人生設計より登記計画が優先される毎日

人生設計より登記計画が優先される毎日

人生の計画はどこへ行ったのか

気がつけば、人生設計なんて言葉を最後に使ったのはいつだったか思い出せない。高校球児だった頃は、30歳で結婚して、35歳で家を建てて……なんて、ざっくりでも未来を描いていたはずなのに、今は「今週の登記、間に合うか」しか頭にない。気がつけば「自分の人生」より「依頼人の不動産」の方が、よっぽど綿密に計画を立てられている気がしてならない。おかしな話だけど、これが現実だ。

司法書士という仕事に追われる日々

独立して事務所を構えてから、人生のペースはすっかり「登記スケジュール」に乗っ取られた。誰かの登記の期日に合わせて、自分の一日が決まり、週が決まり、気がつけば一年が終わっている。事務員さんが頑張ってくれてるとはいえ、結局は代表印を押すのも責任を取るのも自分。だからこそ、「まあ後回しでいいや」が通用しない。気を抜いた瞬間にトラブルが起きる。人生設計どころじゃない。

登記期限に合わせて動く体内時計

不思議なもので、登記の締切に身体が慣れてしまったのか、土日も祝日も「この日までに申請しなきゃ」が頭を支配してくる。たとえば3連休なんて、普通の人にはご褒美だろうけど、こっちは「法務局が閉まる=詰むかも」の不安でいっぱいになる。旅行?無理無理、心から楽しめるわけがない。申請ミスが頭をよぎっただけで、胃がキリキリしてくる始末。

朝起きた瞬間から締切のことしか考えていない

スマホのアラームを止めた瞬間に、「あ、あの物件の登記は今日までだったな」って思い出して、目が覚める。コーヒーを淹れても、パンを焼いても、頭の中は「補正かかってないか」「添付書類大丈夫か」。朝の時間すら、もはやリラックスとは無縁だ。そりゃ、体にも良くない。自分のことより登記のことで毎日頭がいっぱいなんだから。

将来の夢よりも今日の案件が優先

昔はね、「地元に根付いた信頼される事務所にしたい」とか思ってたんですよ。開業当初は看板立てた日を写真に撮って、「いつか本を出せたら」なんて、ちょっと大きなことも考えてた。でも今は、そんな夢よりも「今日の登記が無事終わること」が最優先。情けないけど、それが現実。仕事に押し流されて、気がついたら「夢」なんて棚の奥に押し込まれてホコリかぶってた。

自分の人生を後回しにすることに慣れてしまった

怖いのは、そういう生活に「慣れて」しまうこと。予定なんて入れない方が楽だし、誰かと会うより一人で書類整理してる方が、気が楽になってくる。飲み会の誘いも、最初は断るたびに申し訳なさがあったけど、今じゃ「どうせ行けないし」で終わる。こんな生活があと何十年も続くのかと思うと、正直ゾッとする。

お客さんの人生に寄り添うけれど自分は

依頼人の相談には乗る。「将来のためにこの土地を買いたい」とか、「子どもに財産をしっかり残したい」とか。その気持ちはすごくよくわかるし、自分もそうしたいと思う。でもふと気づく。自分は誰かにそんな相談をしたことがあるか?人生設計に司法書士を使ったことがあるか?──ない。完全に職業病なのかもしれない。

相手の人生設計のためにこっちの設計は壊れる

相手の都合に合わせて日程を調整し、夜中に書類をチェックし、早朝から法務局に並ぶ。まるで、自分の人生設計を犠牲にしてでも、相手の計画を守る仕事をしている気さえする。別に恨んでるわけじゃないけど、ちょっとだけ空しくなる瞬間はある。結婚式にも行けず、法務局に通ってるときなんて特にね。

誰かの幸せのために自分の余白を削る感覚

不動産の名義が変わるって、人生の中でわりと大きな出来事。だからこそ、自分のことのように気を張ってやっているけれど、終わった後に残るのは安堵というより、どこかで「また今日も自分の時間を削ったな」という虚無感だったりする。感謝されると嬉しい。でもその感謝の裏で、自分が空っぽになっていく気もする。

独身司法書士の現実と限界

婚活アプリも続かない。飲み会に参加しても、登記のことが頭から離れない。気になる人ができても、「次の週の申請のこと考えたら…」と踏み出せない。そんな自分が嫌になる。でも、この働き方を変える勇気もない。独身が気楽って言うけど、たぶんそれは「気楽にならざるを得ない」だけなんじゃないかと思う。

休日に予定がないのではなく予定を入れられない

「休みの日何してるんですか?」って聞かれて、正直に「登記の準備です」って答えると、ちょっと引かれる。いや、ほんとなんです。月曜提出のために日曜に書類を確認したり、連休前に全体の段取りを詰めたり。予定がないんじゃなくて、予定を入れる余裕がない。体は空いてても、心が空いてないんです。

プライベートを削ってでも登記を間に合わせる

たとえば友達から「今夜飲まない?」と誘われたとしても、「いや、明日補正かかるかもしれないから」とか「役所が開いてるうちに提出しなきゃ」って考えてしまう。結果、断ってばかりになり、誘いも減り、人間関係も薄れていく。でも、これが仕事だって思い込まないと、続けられないくらい不安定な職業でもある。

気がつけばご飯もコンビニばかり

仕事が立て込んでくると、ちゃんとした食事をとる余裕もなくなる。コンビニのパスタ、カップ味噌汁、コーヒー。これが3日続いたときに、「ああ、俺ほんとに自分をないがしろにしてるな」と思った。でも、それでも「今日の申請が通ればいいや」と思ってしまうのが、この仕事の怖いところかもしれない。

誰にも言えないがふと怖くなる時がある

夜、一人で事務所の電気を消す瞬間。「このままずっと一人だったらどうしよう」とか、「誰にも看取られずに終わったら嫌だな」とか、そんな考えがふと湧いてくる。でも誰にも言えないし、言ったところで変わらないとも思ってるから、黙って次の日も登記のことを考える。そんな自分がちょっと怖い。

このまま仕事だけで一生終わるのでは

たまに、高校時代の野球部仲間が集まる。みんな子どもがいて、マイホーム建てて、老後の話なんかしている。でも自分は「今月の案件数と報酬」で頭がいっぱい。そんな話に入れず、ただ笑って頷くしかない。ほんとは「俺も不安だよ」って言いたいけど、それを言えないまま40代も後半に突入していく。

もし倒れたら事務員さんが一番困るかもしれない

一人事務所の怖さって、結局すべてが自分で止まってること。もし急に倒れたら、誰が引き継ぐ?登記の進行状況は?事務員さんが全部把握できてるわけじゃないし、結局依頼人に迷惑がかかる。それを考えると、休むこともできなくなる。心のどこかで「倒れる暇もない」って、いつも思ってる。

それでもやめられない仕事への責任感

じゃあ辞めたらいいじゃないか、と言われたこともある。でも、この仕事には、この仕事なりの誇りがある。誰かの大切な財産を守る仕事。誰かの人生の節目に立ち会う仕事。だからこそ、しんどくても手放せない。しんどいし、報われないことも多いけど、それでも最後に「ありがとう」と言われた時、また少しだけ救われる。

依頼人の安心のためにできることを積み上げる

「ややこしい案件でしたが、すべてお任せしてよかったです」と言われた日。そんな日は少しだけ帰り道が軽くなる。誰かの心配を、自分が少しでも減らせたなら、この仕事はやっぱり意味があると思える。人生設計は後回しだけど、その分、誰かの未来の一部に関われている実感はある。

愚痴をこぼしながらも逃げないのはなぜか

正直、やってられないと思う日もある。でも、次の日にはまた登記の準備をしている。自分でも不思議だけど、たぶんそれは「逃げたらもっと辛くなる」ってどこかで分かってるから。どんなに愚痴をこぼしても、結局机の前に戻る自分がいる。

元野球部の根性がまだ残っているのかもしれない

延長12回、足がつってもマウンドに立ち続けたあの感覚。今の自分にも、ちょっとだけ残ってるのかもしれない。登記計画に追われる毎日。それでも、人生設計はどこかで取り戻したい。そんな小さな希望を抱きながら、明日も法務局へ向かう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓