定款裏面の署名

定款裏面の署名

不自然な依頼者

午前九時の訪問者

蒸し暑い夏の朝、事務所の扉が開いた。そこに立っていたのは、背広の似合わない中年男だった。手にしているのは、厚めの封筒。
「会社の定款変更、お願いしたくて」と彼は言った。声が上ずっている。第一印象で何かが引っかかった。

名義変更という名の罠

提出された書類を確認する。内容自体は特に不自然ではない。だが、株主名簿の筆跡と代表者のサインが微妙に違うように見えた。
「念のため、委任状の原本も見せてください」と言うと、依頼者は少しだけ口角を下げて、黙って封筒を差し出した。
嫌な予感は、意外と当たるものだ。

定款と封筒と薄い笑み

社印は本物か

社印の捺印状態が良すぎる。印影にブレがないのは、逆に怪しい。まるで完璧すぎる推理マンガの犯人のようだ。
「これ、誰が持ってきたんですか?」と何気なく尋ねると、「亡くなった前社長の奥さんです」との返答。
亡くなった…?登記簿にはそんな記録はなかった。

定款は語らないが

定款には、その会社の魂が宿る。ページをめくるたびに、その過去と裏事情がにじみ出るものだ。
第九条に記載された取締役の名前は、実際の代表者と一致していなかった。少し前の定款をそのまま使っている?
いや、違う。これは「誰か」が意図的に古いものを偽造した痕跡だった。

サトウさんの違和感センサー

住所録の小さな揺らぎ

「シンドウさん、この住所、法人台帳と違ってますよ」とサトウさんが言った。デスクから目も上げずに、淡々と。
言われてみれば、封筒に記載された会社所在地と、登記情報が一致していない。小さなズレ。でも大きなヒント。
サザエさんのエンディングで波平の髪の毛が揺れるような、そんな違和感だった。

この定款、どこか変です

「あとこの紙質、ちょっと変です。コピーにしては重たい」とサトウさん。気になってコピー用紙の束と比較してみる。
結果は、微妙に厚さが違う。つまり、定款の数ページは本物で、数ページは差し替えられていたということだ。
やれやれ、、、面倒な展開になってきた。

調査という名の寄り道

やれやれ、、、また資料室か

市役所の法人課で旧登記簿の閲覧申請をする。手間がかかるが仕方ない。真相を掘り当てるには、地味な作業が必要だ。
地層を掘るような気分で書類を読み漁っていると、10年前に解散した同名会社の記録が出てきた。
つまり、今提出された定款は、その時の「亡霊」だった。

過去の履歴と消えた取締役

さらに驚いたのは、その旧会社の取締役に依頼者の名前がなかったことだ。では、彼は誰なのか?
調べてみると、彼は一度詐欺容疑で執行猶予になった過去があった。それが何故か「司法書士に相談したい」と来たというわけだ。
僕らは、定款という名の棺のフタを開けてしまったのかもしれない。

定款裏面に仕掛けられた罠

コピーの中の唯一の真実

コピーの裏面、つまり普通は気に留めない場所に、うっすらと見える手書きのメモがあった。
「この会社は再利用不可」とだけ書かれている。誰が、何のために書いたのか。まるでキャッツアイのような置き手紙。
その筆跡は、10年前の代表者のものと一致した。死者からの警告だったのかもしれない。

本物は一枚しかない

最終的に、真に登記されていた定款の原本と突き合わせたところ、差し替えの事実が判明。これは立派な私文書偽造だ。
依頼者はその場で顔色を失い、「そ、そんなつもりじゃ…」と呟いた。
だが、つもりの有無と法的責任は別問題だ。警察に同行をお願いした。

真犯人の目的

偽装会社と資金洗浄

彼の目的は明白だった。休眠状態だった会社名を使い、偽名義で口座を開設し、金の出入りを隠す。
そのためには、定款が「過去に存在したものである」ことが重要だった。実際の活動は行われないが、名前だけは残る。
幽霊会社とは、まさにこのことだ。

定款を使った静かな乗っ取り

たった一枚の紙で、他人の信頼も、信用も、そして会社も乗っ取ることができる。悪用されると、これほど恐ろしいものはない。
司法書士の目がなければ、この事件は闇に葬られていただろう。
僕の仕事は、地味だが、そういう「見えない戦い」でもあるのだ。

サトウさんの推理と決着

謎解きはサトウさんとともに

「最初から怪しいと思ったんですよ、あの人。名刺の角が妙に丸かった」とサトウさんは言う。
まるでコナンの蘭ねーちゃんみたいに、普段は穏やかな顔で鋭いことを言う。
結局、僕は推理の半分以上を彼女に任せた気がする。

司法書士の責任という名の覚悟

依頼を受けるということは、書類を確認するだけじゃない。そこに隠された意図や背景まで読み取る覚悟が必要だ。
少しでも疑わしければ、確認する。遠回りに見えて、それが最短なのかもしれない。
やれやれ、、、また一つ勉強させられた。

静かな終わりと日常の戻り

夕焼けと冷たい麦茶と事務所の風

事件が終わり、ようやく日常が戻ってきた。窓の外には茜色の夕焼け。事務所には扇風機の音だけが響いている。
サトウさんが黙って麦茶を置いてくれた。彼女なりのねぎらいかもしれない。
僕は深く椅子にもたれて、小さくため息をついた。

また一つ、誰にも知られぬ戦いが終わった

この仕事に「喝采」も「拍手」もない。でも、それでいい。
誰にも知られずに誰かを守るのが、僕らの役割だから。
それでも時々は思う。「やれやれ、、、こんな僕にも、ちょっとだけヒーロー気分が味わえる日があるんだな」と。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓