朝の来客と封筒
事務所のドアがぎぃと音を立てて開いたのは、まだ朝のコーヒーを一口しか飲んでいない時間だった。年配の女性が一枚の封筒を差し出し、「これをあなたに託してくれと言われました」とだけ言い残して去っていった。封筒には差出人の名前も、何の書類かも書かれていなかった。
白紙の委任状が届いた日
封筒の中には、委任状が一枚だけ入っていた。ただし、肝心の委任事項も、受任者の名前も空白。押印もなければ、日付すら記されていない。「これは、、、」とつぶやいた私の背中越しに、サトウさんがため息をついた。
サトウさんの冷静な推察
「これ、誰かがわざと未記入のまま渡してきたんでしょうね。偽造の余地を残して」サトウさんは淡々と言いながら、すでに筆跡照合の準備を始めている。まるで名探偵コナンの灰原哀みたいに、冷静で的確だった。
依頼者の正体
不思議なのは、彼女が「これをあなたに」と言ったことだ。私の名前はどこにも記されていないはずだ。なのに、なぜ。地方の小さな司法書士事務所に、こんな不思議な書類が舞い込むなんて、まるで漫画の中の話だ。
名前のない封筒に託されたもの
封筒の裏には、うっすらと「昭和六十二年」と印刷された古い紙の質感があった。茶色く変色したその封筒は、封の糊までしっかり残っていたが、誰かが丁寧に切り口を開けていた。つまり、誰かが一度開けて、中身を入れ替えた可能性がある。
登記簿と一致しない筆跡
保管していた過去の登記資料を調べてみると、奇妙なことが分かった。委任状の署名に似た筆跡が、ある相続登記の申請書に使われていたのだ。だが、その登記は二十年以上前に終わっていた。つまり――依頼人は、すでに亡くなっている。
謎の封印と過去の登記
登記簿をさらに洗っていくと、妙な仮登記が一件浮かび上がった。申請人が誰なのか、記録が途中で欠けている。さらに、その仮登記に添付された資料の一部に、今回の白紙委任状と似た封印が押されていた。
二重に閉じられた封筒
封筒を裏返してよく見ると、封は二重だった。ひとつは古い時代のもの、もうひとつは最近の粘着剤によるもの。つまり、誰かが過去の書類を改ざんしようとし、かつそれを私たちに見つけさせようとしたのだ。まるで、ルパン三世が挑戦状を送ってきたかのような構図だ。
平成元年の仮登記
平成元年の仮登記には、ある名義変更の申請が記されていた。しかし、それは正式な登記に移行していない。仮のまま、誰にも顧みられずに時だけが過ぎていた。白紙委任状は、その“続き”を誰かに処理してほしかったのだ。
隠された委任の意図
では、なぜ誰かがそんな面倒な真似をしたのか。仮登記の対象地は、現在大手企業が狙っている再開発エリアの一角だった。この土地が正式に移転されれば、誰かが大金を手にすることになる。つまり、遺族の誰かが――。
実家の押し入れで見つかった通帳
かつての依頼人の実家を訪れた際、古びた押し入れの中から通帳が見つかった。その中には、少額ながらも定期的に振込がされていた痕跡がある。そして振込人の名前は、今回封筒を持ってきた女性の名字と一致していた。
「故人」からの依頼
亡くなったはずの依頼人が、実は生きていた――というサスペンスではなかった。彼は確かに亡くなっていたが、その意思は生前に誰かに託され、形を変えて今ここに現れたのだ。つまり、死者が“最後の依頼”を果たそうとしていた。
登記申請書に残されたヒント
一枚のコピー用紙の隅に、微かに鉛筆で書かれた数字の羅列があった。これは登記書類の案件番号と一致し、書類棚の奥に眠っていた申請書のコピーと照合できた。それは、まだ登記されていなかった真の委任状だった。
タイプライターのインクとズレ
申請書は、昔ながらのタイプライターで打たれていた。そのインクの滲み方と文字のズレから、使用された機種まで推定できた。まるで怪盗キッドが現場に残す“予告状”のように、持ち主の個性がにじみ出ていた。
司法書士の直感と過去の事件
私はふと思い出した。十数年前、似たような事件があった。封印された委任状が鍵を握るトラブルだ。そのときも「形式」が盲点だった。やれやれ、、、また同じ罠にかかるところだった。だが今度は違う。私はもう、経験を積んだ。
真相に近づく夜
事務所で残業していた夜、電話が鳴った。名乗らなかったその声は、「あの土地は父の意志です」とだけ告げた。サトウさんは受話器を置いたあと「これで繋がりましたね」と静かに言った。
サトウさんのひと言
「結局、登記って人の記憶を綴る作業なんですよ」彼女は机の上の白紙委任状を指差しながらそう言った。その顔は、どこか哀しみと誇りが混じったような表情だった。
やれやれ、、、昔の癖が抜けないな
私は頭をかきながら、思わず口にした。「やれやれ、、、昔の癖が抜けないな」事件が終わっても、また何かが始まる。そんな気配を残しながら、事務所にはいつもの静けさが戻っていた。
明かされる封印の意味
白紙の委任状は、実は正式な遺言状の補助資料だったのだ。本人が法的な委任を書ききれず、意図だけを残そうとした苦肉の策だった。だがその空白には、明確な意思があった。文字以上の言葉がそこには宿っていた。
第三者の意思表示
今回の登記は、法的には曖昧で、グレーゾーンぎりぎりだった。しかし、その空白を通じて遺族が歩み寄り、最終的には協議でまとまった。司法書士の私は、ただその背景を整えるだけだった。
争族を防ぐための遺志
最終的には、白紙の委任状が一つの象徴となった。「譲り合うこと」を示す封印だったのだ。文字がなくても伝わるものがある。それを信じて仕事を続けるのが、司法書士の宿命なのかもしれない。
翌日の事務所で
翌朝、サトウさんが出したお茶の湯気を見つめながら、私はテレビの音に気づいた。サザエさんの再放送だ。波平の怒鳴り声が、事件後の静けさに妙に合っていた。
サザエさんを観る暇もなく
波平が「バカモン!」と怒鳴る横で、私は次の登記資料を開いていた。サザエさんの一家のような穏やかな日常は、うちの事務所には訪れないらしい。だが、それも悪くない。
封筒の余白に記された一行
最後に、封筒の裏に微かに記された一行があった。「たのんだよ しんどうさん」――筆跡は、二十年前に依頼をくれたあの人のものだった。やれやれ、、、まったく、いつも最後に泣かされる。