朝の静けさに潜む違和感
事務所の窓から差し込む朝日が、古びた書類棚を照らしていた。僕はトーストに卵液を染み込ませながら、まるで日課のように登記簿をめくっていた。書類の山に埋もれたこの生活も、もう何年になるのか。
その日は妙に空気が重く、冷蔵庫から取り出した牛乳の匂いにすら神経がとがっていた。ちょうどフライパンにトーストを落とした頃、ドアのチャイムが鳴った。
フレンチトーストと謎の書類
依頼人は若い女性だった。控えめに手渡されたのは、登記簿謄本一式と不自然に分厚いフリーペーパー。「亡き祖父の土地の登記について確認していただけませんか?」との依頼だ。
表面上はなんてことのない相談だった。だが、そのフリーペーパーの間に差し込まれた一枚の紙が、僕の注意を引いた。焦げ目のように見えるコーヒー染み。そして、見覚えのない筆跡。
依頼人が語らなかった過去
彼女の祖父が所有していたはずの土地に、現在記載されている名義人はまったくの別人だった。しかもその名義変更の年月日が、彼の死亡前になっていたのだ。
「これは、相続登記ではなく贈与の記録ですね」そう言うと、彼女の眉がわずかに揺れた。だが、それだけだった。僕は奥で焼き上がったフレンチトーストを取りに行き、皿に乗せて机に戻る。
登記簿に刻まれた歪み
登記情報の内容が一致していない。そう感じた瞬間、僕の胃のあたりがギュッと締め付けられる。バターの香りすら、どこか薄ら寒く感じた。
机の上の書類を見直していると、記録の端に奇妙な地番修正の痕跡があった。地番が、数年前の区画整理と合致していない。
表題部にあるはずのない名前
登記簿の表題部に、見慣れない名前が記載されていた。「ミノル不動産」――地元で聞いたこともない名義だ。しかもその法人は、数年前に解散している。
これはサザエさんの三河屋が、実は不動産ブローカーだったと聞かされたくらいの驚きだった。なぜ、存在しない会社名義で登記がなされているのか。
サトウさんの睨みが冴える
「それ、たぶん代表者が個人名で登記してます。法人のふりして。」
サトウさんが机の上のカップを片手に呟いた。塩対応ながら鋭い指摘に、僕は内心うなった。
「偽装登記か……」
やれやれ、、、朝食ぐらい静かに食わせてくれ。
司法書士はパンの焼き加減で閃く
僕は皿の上に残ったフレンチトーストを見つめた。片面だけ、やや焦げている。時間をかけすぎたせいだ。ふと、その焦げが登記の歪みと重なった。
「この焼き目が……いや、この変更登記もタイミングを外しているな」気付いた。登記情報の登録時期と、実際の譲渡時期が噛み合っていない。
戸籍の附票に映る影
区役所で取り寄せた戸籍の附票には、名義人が転居した記録がなかった。つまり、その人物は書面上にしか存在しない。まるで、ルパン三世が残した影のようだ。
証拠の糸は確実に繋がってきていた。
香ばしさの裏側に潜む真実
本物のフレンチトーストは、表面がカリッとして中がふんわりしている。書類も同じで、外見だけ整っていても中身が空洞なら意味がない。
僕は再度、登記識別情報の記録を見返した。そこに、手続きミスに見せかけた偽装の痕跡が浮かび上がった。
トーストの焼き目と犯人の性格
「几帳面すぎる字ですね、これ」サトウさんが言った。「うっかり者は、こんなに綺麗な字、書けません」
確かに、名義変更届の署名には一貫した筆圧があった。偽造である可能性が高い。犯人は、見られることを前提に署名したに違いない。
バターの溶け方と嘘の温度差
バターは熱ければすぐに溶ける。だが、冷めたパンには染み込まない。書類の話も同じで、本当に正当な手続きなら、関係者の反応も自然になる。
依頼人の態度に、どこか嘘が混じっていた理由がようやく腑に落ちた。
登記識別情報の不一致
事件は決定的な一枚のコピーによって動いた。識別情報の通知文書が、登録免許税の納付日と矛盾していたのだ。
システム上の記録と物理的な書面に食い違いがあった。それは、誰かが手続きを一部飛ばしていた証明だった。
実は2年前にも似た事件が
「あれ? これ、2年前にあった地元の無断名義書き換えと同じパターンだ」
僕の記憶が動いた。あのときは、表面上和解したが、不動産ブローカーの仕業だった。
今回も同じ手口だ。
フライパンの音が語る最後の証拠
再びキッチンに立ち、トーストを焼きながら思い返す。油が弾ける音が、依頼人の言葉と重なっていく。
書類の細かな記述、地番の間違い、そしてサトウさんの直感。すべてが一つの線に繋がっていた。
机の裏に落ちていた書類の角
最終的な証拠は、なんと事務所の机の裏から出てきた。「あの依頼人、提出書類から一枚抜いてましたね」
サトウさんが拾い上げたその書類に、偽造された押印の証拠が残っていた。
「やれやれ、、、こんな朝から胃がもたれる」
サトウさんの一言がすべてを繋げる
「司法書士って、朝飯中にも事件解決しないといけないんですか?」
呆れたように言ったサトウさんの言葉に、僕は無言でコーヒーを啜った。
この仕事、なかなか休ませてくれない。
フレンチトーストを焦がしたのは誰か
事件の終わりと同時に、皿の上のトーストは完全に焦げていた。「今度は君が焼いてくれよ」と言ったら、サトウさんは無言でファイルを差し出した。
次の依頼だ。今日もまた、始まってしまう。
登記簿が語った嘘と朝の終わり
静まり返った事務所で、一人コーヒーを飲む。冷めたそれは、少しだけ苦かった。
それでも、真実を見つけ出せたことで、心にはほんの少しの温かさが残っていた。
ささやかな勝利と冷めたコーヒー
誰も称えてはくれない。でもいい。僕たちは、今日も小さな正義を拾っているのだから。
そして、明日もまた――きっと誰かのフレンチトーストが焦げる。