謎の依頼人
古びた土地の登記相談
事務所に入ってきたのは、明らかに場違いなスーツ姿の男だった。胸ポケットにはやけに派手なチーフ、足元は泥だらけの革靴。書類を持っていたが、それより先に目に飛び込んできたのはその目つきだった。
「相続登記の相談をしたいんですが」そう言った彼の声にはどこか切羽詰まったような調子があった。土地の場所は、町はずれの空き家。登記を確認した私は、ある違和感に気づく。
所有者が亡くなったのは15年前。それなのに、2年前に名義が変わっている。誰が、なぜ今さら?
サトウさんの冷たい第一印象
「あの人、ウソついてますね」隣でコーヒーを淹れていたサトウさんが、興味もなさそうに言い放った。根拠を尋ねる間もなく、彼女は書類のコピーを取って奥に引っ込んでしまった。
それでも私は、自分なりに資料を読み解こうと机に広げた。うっかりしていたが、そもそも私には彼女のような鋭さはない。ただ、彼女の言葉には重みがある。
どこかで見落としている。その感覚が胸の奥にずっと引っかかっていた。
相続人の顔ぶれ
兄妹の間にある距離
数日後、依頼人の兄という人物が事務所を訪れた。挨拶もそこそこに、彼は一枚のコピーを机に置いた。「この土地、俺にも権利があるはずだ」と言い切る目には怒りと悲しみが混じっていた。
兄妹間での相続争いは珍しくない。ただ、彼が言うには、遺産分割協議など一切していないという。だが名義はすでに妹のものになっていた。
「そんな馬鹿な話があるか」と、彼は机を拳で叩いた。私はただ、「まあまあ」となだめるしかなかった。
旧家に残された写真
その土地には、築60年の木造家屋があった。現地確認に行くと、軒先に残された写真立てが目に入った。写っていたのは、若かりし兄妹と年老いた女性。彼らの母親だろう。
写真の裏に書かれていた「平成元年 夏 白浜にて」の文字。思わず「サザエさん一家みたいなもんか」と、つぶやいた。どこかのんびりとした空気が漂っていた。
だが、その平和な日々の裏に、何かが隠されていた。
不可解な登記履歴
記録と現実の食い違い
法務局で登記簿を精査すると、移転登記がなされた際の添付書類が気になった。なぜか、協議書の提出がなかった形跡がある。あったのは「単独相続による登記申請書」のみ。
単独相続が成立するには、他の相続人が存在しないか、放棄している必要がある。だが、兄がここにいる。どう見ても、説明がつかない。
私は首をかしげながら、書類に目を凝らした。そしてふと、登記済証の右下に小さな誤字を見つけた。「佐藤」が「佐東」になっている。
錯誤か偽造かの分かれ道
「単なる誤字ってこともありますが……」と私がつぶやくと、サトウさんが「いや、それは“仕込み”でしょうね」と即答した。
「えっ、仕込み?」と聞き返すと、彼女はコーヒーをすすりながら、平然と続けた。「一文字違えば別人になる。それを利用したなりすまし登記、昔からよくありますよ」
そうか。名義人の氏名が意図的に似せていた場合、それは錯誤ではなく偽造。犯罪の匂いが一気に濃くなった。
サトウさんの推理
名義移転の日付に潜む違和感
「あの日付、変じゃないですか?」と彼女はパソコンの画面を指差した。登記移転がされたのは、被相続人が死亡した日とまったく同日。
「死亡当日に相続登記なんてできるわけがない」そう言いながら、彼女は裏付けとなる除籍謄本を並べていく。なるほど、日付が動かぬ証拠だ。
私はようやく事の重大さに気づいた。これはただの事務的ミスではない。
「第三者の善意」の壁
しかし、問題はそこからだった。すでにその土地は第三者に売却されていたのだ。登記上は善意の第三者である買主が登場し、権利関係はさらに複雑化した。
「このままじゃ、兄さん側の救済は難しいですね」サトウさんが、ため息まじりに言った。私は唇をかみながら、それでも何か方法はないかと頭を巡らせた。
まるで『名探偵コナン』のように次々と登場する関係者たちに、うんざりしてきた。やれやれ、、、やっぱり現実の方がタチが悪い。
シンドウの失敗と再起
やれやれ、、、この俺がうっかりとは
一度は放棄しかけた私だが、夜中に見直した資料である矛盾に気づいた。売買契約書に押印された印鑑が、登録されている印影と異なっていたのだ。
「あれ?」と声を上げ、慌てて照合作業に入る。まさかと思ったが、どうやら本物の相続人の印鑑は使われていなかった。
「やれやれ、、、この俺がうっかりとはな。でも、間に合ったぞ」思わず独り言が漏れた。
見逃された一枚の遺産分割協議書
件の兄が後日提出してきた古びた封筒。その中に、本物の遺産分割協議書が入っていた。日付は移転登記前。内容も法的に有効。
「これがあれば、裁判所に申し立てできます」私は胸を張って言った。サトウさんは小さく頷いただけだったが、あれはたぶん彼女なりの称賛だ。
司法書士として、ようやく役に立てた気がした。
真実の相続人
最後に残る一通の封筒
すべてが解決したわけではない。登記の回復には時間がかかるし、買主との調整も必要だ。でも、真実が見えたという点では、一歩前進だろう。
帰り際、兄は「ありがとうな」と小さな声で言った。私は何も答えず、ただ帽子のつばを指で押さえた。
司法書士なんて、地味な仕事だ。でも、時々こうして誰かの人生を正せる。それが、続けている理由なのかもしれない。