登記申請の依頼人が二人だけだった朝
依頼内容はシンプルな名義変更
朝一番にやって来たのは、初老の女性と中年の男性だった。どうやら不動産の名義を、ある契約書に基づいて変更したいという。 話を聞く限り、当事者は二人。契約はすでに成立しており、あとは登記を済ませるだけとのこと。 しかし、渡された契約書には、第三者のためにという文言がちらついていた。
登記原因証明情報に違和感
形式は整っている。印鑑も押され、契約日も記載されている。だが、書面の行間に漂うこの引っかかりはなんだろうか。 書き方が古い。条文番号も微妙に違っている。どこかで見たような、いや、見たはずのスタイルだった。 サトウさんに目配せすると、彼女は無言で顎を引いた。それは「何かある」の合図だった。
契約書に浮かぶ不可解な筆跡
第三者のための契約とは何か
契約の当事者に加え、”受益者”と見られる名前が記されている。 つまり、契約の直接の効果を受けるのは別の人物、第三者。だが、その人物がどこにも姿を見せない。 しかも、その欄の筆跡だけ、明らかに異なっていた。震えるような線。まるで、、、老人の手で書かれたような。
依頼人の一人が語る奇妙な過去
「父は昔から人を信用しておりましてね。誰にでもハンコを押してしまう癖がありました」 男性が笑って話したエピソードは、まるでサザエさんに出てくる波平のようだった。 しかしその笑顔の奥に、隠し切れない冷たさが滲んでいた。
サトウさんの冷静な指摘
署名欄の筆圧に見る違和感
「この筆跡、何か変ですね。力の入り方が違います。お年寄りの書いたものにしては不自然です」 サトウさんは筆圧の濃淡をルーペで確認しながら、メモを取っていた。 その様子はまるで名探偵コナン。塩対応のまま、淡々と真実を探る姿が頼もしい。
「この印鑑、本当に本人ですか」
印鑑は確かに登録されたもので、印鑑証明書も添付されていた。 だが、押印の位置が微妙にズレている。まるで、見本を真似して押したような雑さがあった。 偽造か、あるいは、、、本人の意思がなかったのでは。
思い出された三年前の名義変更トラブル
同一人物による代理契約の罠
ふと、三年前の似たようなケースを思い出した。 そのときも「家族による第三者の契約」で、後に本人が認知症であることが判明したのだった。 まさか今回も、同じ構図が繰り返されているのではないか。
依頼人は本当に意思をもっていたか
「この契約、誰の意思で交わされたんですか?」 私は書類を見つめながら尋ねた。女性は目を伏せ、男性は薄く笑っただけだった。 やれやれ、、、また厄介なパズルだ。
契約書の中のもう一人の存在
不可解な電話番号の主
書類の隅に、消し忘れたように記載されていた携帯番号。 調べてみると、その番号は依頼人の妹のものだった。しかし彼女は行方不明とされていた人物だった。 登記の影に、もう一人の「署名者」が潜んでいたのだ。
貸金庫に残された古い委任状
市役所で調査中、ひとつの貸金庫の存在が明らかになった。 そこには数年前の日付が入った委任状が残されており、その筆跡こそが本物の父のものである可能性が高かった。 すべてはそこから逆転した。
司法書士シンドウの決断
登記を止めた一枚の申立書
「これは申請できません。不実の登記になりかねません」 私は二人の依頼人にそう伝え、法務局へは補正を申し出た。 受任を断ることは気が重いが、真実を見逃すわけにはいかない。
家裁と警察と法の狭間で
後日、この契約は家庭裁判所へと持ち込まれ、警察の関与もちらついた。 だが司法書士としての役割は、法の外に出すことではない。線を引くことだ。 そしてその線は、三人目の署名者を守るために引かれた。
浮かび上がった真の契約者
認知症だった父が託した意志
父は、生前に正しい意思で契約を行っていた。 それを曲げて操作したのは、長男だった。妹は、父の意志を記録していただけだった。 第三者のための契約。それは、家族という名の仮面の下で静かに歪められていた。
第三者の顔を持つ長男の策略
長男は、父の意思を利用して自らに有利な内容にすり替えた。 しかし、筆跡と証拠がそれを否定した。 “第三者”は、結局、当事者ではないふりをした「黒幕」だったのだ。
事件は終わらない日常へ
お茶を淹れるサトウさんの視線
事務所に戻ると、サトウさんが無言で湯呑を差し出してきた。 「今回はちゃんと活躍できましたね」と言わんばかりの目だった。 やれやれ、、、たまには褒めてくれてもいいのに。
今日も机の上には登記済証の山
外はまだ陽が高い。事件は解決したが、仕事は山積みだ。 机の上には登記済証の封筒がいくつも並んでいる。 私は肩を回し、次の依頼人を迎える準備をした。