彼女が隠した最後の一人

彼女が隠した最後の一人

花束と涙の受付嬢

昼前、事務所に一輪の真紅の薔薇が届いた。差出人の名はなく、受け取ったのは近くの不動産屋で受付をしている若い女性だった。彼女はなぜか目を潤ませながら「ありがとうございます」とだけ呟いた。

その場に居合わせた私は、思わずサトウさんの顔を見た。だが彼女は無表情のまま、机に向かってキーボードを打ち続けていた。まるで何事もなかったかのように。

朝の事務所に届いた一本の薔薇

通常、司法書士の事務所に花が届くことなどまずない。にもかかわらず、それは誰宛とも分からぬまま、確かに私たちの事務所に届けられた。花屋の領収書も見当たらず、メッセージカードもなかった。

しかも、受付嬢の女性はその薔薇を見た瞬間、涙をこぼしたのだ。感動か、悲しみか、それとも何か後ろめたい感情だったのか。私はすぐに「これは何かある」と察知した。

彼女は誰に渡そうとしていたのか

花束を受け取った彼女は、午後になって急遽早退した。理由は「体調不良」。だが、その顔色はどこか憔悴しているというより、何かを決断した後のように見えた。人は真実に触れた時、ああいう目をするのかもしれない。

そして私は、不動産屋の所長から「この間、うちの子が誰かと付き合ってたらしい」と耳打ちされた。しかもその「誰か」が、どうやら既婚者だったという噂があるらしい。

遺言の付言と秘密の名前

同じ頃、事務所にはある高齢男性の遺言書に関する依頼が舞い込んでいた。本人はすでに病床で意識もはっきりしないが、数ヶ月前に自筆で遺言書を作成していたという。

その封筒には「付言事項あり。必ず最後まで読むこと」と赤字で書かれていた。それを開封した私は、ページの最後に綴られた一文に目を奪われた。

封筒の中の一通の手紙

「私が最後に愛したのは、受付の彼女です」と走り書きされた文字。差出人は亡くなった男性本人だ。その遺言書の中には、彼女に遺産の一部を渡す旨がはっきりと記されていた。

つまり、この薔薇は彼女に対する最期のメッセージだったのだろうか?だが、それならなぜ彼女は涙を流したのか。愛された喜びか、それとも罪の意識か。謎は深まった。

そこに記されたたった一つの名前

遺言の中には、彼女のフルネームとマンションの部屋番号までが丁寧に記されていた。まるで、この手紙が彼女の手に届くことを最初から期待していたように。

だが、もっと不可解だったのは、遺産の受け取り人として、もう一人の名前が追記されていたことだ。それは、亡くなった男性の親友であり、私の依頼人でもあった男の名前だった。

依頼人の嘘と友人たちの証言

私は念のため、周囲の関係者に話を聞きに回った。亡くなった男性の友人、家族、そして以前働いていたスタッフ。だが、皆が皆、「あの二人が付き合っていたとは思えない」と口を揃えた。

それどころか、「彼女が好意を寄せていたのは別の人間だった」と言い出す始末。どうやら、この一件にはまだ何か隠されているようだ。

アリバイが示す別の人物

私が調べた限りでは、遺言に名を連ねた親友の男は、亡くなった当日、彼女と同じ時間に同じ店にいたことが防犯カメラで確認された。だが、その店は二階建てで、二人は顔を合わせていなかったらしい。

偶然か、それとも意図的か。彼は「たまたまだ」と言っていたが、その声には焦りがにじんでいた。アリバイがアリバイでなくなる瞬間を、私は見た気がした。

本命とされる男の不在

さらに、ある男の名前が噂にあがった。だがその男はこの一週間、姿を消していた。不自然な長期休暇。連絡の取れない電話。まるで、何かから逃げるかのように。

その男こそ、彼女の「本命」だったのではないか。私はそう踏んだが、確たる証拠はない。ただ、サトウさんだけはその名前を聞いたとき、明らかに眉をひそめた。

サトウさんの視線と沈黙

サトウさんはいつものように、塩対応のままだった。だが、彼女が封筒を手にしたときの手の震えは、見逃せなかった。彼女は何か知っている。それは確信に近かった。

私は思わずため息をついた。「やれやれ、、、こっちは蚊帳の外か」などと呟くと、サトウさんはほんの一瞬だけ笑った。そんなの、半年ぶりくらいだった。

鋭い指摘とひとつの違和感

「司法書士が感情に振り回されてどうするんですか」と彼女は言った。だが、そのあと、ぽつりと一言。「その薔薇、花屋で売られてませんよ。特注品です」

つまり、送り主は一般人ではない。そして、薔薇を送った人間が、花屋に注文を入れられるだけの準備をしていたということ。これが偶然であるはずがなかった。

隠された会話と壊れたスマホ

そして、彼女のロッカーから見つかった壊れたスマホ。電源は入らなかったが、SIMカードには録音データが残っていた。そこには、誰かと電話で話す彼女の声が。

「ねえ、本当に私が本命なの? 遺言に名前を書くって言ったじゃない」 この声を聞いたとき、私は全てがつながった。遺言に名がなかったはずの男、それが本命だったのだ。

録音されていた本音の告白

彼女が泣いたのは、裏切られたからだった。本命だった男は、彼女の名前を遺言に書くと約束しながら、結局はしなかった。だが、亡くなった男性がそれを知っていた。

その男に代わって、彼女に薔薇を送ったのだ。最後の罪滅ぼしとして。すべてのピースがそろった瞬間だった。

最後に指されたのは誰だったか

遺言の追加項目として追記された「もう一人」は、本命の男ではなく、事実を知りながら黙っていた親友だった。全てを知った彼が、自ら遺産の一部を放棄したと聞いた。

そして、彼女は会社を辞めた。何も告げずに、静かに去っていった。その背中は、何もかも断ち切るように凛としていた。

真の本命と告白の順番

人は時に、愛した順番を間違える。彼女が選んだ相手は、最初から彼女を選んでいなかった。 だが、それでも誰かを「最後に愛する」ことができる人は、きっと幸せだったのだろう。

私は机に戻り、黙ってサトウさんの淹れたコーヒーをすする。少しだけ、塩味がした。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓