沈黙の放棄届
放棄されたはずの遺産
「相続放棄された遺産が、何故か第三者に渡っていた」——そんな一報が、ある日の朝、事務所の電話を震わせた。依頼人は中年の女性で、亡き兄の遺産について不審な動きがあると言う。放棄は確かにしたはずなのに、彼の名義のまま土地が転売されていたらしい。
登記簿を確認する前から、胸がざわついていた。これは、ただの登記ミスでは済まされない気がした。
不審な一通の通知書
依頼人が持参したのは、市役所から届いた固定資産税の納付書だった。それには既に死亡した兄の名義で送付されており、しかも「所有者変更は未了」と注釈があった。
「本当に相続放棄したのか?」という疑念が首をもたげる。だが、彼女は強くうなずいた。「家庭裁判所で手続きしました。控えもあります」と。
依頼人の曖昧な記憶
申述受理通知書のコピーを見せてもらうと、確かに「放棄済み」の文字。しかし肝心の土地が申告されていなかった。聞けば「兄の財産は借金だけだと聞いていた」とのこと。
まるで、サザエさんのマスオさんが隠し財産を持っていたような話だ。だが、実際は笑い話では済まされない。
サトウさんの冷ややかな分析
「これは、放棄の範囲を誤認していた可能性がありますね」と、例によって無感情な声が背後から飛んできた。サトウさんだ。手元のモニターに戸籍を並べながら、淡々と指摘する。
「兄が亡くなった直後に名義変更されてないのはおかしいです。誰かが意図的に放置した可能性もあります」
公正証書の裏側
公正証書遺言の有無を調べるため、公証役場に照会をかけた。数日後、送られてきた回答は「遺言は存在せず」だった。しかし奇妙な点が一つ。兄の死の直前に、ある司法書士が訪問していた記録が残っていた。
その名前に見覚えがあった。かつて、成年後見でトラブルを起こした人物だった。
見落とされた戸籍附票
戸籍附票を確認すると、兄の住所が死亡前に数度移転していることがわかった。その一つに、不自然な仮住まいが含まれていた。短期間の転居。書類上の操作臭が濃い。
しかも、その住所には別の人物が住民登録していた。放棄届を提出した際、実体のない居所を利用していた可能性が出てきた。
やれやれ、、、再調査か
「やれやれ、、、また役所まわりか」と、ため息をつきながら車に乗り込んだ。夏の陽射しが容赦なくフロントガラスを叩く。こんなとき、冷房が壊れているのを思い出すのはいつも遅い。
しかし、この仕事を誰かがやらねばならない。うっかり者でも、走るしかない。
旧家の奥に残された封印
現地調査のため訪れた旧家は、想像以上に荒れていた。納屋の奥に鍵のかかった金庫があった。依頼人と相談のうえ、鍵を壊して中を確認すると、古びた書類と通帳の束が出てきた。
その中に、未記載の土地の登記識別情報通知があった。しかも、白紙委任状まで添えられていた。
登記記録に残る違和感
法務局で原本を確認したとき、その違和感は確信へと変わった。提出された書類は明らかに形式を満たしていないのに、なぜか受理されていたのだ。筆跡も依頼人のものとは異なる。
誰かが、偽造して提出した。それがこの「沈黙の放棄届」の正体だった。
サザエさん一家との奇妙な符合
謎を解きながら、ふとサザエさん一家を思い出す。あの家も、家計簿や相続の混乱とは無縁じゃないだろう。カツオが勝手に何かを相続していたら、サザエが烈火の如く怒っているだろうな。
それにしても、現実の方がよほどややこしい。
影武者となった相続人
調査の結果、放棄を装っていた人物は、兄の愛人との間に生まれた子だった。戸籍には載らず、影武者のように財産を横取りしていた。偽造された白紙委任状を利用し、登記名義を移し替えたのだった。
これは、詐欺未遂ではなく、すでに実行済みの事件だった。
隠された本当の目的
どうやらその子は、自分の出自に疑問を抱きつつも、遺産だけは受け取るつもりだったようだ。親から認知されず、戸籍にも載らなかった人生。その復讐が、沈黙の中に潜んでいた。
しかし、そのやり方は許されるものではない。
放棄届に残されたサインの秘密
司法書士として、一番腑に落ちなかったのは、放棄届に押された印影だった。依頼人の印鑑証明と微妙に違っていたのだ。細部を拡大すると、判子の掘りが浅く、明らかに量産品の既製印だった。
つまり、提出された放棄届そのものが偽造されていた可能性がある。
サトウさんの無言の一撃
「やっぱりですね」と、サトウさんがメールで送ってきた画像には、偽造に使われた印影と同じものが某通販サイトで売られている画面があった。探偵かよ。
「私でも買えました」と一言だけ添えられていた。恐るべし、サトウさん。
ラストバッターは俺だった
結局、すべての証拠を揃えて警察に提出したのは、俺の役目だった。裁判所への再申立ても、法務局への抹消登記申請も、すべて地味な作業。でもそれが、俺のバッターボックスだ。
九回裏二死満塁、何とかセーフの判定を勝ち取った気分だった。
結末のあとに残る静けさ
すべてが終わった午後、事務所で一息ついていると、サトウさんがコーヒーを持ってきた。「シンドウさん、たまには打てましたね」とボソリ。
「……うるさい」と呟きつつ、どこかくすぐったい気持ちでカップを受け取った。