朝起きて感じる小さな虚無感
気がつくと、朝目覚ましが鳴った瞬間に「今日も同じ一日か…」とつぶやいてしまう自分がいる。かつては、予定が詰まっていればいるほど、どこか充実感を覚えていたのに、今はただの「作業日」としてしか見えていない。日々の業務は多く、それなりに信頼も得ているはずなのに、心が空っぽだと感じる時間が増えた。これは疲れなのか、それとも…「幸せ」を感じる感覚そのものが鈍ってしまったのかもしれない。
心が無風の日が増えてきた
忙しい日常に追われながらも、なぜか心の中には波がない。心が揺れないというのは、楽なようでいて実はかなり辛い。何かに感動したり、ムカついたり、喜んだり、そういう「起伏」がなくなってきた気がする。たとえば登記が無事終わっても、「ああ、これで一件片付いたな」とだけ思う。嬉しさというより安堵だけ。それが連日続くと、自分が何のためにこの仕事をしているのかわからなくなってくる。
忙しさに追われているのに満たされない理由
朝から晩まで仕事があることはありがたい。だが、それが「忙しさ」という枠を超えて、いつの間にか「自分を誤魔化す手段」になっていた。予定を埋めておけば、孤独も虚無感も考えずに済む。でも帰宅して布団に入った瞬間、何とも言えない空虚感が押し寄せてくる。誰かと一緒に晩酌をしたい、休日に遊びに行く相手が欲しい。そう思っても、動く元気すらない。仕事に打ち込むことで、そうした「足りない感情」を見ないようにしてきたのかもしれない。
何をしても達成感が続かなくなった
たとえば相続案件で複雑な手続きを無事に終えたとき、一瞬は「やった」と思う。でもすぐに次の案件が頭に浮かんでくる。「達成感」という感情が、インスタントのようにすぐ消えてしまう。学生時代、甲子園予選で勝った時のあの心の震え。あれは何日も続いたのに、今はほんの数分の喜びで終わる。もしかしたら、感動を感じる筋肉みたいなものが、年々衰えてきてるんじゃないか。そんな気さえしている。
昔はもっと単純だった気がする
昔は「うまい飯が食えたら幸せ」「野球で勝てば幸せ」と、幸せの定義がとてもシンプルだった。だけど今は、なにが自分にとって幸せなのかがぼんやりしてしまっている。立派な肩書きや多少の貯金があるからといって、心が満たされるわけじゃない。むしろ「何のためにやってるんだろう」という疑問が頭から離れなくなってきた。
野球部だった頃の喜びは純粋だった
高校時代、汗だくで泥だらけになってボールを追いかけていたあの時間。あれが楽しかった。辛い練習も、試合後の反省会も、「みんなで勝ちたい」という一心で乗り越えられた。勝てば心の底から嬉しかったし、負けたら全員で泣いた。喜びも悔しさも、まっすぐに感じていた自分がそこにいた。あの感覚が、今の自分にはほとんど残っていない。
勝ち負けがあってこその充実感
野球には「勝ち」か「負け」しかなかった。だからこそ、その日の感情がはっきりしていた。司法書士の仕事は、たとえば登記や遺言の手続きが終わっても、「勝ち」でも「負け」でもない。うまくいって当たり前、ミスしたら責任だけが重くのしかかる。結果が曖昧な仕事を積み重ねるうちに、自分の感情の輪郭まで曖昧になってきた気がする。
あの頃の「幸せの定義」はわかりやすかった
勝ったらラーメン奢ってもらえる、それだけで幸せだった。あれは本当に純粋だった。何かを得るには努力が必要で、努力すれば誰かが見てくれて、報われる瞬間があった。今の自分にとっての幸せって何だろう。通帳の残高か、肩書か、それとも休みの日に誰かと過ごす時間か。そう考えれば考えるほど、幸せの定義がぼやけてくるのを感じてしまう。
これからの幸せを自分で決め直す
誰かが決めた「理想の人生像」に無理に寄せるのではなく、自分なりの幸せを定義し直してみようと思う。結婚してないから不幸だとか、収入が多いから幸せだとか、そういう外側のモノサシではなく、「自分が心地よい」と感じる瞬間を大切にしたい。そんな風に考えるようになったのは、もしかしたら今のこの曖昧な気持ちがあったからかもしれない。
日常に潜む「幸せの種」に目を向けてみる
たとえば、コンビニのレジで「ありがとうございます」と丁寧に言ってくれた店員さん。散歩中に見かけた小学生の笑い声。そういう何気ない瞬間に、ふっと心がほぐれることがある。大きな喜びじゃなくていい、小さな気づきに「ありがたいな」と思えるようになること。それが、これからの自分にとっての幸せのヒントになる気がする。
自分なりの価値観を言葉にしてみる
「こうなりたい」よりも、「こうありたい」を言葉にするようにしている。たとえば、「人に頼られる存在でいたい」とか、「自分の仕事に誇りを持ち続けたい」とか。お金や見た目のことではなく、自分の在り方に対して素直に言葉を紡いでみると、不思議と少し前向きな気持ちになれる。幸せって、そういうところから始まるのかもしれない。
何を手放し何を守るかを決める時期
今の自分には、手に入れたものもあるし、失ってしまったものもある。でも全部を持ち続けようとすると、たぶん息が詰まる。だから、あえて手放す勇気も必要なのだと思う。仕事の量、人間関係、期待される役割。何かを減らすことで、ようやく本当に守りたいものが見えてくる。そうやって、自分の幸せの形をまた一から作っていけたらと思う。