筆跡が告げる嘘
午前九時の訪問者
地方の司法書士事務所に、背筋の伸びた中年の男性が現れた。彼は名乗ると、亡き父の遺言書を差し出した。 「これ、父が亡くなる前に書いたものです」と彼は言うが、その表情にはどこか自信のなさがにじんでいた。 封筒から取り出した遺言書には、確かに署名と押印があった。しかし、妙に整いすぎている。
遺言書と代筆の疑惑
「シンドウ先生、これ……ちょっと不自然じゃありませんか?」と、隣で資料を見ていたサトウさんが静かに言った。 彼女の言葉に私はうなずきながら、遺言書を拡大コピーし、筆跡を確認した。 確かに、これまでの印鑑届などに添付されていた父親の筆跡と、どうにも一致しない。
癖のある筆跡
「“はね”と“はらい”が全部一様すぎる。年配の方がこんなきれいに書けるもんかね……」と私。 筆跡があまりに整いすぎているのだ。まるで、書道教室の先生が書いたような字だった。 「代筆か、あるいは……練習の跡があるかも」とサトウさんがつぶやいた。
亡き父の声を継ぐ男
依頼人の男性は、母親が亡くなって以来ずっと父と二人暮らしだったという。 「父は手が震えるようになってたんです。でも、どうしても自分の思いを残したくて…」 感情のこもった説明だったが、肝心の“本人が書いた”という証拠がない。
サトウさんの冷静な視線
サトウさんは淡々と、「この筆跡、似たようなスタイルがネットの遺言雛形サイトで見つかります」と言った。 彼女はGoogle画像検索で、そっくりな筆跡サンプルを見つけていた。 おいおい、まさかの“テンプレ代筆”疑惑じゃないか…。
やれやれ俺の出番か
「やれやれ、、、」と私は思わず口から漏らしていた。 高校野球の時も、負けムードの時に限って俺が代打に出されたもんだ。 まったく、地味で目立たないけど、ここぞというときにだけ頼られる役回りは今も変わらない。
筆跡鑑定士の言葉
私は旧知の筆跡鑑定士・沢田に依頼し、遺言書の鑑定を依頼した。 数日後、「この筆跡、被相続人のものではない可能性が高い」との鑑定結果が届いた。 さらに興味深いのは、依頼人自身の筆跡と“類似点が多すぎる”とのコメントだった。
元野球部の直感
「直感だけど、やっぱりあの人が書いたんだよ」 私は高校時代、監督の機嫌を見て代打のタイミングを読んでいた。人を見る目には自信がある。 依頼人の指先にはわずかにインクの汚れがあった。筆記具の扱いに慣れている者の証だ。
消えたボールペンの行方
事務所のゴミ箱に、不自然に折れたボールペンが入っていた。 「これ、あの人が使ってたやつじゃ…」とサトウさんが鋭く指摘。 私はボールペンを取り出して、遺言書のインクと照合してみた。インクの色も粘度も一致していた。
もう一つの署名
預かっていた古い契約書に、本物の父親の署名が残っていた。 それと比べると、遺言書の署名は明らかに異なる。 「これで偽筆が証明できますね」とサトウさんがため息をついた。
サインが語る家族の闇
「父は、実はすでに別の遺言を残していました」 依頼人の兄が静かに現れ、正式な公正証書遺言を提示してきた。 「弟がこっそり書いた紙切れで、すべて奪おうとしていたんです」と淡々と語った。
静かに語られた告白
弟は観念したように、代筆を認めた。 「父はもう字も書けなかった。でも、兄貴には何も渡したくなかったんです…」 その声には悔しさよりも、むなしさが滲んでいた。
本当の代筆者は誰か
「誰かの言葉を代わりに書くって、本当はとても重いことです」 私はふと、かつてラブレターを友人のために代筆した高校時代を思い出した。 結果、想いは届かず、逆に自分が振られた。あの頃から俺は“裏方”気質なのかもしれない。
サトウさんの小さなため息
「しかし、よく見抜けましたね」 サトウさんが感心しているような、していないような口調で言う。 「ま、うっかりしてるようで、時々働きますから」と私は笑って返した。
そして事務所は静けさを取り戻す
事件が一段落し、事務所に静けさが戻った。 パソコンのファンの音と、外を走る軽トラの音が心地よいBGMだ。 私は机に戻り、次の案件に向き直った。「やれやれ、、、次は相続登記か…」とぼやきながら。