目覚めたのは一通の封書だった
土曜の朝、郵便受けに入っていたのは差出人不明の茶封筒。開けると、中には黄ばんだ地図のコピーと、「この土地にはまだ声がある」とだけ書かれた紙片が入っていた。差出人も、宛名も、なにも書かれていない。
誰が何のために送ったのか。ひとまずコーヒーを淹れて机に座る。だが地図を見た瞬間、胸の奥にざわりとした違和感が広がった。そこに描かれていたのは、数年前に担当した土地の近くだった。
土曜の朝に届いた無記名の手紙
依頼でもなく、訴えでもなく、ただ「声がある」と書かれた紙。あまりに曖昧で、意味が掴めない。だが、司法書士という職業柄、「違和感」のあるものには触れておくのが習慣だった。
ちょうど事務所に来ていたサトウさんに地図を見せると、彼女は数秒で一点を指差した。「ここ、登記情報に載ってませんよ。建物も地番も抜けてます」
不動産登記簿に存在しない土地の記述
登記簿を確認すると、まるでその一角だけがぽっかりと空白になっていた。周囲はしっかりと地番が振られ、所有者も登記されている。それなのに、そこだけが「なかった」ことにされていた。
地図から削除されたような存在。幽霊屋敷でもあるまいし……。でもこの感じ、なんだか既視感がある。まるで「サザエさん」のオープニングで、波平の影だけが一瞬消えるような、そんな妙な違和感だった。
依頼人は姿を見せなかった
月曜になっても誰も名乗り出なかった。役所にも法務局にも、それらしい届け出や質問はない。まるで「手紙だけが届いて、発信者は消えた」ようだった。
やれやれ、、、今週もまた奇妙な案件か、とつぶやきながら、僕はコートを手に取った。現場に行くしかない。
サトウさんの冷静な分析
「一応、昭和の住宅地図を調べておきました。戦前は確かに家があったみたいです。地主名は『ホシノ』」
彼女は平然と答えた。コナンばりの情報力に驚くが、表情は変わらない。
「でも相続登記がされていません。おそらく、相続放棄か、意図的な放置でしょう」
そこに、なにかしらの闇があるのは間違いない。
昔の登記所の記録を洗い出す
古い登記所の帳簿を確認し、ようやく該当の地番が戦後に閉鎖された区域であることが判明した。だが、その帳簿の最後には、赤いインクで「物件調査要」とだけ書かれていた。
その手書き文字は、まるで「まだ終わっていない」とでも言いたげだった。
地図から消された古民家
現地に足を運んだ。細い山道を抜けると、そこには確かに木造の古民家がひっそりと存在していた。屋根は崩れかけ、ドアには「立入禁止」の紙が黄ばんで貼られていた。
こんな場所が都市計画から完全に漏れていたなんて…。不気味なくらいの静寂だった。僕の足音だけが、妙に大きく響いた。
所有権が宙ぶらりんの理由
資料を整理すると、この家は一度も正式に登記されたことがなかった。登記申請書類は作られた形跡があるが、提出はされなかった。なぜか。
未登記とは「存在しない」のと同じこと。まるで、この家自体が誰かに忘れられたかったかのようだ。
近隣住民が語る「見てはならない夜」
ひとりの老人が話してくれた。「昔、あの家から女の子の泣き声が聞こえた夜があってね。その翌日、家は空っぽになったんだよ」
それきり誰も住まず、誰も手をつけず、行政すら触れようとしなかった。登記所も役所も「知らない」で押し通していた。
記録の空白が語りはじめる
古い郷土資料館の奥、埃をかぶった一冊の名簿にその答えがあった。ホシノ家は戦後、村八分にされ、一切の公式記録を拒絶された家だった。
差別でも政治的対立でもなく、もっと個人的で感情的な理由で。人々の記憶から抹消された「存在」だったのだ。
閉ざされた郷土資料館の奥で
鍵を開けてもらった館の奥で、ひとつだけ破れた家系図を見つけた。最後の一人と思しき名前の横に「東京へ」と殴り書きがある。
彼女こそが、あの手紙の差出人だったのかもしれない。
登記を拒んだ一族の存在
ホシノ家の登記がなされなかったのは、拒絶ではなく「抗議」だった。家系と土地の名誉を守るため、法に記されることすら拒んだ。
それは、登記簿に記されない叫びだった。
再調査に向かった深夜の出来事
週末、僕は一人で再びあの家へ向かった。夜の山道は、まるでルパン三世のオープニングのように、なぜか背後に誰かの気配がした。
懐中電灯を灯すと、瓦礫の奥に何かが光った。
サザエさんのエンディング曲が鳴るラジオ
廃屋の奥で、古いラジオがまだ動いていた。電源が入っているはずがないのに、スピーカーから「サザエさん」のエンディングが流れていた。
どう考えても物理的にあり得ない。けれど、その哀愁に満ちたメロディが、この家の叫びのように聞こえた。
廃屋に差し込む懐中電灯の光
奥の部屋で、古いトランクを見つけた。中には、未提出の登記申請書と、赤子の写真。それは、「記されるべきだった命」の証だった。
僕はそっと手を合わせた。
そこにあったはずの玄関が消えていた
翌朝、再度訪れると、あの家はまるで最初から存在しなかったかのように消えていた。土地には草が生い茂り、地面には何も残っていなかった。
やれやれ、、、これだから未登記物件は油断ならない。
崩れかけた天井裏に残された古い登記済証
唯一残っていたのは、僕のカバンの中に入っていた「登記済証」。昨夜、そんなものを持ち出した覚えはない。
それは、ホシノ家の最後の声だったのかもしれない。
サトウさんの推理が真実を結ぶ
事務所に戻ると、サトウさんが一言。「お疲れ様でした。ちなみに、あの土地、今月から都市計画区域に入るそうです」
彼女の目は、すでに次の事件を見据えていた。
謄本になかった「もう一つの表題部」
後日、旧資料を基に登記補完申請が無事受理された。表題部には、新たに「ホシノ」の名が記された。
そこには、正式な記録とともに、ようやく存在が認められた「声」が刻まれた。
司法書士という職業が暴く真実
僕たちの仕事は、ただの書類整理じゃない。時に、人の記憶と、忘れられた人生そのものをつなぐ役割を果たす。
今回、それを改めて思い知らされた。
叫んでいたのは誰の声だったのか
声の主が誰だったのかは、最後までわからなかった。だが、それでいいのかもしれない。
登記簿に記されたことで、その声はようやく「届いた」のだから。
遺族が語った「生前の約束」
後日、東京から来た女性が現れ、「祖母の遺言で、必ずあの家の存在を証明しろと言われた」と話した。
「祖母はずっと、あの家が存在した証を求めていました」
未登記に込められた哀しみ
その言葉に、何かが胸の奥で締め付けられる。未登記とは、単なる怠慢ではなく、記録されることを拒まれた過去かもしれない。
その重さを、僕たちは知っておくべきだ。
登記完了と静かな夜
申請が完了した帰り道、事務所の電気がついていた。サトウさんが一人、書類を整理していた。
「あとは固定資産課税台帳だけですね」
さすがに頼りになる。僕はため息をついた。
サトウさんの塩対応はいつも通り
「お茶でも淹れようか?」と聞くと、「結構です」との一言。冷たいが、それが彼女の優しさでもある。
事務所に戻ると、妙に落ち着くのが不思議だった。
机の上に置かれた野球ボール
ふと机の上を見ると、古びた野球ボールが転がっていた。かつて僕が甲子園を目指していたころの、あのボールだ。
この仕事も、ある意味「チームプレイ」なんだよな。
次の事件の気配
次の週、玄関先にひとつの印鑑ケースが置かれていた。差出人不明。だが、間違いなく新たな物語の始まりだった。
さて、今度はどんな「声」に出会うのだろう。
玄関に置かれた赤い印鑑ケース
それは、未開封のまま、事務所の棚にそっと置いた。開けるタイミングは、またその時が来たらだ。
まだまだ、司法書士の仕事は終わりそうにない。
それでも明日は月曜日
やれやれ、、、
月曜日がまた、始まる。