活という言葉すらまだ今ほど一般的ではなかった。何より、今よりも未来が開けているような気がしていた。だからこそ、恋人がいないことに笑っていられたのだと思う。
仲間内の冗談にもノれる強さ
野球部の仲間と集まると、「お前まだ一人なのかよ」なんて軽口が飛び交った。そんな時も、「だって俺は選ばれし孤高の男だから」とか「女よりグラブが相棒だからな」なんて返しては、場を盛り上げていた。でも今、その冗談が出てこない。同じ言葉を吐いても、何となく空々しくなる自分がいる。
一人でも楽しいと強がっていたあの頃
独りの時間も楽しめていたし、趣味に没頭することで孤独を感じなかった。自分のペースで生きることが自由で、むしろ誇りだった。でも、それは強がりでもあったのかもしれない。今もその生活は変わらないのに、どこか空虚に感じる瞬間が増えた。強がりが剥がれ落ちた先にあるのは、ただの寂しさだった。
気づけば年齢という重荷がのしかかっていた
三十五を超えたあたりから、「結婚は?」と聞かれる回数が明らかに増えた。それが四十を超えると、「もうしないの?」と変わっていった。自分の意志よりも、周囲の空気が「そろそろ決断しなよ」と無言の圧をかけてくる。田舎という場所柄もあるのかもしれない。少しだけ、それが重たく感じるようになっていった。
四十五歳の肩書きと独身の重み
司法書士という職業は、一見すれば「しっかりした職業」の象徴のように思われる。でも、それが逆に「ちゃんとしてるのに何で独身なの?」という疑問を呼び起こす。もちろん他人はそんな風に思っていないのかもしれない。でも、自分の中ではそう聞こえてしまう。肩書きと現実のギャップが、静かに自尊心を揺さぶってくる。
地方で司法書士という生き方
都会なら気にされないことでも、地方では違う。役所や銀行などで「奥様は?」と聞かれるたび、地味にダメージを受ける。司法書士として信頼を得ている反面、「ちゃんとしてる人」というイメージが先行して、独身という状態が妙に浮いて見える。言葉にしない圧力が、日常の中に静かに積もっていく。
周囲の視線が勝手にプレッシャーをかける
「紹介しましょうか?」という善意がありがたくも、つらくもある。「何か問題でもあるのかな」と思われていそうで、気が引けてしまう。実際は何の問題もないのに、自分で自分を責めるようになってしまう。それは他人のせいではなく、自分の中の声の問題なのだと気づいてはいるけれど。