謄本に滲んだ赤い記憶
午前九時の来訪者
血相を変えた依頼人
その朝、僕は書類の山に埋もれながらコーヒーを口に運んでいた。そんな中、事務所のドアが勢いよく開き、男が飛び込んできた。シャツはしわくちゃ、顔色は青ざめており、手には古びた紙の束が握られていた。
「あの……これを見てください!」と彼は言いながら、一枚の登記簿謄本を僕の机に叩きつけた。そこには、確かに異様な“赤い染み”が端に残っていた。
登記簿に潜む違和感
物件の履歴にある謎の空白
サトウさんが黙ってファイルを取り出し、同じ住所の登記履歴を法務局のオンラインシステムで検索してくれた。すると、一件だけ妙な“空白期間”があった。
平成22年から平成25年の三年間、所有者が誰か特定されていないのだ。正確には、所有権移転の記載はあるが、その原因や日付が不明で、申請人欄も空白になっていた。
なぜか二重に登記された住所
さらに不可解なことに、同一住所で別の登記簿も存在していた。まるで“裏の登記”が同時に存在しているかのように。まるでブラックジャックの医師免許のような、法の隙間をかいくぐった何かだ。
「これ、誰かが意図的に隠したとしか思えないですね」とサトウさんがぽつりと呟く。塩対応のくせに、そういう時だけは声に凄みが出る。
サトウさんの冷静な視点
「これ、ただの赤インクじゃないですよ」
「試薬で反応を見るだけで分かりますよ」そう言って、サトウさんは机の引き出しから小さな検査キットを取り出した。法務局帰りにたまたま買ってきたらしい。どこの探偵だ。
数分後、テスト紙がうっすらと茶色く変色した。「やっぱり、これは血ですね。酸化してるからかなり古い」とサトウさん。やれやれ、、、最近は司法書士に化学の知識も必要らしい。
筆跡鑑定に出された一枚の写し
染みのある部分を避けた写しを、僕は筆跡鑑定士に依頼した。その結果はすぐに戻ってきた。「書いたのは二人。途中で筆跡が変わっています」
まるで遺言書の改ざんを見破った時と同じだ。しかも後半の筆跡には、どこか“脅されて書かされたような”筆圧の不自然さがあった。
隣人の証言と封印された過去
15年前の火事と失踪した家主
かつてその家に住んでいた男性は、15年前の火事で姿を消した。遺体も見つからず、警察は事件性なしと判断したらしい。ただ、隣人の老婆はぽつりとこう言った。
「あの夜、窓から誰かが逃げるのを見たんです。白い封筒を握ってましたよ」火事に見せかけて証拠を燃やし、血の付いた謄本だけが残されたというのか。
記憶の中の“血”と“紙”の記録
依頼人の母親が残していた手紙には、「あの謄本だけは絶対に処分しないで」と書かれていた。まるで、過去の罪をあえて未来へ残したかのように。
犯人は、過去に隠蔽した登記と血痕をいつか誰かが見つけることを“望んでいた”のかもしれない。罪と所有権は、必ず証拠として紙に刻まれるのだから。
やれやれ、、、僕の出番か
司法書士が仕掛けた登記トラップ
僕は、登記の申請ミスを装い、再度の登記を依頼人名義で申請した。すると、すぐに謄本の“裏所有者”が異議を申し立ててきた。そこに罠があった。
その異議申立てには、“自らの関与”を認める文言が含まれていたのだ。登記の罠にまんまと引っかかったわけだ。昔読んだキャッツアイの罠のように、思わずニヤリとする。
赤いインクの正体と法務局の記録
警察は鑑定結果と異議申立書をもとに、15年前の事件を“殺人と文書偽造”として再捜査することになった。赤い染みは、登記に残された唯一の告発だった。
紙は口を開かないが、嘘もまた長くは続かない。特に“紙の正義”を守る司法書士にかかれば。
結末の一筆
謄本に書き加えられた“真実”
「この謄本は、再発行ではなく保存すべきですね」と僕が言うと、サトウさんは鼻で笑った。「燃やす方がロマンチックですけど」
僕は少しだけ笑って、古い謄本の片隅に赤ボールペンでこう書き加えた。「真実は紙に残る」。やれやれ、、、詩人ぶるにはまだ早かったかもしれない。
静かに閉じた登記の扉
依頼人は静かに帰っていった。過去の血と紙の記憶を抱えたまま、でも少しだけ背筋が伸びていた。物件も心も、新たな所有者のもとで再スタートを切るのだろう。
僕の事務所には、また静けさが戻った。机には新しい申請書が山のように積まれている。やれやれ、、、次はどんな過去がこの紙の中に眠っているのか。