始まりは一通の照会
その朝、ぼくは事務所で茶柱の立たない湯呑みを見つめていた。静かすぎる午前十時、古いプリンターが低く唸る音だけが鳴っていた。サトウさんが無言で紙を引き抜き、机の上に置いた。
「戸籍の内容に不審があると依頼がありました。相続人の一人が、存在しない人間かもしれないとのことです」
やれやれ、、、また妙な話が来たもんだ、とため息をついた。けれど、こんな依頼ほど地味に厄介で、しかも地味に燃える。
戸籍の内容に不審な点があるという依頼
依頼人は、地方に残された古い実家の相続手続きを進める中で、母親に離婚歴があることを知らされたという。しかもその最初の配偶者が、改製原戸籍上には影も形もない。
本籍地は隣県。早速、ぼくとサトウさんはそちらの役場に照会文を出すことになった。
「古い戸籍が残っていればいいのですが」――サトウさんがぼそりとつぶやいた。
相続登記の背景にあった複雑な家族関係
調べるうちに、依頼人の母親は若いころ、他県の男性と結婚していたことがわかった。その後、離婚し、今の父親と再婚。しかし、それが戸籍には載っていない。まるで最初の結婚そのものが抹消されたようだった。
「どうしてこんなことに?」と依頼人は首をひねるが、わからないのはこちらも同じだ。
原因は改製原戸籍――戸籍法の変更に伴って、古い戸籍が編成し直される過程で起きた記録の欠落か、あるいは意図的な抹消か。
消えた婚姻の痕跡
届いた原戸籍の写しは、妙に歯抜けだった。ページの端が不自然に破れており、重要な記載のあたりに不明瞭な修正があった。
「普通、こんな削除の仕方はしません」とサトウさんがファイルを覗き込む。
まるで何かを意図的に消したような――そんな印象を残す記録だった。
改製原戸籍に記載されていない名前
原戸籍には、母親が最初に結婚したという痕跡がない。代わりに、記録の中に空欄が目立つ。役所側がうっかりミスをしたのか、それとも何か裏があるのか。
この違和感、コナン君なら「それって、おかしくないですか?」って指摘するやつだ。
そう言いたいが、現実の調査は地味だ。紙と目と法律が武器。それが司法書士のやり方。
除籍簿に残された謎の訂正印
除籍簿には訂正印があった。訂正の理由が不明だ。しかも訂正された名前は、依頼人の母親が一時期名乗っていたとされる「旧姓」だった。
これはただのミスではない。誰かが、何かを「なかったことにしようとした」形跡だ。
「サザエさんの家の戸籍は、さぞ複雑でしょうね」と口走ったぼくに、サトウさんは冷たい目を向けた。
市役所の戸籍課での攻防
予約した市役所の窓口で、ぼくは職員と対面した。年配の男性で、やたらと説明を濁す。隣でサトウさんが腕を組んでいる。無言の圧力がすごい。
「これはですね、法改正の際に……まあ、技術的な事情でして……」
説明になっていない説明を前に、ぼくの胃が重たくなる。
職員の歯切れの悪い対応
結局、「その当時の担当者でないとわからない」と言い張るだけで、具体的な答えは得られなかった。ファイリングも不完全で、ミスなのか意図的なのかの線引きもつかない。
やれやれ、、、ほんと、現場はいつも現場でしかない。
司法書士は事実と記録をつなぐことしかできないが、そこにこそ真実が潜んでいることもある。
サトウさんの冷静なファイルチェック
事務所に戻ったサトウさんは、無言で過去の除籍簿と改製原戸籍を並べて照合を始めた。そして、ある不一致を見つけた。
「この記録、実際には破棄されていません。帳簿番号が生きてます」
つまり――記録自体は存在するが、あえて伏せられていた。これは偶然ではない。
登場する元職員の証言
かつて戸籍課に勤めていた元職員に連絡がついた。年配の女性で、ぼくの話に黙ってうなずいた。
「その記録、実は“お願いされて”処理しないまま保管庫に残ってたのよ」
サスペンス漫画だったらここで背景に雷が落ちるところだ。
「あれはなかったことにされたんですよ」
その女性の話では、当時、町議会議員だった男性のスキャンダルを防ぐため、親族の戸籍記録を不正に改製から除外したという。
その影響で、依頼人の母親の最初の婚姻が「なかったこと」にされていたのだ。
今なら大問題だが、当時は見過ごされたという。ゾッとするような“人の都合”が記録を歪めた。
制度の盲点を突く偽装工作
改製の際に除外された記録は、法的には生きている。だが、実務では誰も気づかない。それを利用して、まるで最初の結婚がなかったように装っていた。
「事実は戸籍に記録される。だが、戸籍にあるからといって事実とは限らない」
それをまざまざと見せつけられた気がした。
古い戸籍と新しい戸籍の隙間
改製原戸籍は便利だが、情報が簡略化される。その隙間に、悪意を挟むこともできる。今回の件はまさにその“抜け道”だった。
記録の欠如は、過去を無かったことにはできない。けれど、人の目からは隠せる。
そんな現実が、改めて司法書士の役割を重くする。
改製時に消えた事実とは
依頼人の母は、確かに別の男性と結婚していた。そして、離婚し、その後再婚した。ただ、それを証明する“紙”が、何者かによって闇に沈められていた。
その証明を復元するため、ぼくは書面を整え、関係者の証言と記録を組み合わせて法務局に提出した。
不完全でも、これがぼくたちの答えだった。
やれやれ、、、紙より人間の方が複雑だ
無機質な戸籍簿を前に、ぼくはぼそりとつぶやいた。サトウさんは「はいはい、今さら気づきましたか」と鼻で笑う。
だがその声に、どこか優しさが混じっていた気がした。
真実は封印されていた
最初の婚姻を隠していた理由は、当時の家族や世間体だったという。依頼人の母は、それを語ることなく亡くなった。
ぼくたちが知った真実は、もはや誰の役にも立たないのかもしれない。
だが、記録として残すべきものはある。
過去の婚姻と現在の相続の交差点
依頼人は、過去の真実を知ったうえで相続登記を進めた。その表情には、苦みと静けさがあった。
「母が苦労したのは知ってました。でも、こんな形で証明されるなんて」
戸籍とは、家族の履歴書であり、人生の影でもある。
偽装された配偶者の正体
記録上の不一致は是正された。初婚の配偶者も、その子どもも存在しないことが明らかになった。誰かの意図で、架空の家族が創られていた可能性もあったのだ。
事件性はなかったが、社会的には十分に重い“操作”だった。
最終盤の逆転
すべてが終わった後、サトウさんがぽつりと漏らした。「これ、実は内部告発かもですね」
確かに、誰かが意図してこの改製原戸籍を“見つかるように”していた節がある。隠されたはずの記録が、なぜか手元に残っていたのだ。
そんな謎を残しながら、今回の件は静かに幕を閉じた。
サトウさんの一言が全てを動かす
最も重要な帳簿番号のズレに気づいたのは、サトウさんだった。ぼくはひとりで気づけなかっただろう。
「シンドウさん、ちゃんと読みましょう。数字って、裏切らないんですから」
やっぱり、ぼくの事務所には彼女が必要だ。
シンドウのひらめきと決着の書類
最後に提出した「相続関係説明図」は、数十年の嘘と事実の狭間を一枚にまとめた、いわば“人間模様の地図”だった。
やれやれ、、、いつも最後には帳尻が合ってしまう。司法書士という職業は、つくづく不思議な役回りだ。
静かな結末
相続登記は無事に終わり、法務局から受付完了の通知が届いた。依頼人は深く礼をして帰っていった。
残されたぼくとサトウさんは、いつものように無言でコーヒーを飲んだ。
戸籍は人を語らない。ただ、記録の裏には必ず誰かの生きた証がある。
依頼人の涙と消えた名前の重み
依頼人の母の最初の配偶者の名は、結局戸籍に復元されることはなかった。しかし、ぼくたちはその存在を知った。
記録には残らずとも、心には残る。司法書士にできるのは、ほんの少しの輪郭をなぞることだけだ。
今日もまた謄本が語る人の物語
ぼくの机の上には、新しい登記完了証が届いていた。その横で、サトウさんが黙って次の事件ファイルを差し出す。
やれやれ、、、息をつく暇もないな。
けれど、その騒がしさが少しだけ、心地よくなっていた。