職業を聞かれることがこんなにも苦しいとは思わなかった
昔は「司法書士です」と名乗るのが、どこか誇らしかった。ちゃんと国家資格を取って、それなりに頑張ってきたという自負もあったし、「すごいですね」と言われるたびに少しだけ肩の力が抜けた。しかし、いつからだろう。最近では、その一言を口にするのがどこか億劫になってきた。気のせいかもしれないけれど、「ふーん」とか「大変そうだね」といった反応が増えた気がするし、自分でも何かを隠すように笑ってしまう。自分の肩書きなのに、うまく使いこなせない、そんな感覚がある。
かつては誇らしかった肩書きだった
司法書士になりたての頃は、それはもうテンションが高かった。「どんな仕事してるんですか?」と聞かれたら、「司法書士やってます」と胸を張って答えていた。親戚の集まりでも、同級生との再会でも、ちょっとだけ鼻高々になってしまう瞬間があったのは正直なところだ。誰かの役に立つ仕事だと思っていたし、実際に感謝される場面もあって、それが自分の存在価値を肯定してくれていた。
「司法書士です」と言うたびに湧いていた自信
司法書士という職業は、あまり馴染みがない人も多いけれど、「法律関係の仕事です」と伝えると、それなりに尊敬の眼差しを向けられることがあった。それが、嬉しかった。誰かに認められること、社会的に意味のある存在であると感じられること、それが「司法書士」という肩書きの力だった。正直、資格を取った当初は、その響きだけで飯が食えそうな気がしていたくらいだ。
初対面の相手にも堂々と答えていた頃
合コンに行ったときも、「司法書士やってます」と言うだけで、ちょっとした話題になった。「えー、難しい資格ですよね?」「ドラマで見たことある!」なんて反応もあって、自分の存在が引き立てられる感覚があった。今思えば、あの頃は自分が司法書士という肩書きに酔っていた部分もある。でも、少なくともその頃は、自分の職業に自信を持っていた。それが、今ではどうだろう。あの頃の自分を思い出すと、少しだけ寂しくなる。
ある日を境に違和感を覚え始めた
ある時期からだろうか、「司法書士です」と名乗るたびに、微妙な反応をされることが増えた。景気の話や、AIの進化、士業の将来性など、世間の目が変わってきたのかもしれない。「食えてるの?」「最近暇でしょ?」といった言葉が冗談交じりに飛んできて、それを笑い飛ばす余裕が自分の中でだんだんなくなっていった。誤解されたくなくて説明を重ねれば重ねるほど、余計に空気が重くなるのもつらかった。
「儲かってるの?」「最近忙しい?」が刺さる
仕事の話をしていると、よく言われるのが「で、ぶっちゃけ儲かるの?」とか「最近暇なんじゃないの?」という質問だ。もちろん冗談だって分かってる。でも、こちらも人間だ。朝から晩まで書類と格闘して、法務局を走り回って、週末も依頼対応で潰れて、それでも「儲かってるように見えない」って言われると、心がズンと沈む。努力が伝わらないというのは、想像以上にこたえる。
気づけば無理に笑う癖がついていた
そういったやり取りにいちいち反応していたら、気疲れしてやっていけない。だから最近では、何を言われても「まあまあですよ〜」と笑ってごまかすようになった。だけど、その笑顔がどんどんぎこちなくなってきているのを自分でも感じる。心から笑えないというのは、こんなにも体に響くものかと驚くくらいだ。肩書きはあるのに、心はどこか迷子のまま。それが今の僕だ。
なぜ職業を聞かれると心がざわつくのか
表向きにはうまくやっているように見せていても、内心ではずっと葛藤がある。自分で選んだ仕事なのに、自分で自分を責めるような感覚があって、そのたびに職業という言葉が重たくのしかかってくる。きっと、忙しさと報われなさのアンバランスが、心のバランスを崩しているのだと思う。だからこそ、何気ない一言が心に深く突き刺さる。
仕事が忙しいのにどこか虚しい
毎日やることは山積みで、処理しきれない案件、期限に追われる登記、気づけば机の上は紙の山。それなのに、「司法書士って暇なんでしょ?」なんて言われると、何のために頑張っているのか分からなくなる。忙しさに比例して充実感があるわけでもない。むしろ、疲労と孤独感だけが積み上がっていく。そんな毎日の中で、「どんな仕事してるの?」という問いかけが、地味にきつい。
登記の山と締切と気づけば夜
特に月末は地獄だ。登記の締切が重なって、事務員さんと二人で黙々と処理する。電話も鳴りっぱなしで、法務局の受付時間を気にしながら慌ただしく動く。気がつけば昼飯も食べておらず、日が暮れていたということも珍しくない。でも、それを誰かに伝えたところで「司法書士ってそんなに忙しいの?」というリアクションが返ってくると、もう何も言えなくなる。現実とイメージの乖離がつらい。
「何のために働いてるんだろう」と思う瞬間
そんな日々の中で、ふと我に返る瞬間がある。「自分、何のために働いてるんだろう」と。お金のため?生活のため?やりがいのため?そう自問してみても、しっくりくる答えがないときがある。気持ちが乾いていく感じがして、それがまた職業に対する誇りや自信を削っていく。肩書きだけがひとり歩きして、中身が追いついていないような、そんな感覚に襲われる。
自分の価値が肩書きだけで決まる気がして
誰かと話すときに、「何やってる人ですか?」と聞かれて、「司法書士です」と答える。でも、たいていはそこで話が終わってしまう。興味を持ってくれる人もいれば、「へえ、そうなんですね」とスルーする人もいる。そのたびに、自分は肩書きだけの人間なんじゃないかと感じてしまう。本当はもっと語りたいことがあるのに、それをうまく伝えられない自分にも苛立つ。
肩書きに縛られる恐ろしさ
司法書士という肩書きは、武器でもあるが、同時に重荷でもある。人はそれで判断するし、自分でも無意識にそれにしがみついてしまう。「資格を持ってる自分」にしか価値がないような気がして、そこから外れたら何も残らないんじゃないかという恐怖がある。それに気づいてから、肩書きを名乗ること自体が少し怖くなった。肩書きに縛られているのは、実は自分自身なのかもしれない。
肩書きより中身を語れる人になりたいけど
理想を言えば、肩書きじゃなくて、人柄や価値観、人生の姿勢で語れる人間になりたい。でも、それはなかなか難しい。毎日目の前の仕事に追われていると、自分の中身と向き合う余裕なんてない。気づけば「司法書士」というラベルで会話を済ませてしまっていて、それに甘えている自分もいる。だからこそ、職業を聞かれるのが怖い。本当の自分がそこにいない気がするから。
それでも司法書士として生きていく
そんな思いを抱えながらも、僕は司法書士として今日も机に向かっている。たまに「辞めてしまおうか」と考えることもある。でも、不思議と続けてしまうのは、やっぱりどこかにこの仕事への愛着があるからだと思う。完璧ではないし、かっこよくもない。それでも誰かの人生の節目に関われるこの仕事は、やっぱり特別だ。だから今日も、「司法書士です」と、少しだけ勇気を出して言ってみる。