はじまりは一本の電話
朝のコーヒーに口をつけた瞬間、無機質な呼び出し音が事務所に響いた。受話器を取ると、聞き慣れない中年男性の声が響く。「先生、地図にない土地のことで相談したいんです」──いつもなら「法務局にどうぞ」と答えるところだが、その声に妙な引っかかりを覚えた。
「地図にない」と聞いて、思い出したのはサザエさんの迷子回。あれと違って、こっちは笑えそうにない。正直、嫌な予感しかしなかった。
地図にない住所の依頼
依頼人の名前は宇佐美。差し出された住所は、確かに存在しない。地番検索をかけても反応ゼロ。Googleマップでも地図帳でも、その場所はただの山林として表示されていた。
「そこに家があるんです。登記したいんです」──そう宇佐美は言ったが、どうやっても辿り着けない地名に登記をするなんて、無茶もいいところだ。
塩対応のサトウさんの推察
「先生、それ、戦後の地目変更が未処理なんじゃないですか」パソコンを睨みながら、サトウさんがぼそりとつぶやく。実に的確で、そして塩対応だ。
「この辺、昭和30年代に一帯が合筆されてるみたいです。でも、宇佐美さんの家、登記簿のどこにもない。ていうか、存在ごと忘れられてるって感じですね」──なるほど。やれやれ、、、簡単な案件ではなさそうだ。
不可解な土地と登記簿の空白
法務局で土地台帳を洗っても、確かにその地番は抜けている。まるで誰かが意図的に削除したような、見事な空白だった。
書架の影で調査票に頭を抱えていたら、隣の司法書士がポツリ。「ああ、その辺ね、昔あったよ。戦争で燃えちゃった村」──冗談だろうか。
見つからない地番
地番が見つからないということは、登記申請の土台がないということだ。まるでルパン三世の泥棒予告のように、手がかりだけ残して全貌は見えない。
これでは土地家屋調査士にも依頼できないし、現地確認にも不安が残る。おまけに依頼人は「自分の家だ」と言い張っているが、証拠となる文書が何一つない。
古地図にだけ載っていた村
役所の倉庫から古地図を取り寄せると、確かにそこには小さな集落の名前があった。「雨留村」──現在の市町村合併では完全に抹消されている。
しかし、その村には、かつて鉱山があり、私有地の乱立で所有関係が複雑だったという記録が残っていた。これはまるで名探偵コナンの未解決事件編のような展開だ。
謎を呼ぶ隣接地の所有者
唯一の手がかりは、隣接する土地の現在の所有者である「株式会社アマヤ」。地元では有名な不動産業者だが、事務所を訪ねても担当者はずっと不在という扱いだった。
それでも粘って話を聞き出すと、やはり何かを隠している様子だった。「あの場所はね……触れない方がいいですよ」──口を濁すその態度が、逆に真実を物語っていた。
話を濁す不動産業者
「実はあの土地、ずっと昔に買収の話があったんですけど、名義人が誰も分からなくて断念したんです」──その言葉で、全てが繋がった気がした。
要するに、法務局にも載っておらず、登記もされていない幽霊地番が残されていた。まるで地図からは消されたが、実際には存在し続けていた土地だ。
旧地主の証言と矛盾
昔の地主を訪ねると、「あそこはうちの爺さんの時代に売った」と断言した。しかし売買契約書も登記記録もない。言葉だけが宙を舞う。
「そういや、家の倉庫に昔の測量図があったな……」と差し出された紙には、確かに雨留村の地割図があった。その一角に、宇佐美家と思しき建物も描かれていた。
やれやれ気配のない土地調査
現地へ赴くと、そこには確かに一軒の古びた家があった。周囲は森に囲まれ、道も細く、車一台やっと通れるレベル。道中で猿に石を投げられる始末だ。
インターホンを押しても反応はない。玄関は開いていたが、誰の気配もなかった。まるで時が止まっているようだった。やれやれ、、、。
名義変更されていない古い所有権
屋内には古い契約書の写しや、固定資産税の納付書まで残されていた。どうやら宇佐美家は戦後一度も所有権を正式に移転していないようだ。
そのため法的には「登記されていない所有者」ということになり、存在はしているが誰のものでもないという扱いになる。まるで幽霊屋敷のようだ。
法務局で明かされた真実
調査の結果、旧登記法時代のまま登記が停止していた土地であることが判明した。昭和の大合筆時に漏れてしまった“抜け地”だったのだ。
アマヤもその事実を知っていたが、調査にかかる手間とコストのために黙殺していたという。なんとも都合のいい話だ。
登記が封印された理由
さらに調べると、雨留村の一部では戦後の混乱で所有権をめぐる争いがあり、登記の凍結処分が行われた例もあった。宇佐美家の土地も、その一つだった。
「法的な再登記を申請すれば可能です。ただし、相続関係をきちんと証明しないと……」──長い手続きのはじまりだった。
役所を巻き込む過去の事件
市役所の資料室では、雨留村に関する事件記録が見つかった。昭和35年、所有権争いに発展した火災事故の報告書。宇佐美の祖父の名前も記載されていた。
この事件が、土地が登記されず放置された原因だった。行政も手を出せず、半世紀が経っていたというわけだ。
シンドウの推理が冴える時
全てのピースが揃った。宇佐美家は長らく所有していたが、正式な登記をせず、合筆にも乗らず、結果として法の外にいた。誰のものでもない土地になっていたのだ。
それを証明するために、相続関係の証明と古文書の写しを整え、ようやく再登記の申請に漕ぎつけた。まさに、書類の迷宮を突破したような達成感だった。
忘れられた名義人の足跡
かつての所有者──宇佐美家の祖父は、戦後の混乱の中、村の仲裁役として事件に巻き込まれていた。それが原因で登記が止まったのだろう。
やっとその“足跡”に公式な記録が与えられたことで、土地もようやく時を動かし始めたように思えた。
登記簿の外にあった証拠
法務局では決して得られない証拠──それは家に残された記憶と紙だった。正式な手続きを踏めば、それもまた証明になりうる。
司法書士の仕事とは、単なる書類作成ではなく、過去と現在をつなぐ橋渡しなのだと痛感した。
境界線の向こうにあるもの
今回の依頼は、紙の地図にはない場所で起きた事件だった。けれど、そこに住む人と記憶があったことが、それを“存在”として認めさせた。
「土地の境界線って、案外、人の記憶の境界線でもあるんですね」とサトウさん。うん、さすがだ。
地番の影と家族の記憶
登記の完了を告げた日、宇佐美は涙を流して言った。「これで、ようやく父に顔向けできます」──消えた土地の記憶が、やっと地番という形で戻ったのだ。
土地が人を守るのではなく、人が土地を守るのだ。そう、司法書士として、久々に心から思えた。
サトウさんの鋭い一言
「ところで先生、この依頼料、割増ですか? これ、サービス外ですよね」いつも通りの塩対応で、しかしどこか安心感のある声だった。
「うーん、やれやれ、、、まあ今回は請求してもバチは当たらんかな」──そうつぶやきながら、僕はようやく一息ついた。
ひとまずの決着
事件は解決した。登記も完了した。だけど、どこかにまだ、誰にも知られていない“地番の影”は存在している気がする。
そして、そんな土地に誰かの記憶が眠っている限り、僕ら司法書士の仕事は終わらない。
本当に解決したのか
ふと気づくと、机の上にまた新しい書類が一件。地図にない住所からの相談。……まさか、続編?
「サトウさん、また変なの来たよ」──そう言うと、「はいはい、次」と、冷たく書類を渡された。
シンドウの疲れた背中
夕暮れの事務所。椅子にもたれ、目を閉じた。背中が痛い。けど、心は不思議と晴れていた。推理も、書類も、最後は通じると信じたい。
……それにしても、俺、野球部だったはずなのにな。こんなに机にかじりつく人生になるとは。やれやれ、、、。