名義のない遺言書

名義のない遺言書

名義のない遺言書

雨上がりの朝、古びた封筒と一通の遺言書が私の机に置かれていた。依頼人は不在。差出人の名前もない。ただ、不自然なまでに空白の多い内容が、やけに気味悪く思えた。
「名義人が…いない…?」声に出すと、空気がひやりとした。そこに、サトウさんが容赦なく一言を放つ。「ミステリーごっこじゃないんで、現実見てください」
やれやれ、、、朝からこの調子だ。

登記簿に現れた謎の空欄

当該物件の登記簿を見ても、所有権移転の記録がどこか不自然に欠けていた。平成十年の売買の記録があるはずなのに、それがごっそり抜け落ちている。
原因不明。記録改ざんの可能性?まさか。それなら登記官の処分記録があるはずだ。
「そんなことある?」と、自分の声が裏返った。まるでアニメのサザエさんが驚いたときのように。

サトウさんの冷静なひと言

「この名義、存在してない人間ですね」サトウさんが淡々と言う。
彼女の目はすでに登記簿の下段、注意書きの余白にあった手書きの数字に注目していた。
「この番号、旧姓時代の住民票コードかもしれません」
この瞬間、私は初めて気づいた。彼女は人の倍の速さで書類を読み、私の3倍の速度で事件の核心に近づいている。

依頼人の嘘と空家の真実

依頼人とされていた人物は、実際には10年以上前に他界していたことがわかった。登記申請書に書かれていた印鑑は、いわゆる「百均三文判」だ。
「つまり、これは偽造の可能性が高いということです」サトウさんの言葉が重く響く。
空家バンクを使って買主に見せかけた詐欺か、それとも別の誰かのなりすましなのか。いずれにしても、名義の空白は事件のはじまりだった。

「あれ、この人、生きてるんじゃないか?」

私は戸籍の附票と住民票の記載から、あることに気づく。
「住所異動の記録が、死後も続いてる…?」
サトウさんは「ふーん」と呟いただけだったが、すぐにノートパソコンを開き、地元の納税課のページを表示した。そこには、令和に入ってから納付された固定資産税の記録があった。

旧姓と通称と、戸籍の迷宮

戸籍を辿っていくと、驚きの事実が判明した。名義人は確かに存在していたが、戸籍上はすでに改名しており、現在の名義では登録されていなかったのだ。
つまり、名義人が“消えた”のではなく、“別人になっていた”ということだった。
通称使用と旧姓併記の制度を逆手に取った、巧妙なトリック。これはもはや、リアル探偵コナンの世界だった。

やれやれ、、、また面倒なやつが来た

「登記ってさ、正確じゃなきゃいけないんだけど、こんなに人が勝手に変わると困るよなあ」
そう私が呟くと、サトウさんはため息混じりに「はいはい。司法書士さんの出番ですね」と書類を私の机に投げた。
面倒だけど、これが私の仕事だ。

電話の主は誰だったのか

夜遅く、事務所の電話が鳴った。受話器の向こうで誰かがつぶやく。
「彼は、まだ名義を戻してないんです」
電話はそれきり切れた。番号は非通知。だが、声はどこか懐かしかった。まるで、、、高校の頃に一度だけ告白されたあの人の声に似ていた。いや、気のせいか。

偽造印鑑と古びた登記申請書

鑑定の結果、印鑑はやはり偽造だった。依頼人の署名も筆跡が異なっていた。
おそらく、誰かがこの名義を意図的に使って、遺産や不動産を他者に譲渡しようとしたのだ。
しかし動機は? なぜ今、この時期に? この問いが、事件の奥行きを深くしていった。

不在者財産管理と意外な遺産分割

結局、家庭裁判所の許可を得て、不在者財産管理人を選任することになった。
その過程でわかったのは、隠されていた第二の遺言書の存在だった。
そこには、まったく別の人物に財産を譲る旨が記載されており、しかもその人物こそが、、、あの夜、電話をかけてきた女性だった。

元野球部の直感が動く瞬間

私は高校時代、野球部のキャッチャーだった。相手のクセやサインを読むのが得意だった。
あのときの声と、遺言書に記された名前。それが一致したとき、すべてのピースが繋がった。
彼女は亡き名義人の愛人だった。そして、自らの立場を明かすことなく、財産を確保しようとしていた。

犯人は司法書士を甘く見ていた

証拠を固め、関係者を呼び出した。私は冷静にすべての資料を提示し、「登記上の権利は確定しません」と宣言した。
その瞬間、彼女の顔が引きつった。
「あなた、ただの書類屋さんじゃなかったのね」と捨て台詞を残し、静かに事務所を出ていった。

解決の糸口は共有者にあった

今回の土地は実は共有名義だった。もう一人の共有者が書類に署名していないことで、不正登記は未遂に終わったのだ。
皮肉な話だが、日頃のうっかりが功を奏したかもしれない。共有者への連絡を忘れていたのが逆に幸いした。
「やっぱり、神様っているんだな」そう思ったけど、サトウさんは「ただの凡ミスですよ」とピシャリ。

夜明け前の登記申請書提出

必要書類を揃え、法務局に申請書を提出したのは、まだ太陽が顔を出す前だった。
長い戦いだった。書類一枚の裏に、これほど人間ドラマが詰まっているとは。
私はしみじみと、司法書士という仕事の奥深さを感じた。

すべての名義が揃った朝

朝日が事務所の窓から差し込む頃、ようやくすべての登記簿に正しい名義が記載された。
嘘も偽りも消え、紙の上にだけ真実が残った。
その静けさに、どこか満ち足りた気持ちになった。

サトウさんの一言が今日も刺さる

「ところで、先生。今月の家賃まだ払ってませんよ」
「やれやれ、、、俺の財布からも名義が消えそうだ」
そう呟くと、サトウさんは珍しくクスッと笑った。

シンドウ、今日も独りでコーヒーを淹れる

事件が解決しても、誰かが待ってるわけでもない。私はいつものように一人、コーヒーを淹れた。
カップに映る朝の光が、少しだけまぶしかった。
今日もまた、誰かの名前と権利を守る仕事が始まる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓