捺印された真実
その封筒は、なんの変哲もない白地の長形三号だった。だが、表にあるはずの宛名は消され、代わりにひとつの朱印が、歪んで滲んでそこにあった。依頼人が言った。「これが遺言書でした」。
午前11時、雨の降る月曜。コーヒーの味もしない朝、俺の机の上にぽつんと置かれたその封筒が、今日の騒動の幕開けだった。
封筒に残された印影
封筒の裏に確かにある。丸い印影。しかし通常の実印とは違い、かすれて文字も読めない。誰のものかすらわからない。依頼人の顔は強張っていた。「兄が亡くなって、これだけが見つかったんです」。
遺言のような文面、しかし日付も署名もなく、ただ朱のハンコだけが、その存在を主張していた。
依頼人は誰なのか
依頼人の名前は村田圭吾。市内で小さな建築会社を営んでいたという。亡くなった兄・村田重則とは疎遠だったらしい。だが彼は、遺産分割を急いでいた。「会社が資金繰りに困ってまして……」。
その焦りが、俺の警戒心をより強めることになる。
不自然な登記手続き
村田が提示した書類は、すでに印鑑証明付きで登記申請が準備されていた。不動産の名義変更だ。だが俺の中の違和感が騒いでいた。「こんなに早く書類がそろうか?」と。
しかもその登記原因が、「遺言による所有権移転」だった。
消えた書類と机の中
その夜、俺は重則の家を訪ねた。相続人の立会いで中を調べる。そこには確かに何かがあった痕跡――机の引き出しの鍵穴に、強引にこじ開けた傷。
中は空だった。まるで何かが盗まれたかのように。
ハンコが示すもう一人の存在
翌朝、サトウさんが言った。「このハンコ、三文判じゃないです。注文品ですね。しかもこの書体……」。
彼女が差し出したのは、印章メーカーのカタログ。そこにあった、同じ書体の例が載っていた。個人ではなく、法人印のような規格。つまり――誰かが捺した。
やれやれ、、、忘れ物が多すぎる
俺はため息をついた。まるでカツオが宿題を忘れて慌ててるみたいな気分だ。サザエさんの世界じゃ済まされない。これは、誰かが意図的に何かを隠してる。
「やれやれ、、、」とつぶやきながら、再び登記書類をめくる。
サトウさんの冷静な指摘
「登記原因証明情報が変です。日付が提出書類と微妙に違いますね」
サトウさんがキーボードを打ちながら、冷静に言う。「そしてこの印鑑証明、発行日が遺言日よりも新しい。つまり……遺言書が作成されたとき、この証明は存在していないはずです」
元野球部の勘が働く
この違和感。試合中、バントを構えた打者が実はフルスイングを狙っていたときの感覚。俺の中の勘が騒ぎ出す。
「村田さん、本当に遺言書を見つけたのはご自身ですか?」と問うと、一瞬の間があった。まるで、スライダーにバットを止められなかったような顔をした。
法務局の影に潜む人物
登記の準備がスムーズすぎる。確認すると、村田の会社の経理に元法務局勤務の人物がいた。名前は永井。定年間際に辞めたという噂。
彼が裏で手引きしていた可能性がある。
印鑑証明の矛盾
市役所で調べたところ、重則の印鑑証明は亡くなる一週間後に再発行されていた。「死亡後の発行?ありえませんよ」と担当者は言う。
つまり、その印は死後に誰かが勝手に使ったのだ。
思いがけない犯人像
犯人は永井ではなかった。真犯人は、重則の内縁の妻だった女性。彼女が村田に金を貸していた。回収のため、遺言をでっちあげ、村田に圧力をかけたのだ。
動機は愛情と執着。そして、借金の帳消し。
サトウさんの言葉が導いた真実
「裏に誰かがいるなら、本人が急ぎすぎるのは当然ですね」
サトウさんの一言が、全体のピースを埋めてくれた。真実はシンプルだった。ただ、誰かが嘘をついていただけ。
捺印の時刻が語る証拠
近所の郵便局で確認したところ、その封筒が投函されたのは死亡当日ではなかった。さらに、防犯カメラに村田がポストに入れる姿が映っていた。
自作自演だったのだ。
事件の裏にあった切ない動機
村田は兄と和解したかったが、その直前に兄は亡くなった。せめてもの思い出を残すために、形だけでも遺言を作ろうとしたのだ。
だが、偽造は偽造。罪は罪だ。
シンドウ、最後の一手
俺は静かに警察に連絡した。村田は黙って頷いた。「全部、俺がやりました」と。
司法書士として、人として、寂しい結末だった。
静かに封印される書類の束
俺はその封筒を証拠袋に入れ、棚の奥へしまった。捺印された真実は、もう語ることはない。
「シンドウさん、午後の登記オンライン申請、処理しましたから」とサトウさん。やれやれ、、、まだ一日が終わらない。