プロローグ夜の電話
静寂を破った着信音
深夜零時をまわった頃、事務所の黒電話がけたたましく鳴った。昭和のドラマに出てきそうな音色が、眠りについた地方都市の静寂を引き裂く。思わずベッドから転がるように起き上がり、受話器を取った。
「こんな時間にすみません、シンドウ先生。兄が亡くなりまして…共有名義の土地があるんです。どうしたらいいかわからなくて…」
依頼人の声は震えていた。だが、眠気混じりの僕の頭には、ただ一言しか浮かばなかった。「やれやれ、、、」。
訪問依頼と古い土地
依頼人は誰か
翌朝、喪服姿の女性が事務所を訪れた。彼女は亡くなった兄の妹で、十年前に相続放棄をしたという。だが、今回の土地には彼女の名前が共有者として残っていた。
「先生、これって放棄したら自動的に名義から消えると思ってました」——いや、それが違うのだ。僕は事務的に頷きつつ、登記簿を調べ始めた。
共有登記簿に刻まれた名前
不一致な筆跡と時効の罠
共有名義の一覧には、依頼人とその兄以外にも、第三の人物の名前があった。誰だこれは?見覚えがない。しかも、その人物の住所は「不明」となっている。
「これ、時効取得で誰かに持っていかれてる可能性あるよね」と隣でサトウさんが冷たく言った。まるでキャッツアイの来生瞳みたいに冷静な目だった。
現地調査と見えない境界
境界杭が語る真実
現地に赴くと、案の定、境界杭が一つ消えていた。いや、消えたのではない。草に覆われて見えないだけだった。スコップで掘り返すと、出てきたのは昔の区画線。
「この位置、図面と全然違うよ」——サトウさんの指摘にうなずきつつ、僕は地元の測量図を取り出した。土地の形が不自然にずれている。
謎の相続放棄届出
届出人は存在しない人物
市役所の保存文書庫で発見されたのは、相続放棄の写しだった。だが、署名された筆跡は依頼人のものとまったく違う。「先生、私、こんな書類書いてません」
つまり、偽造だ。誰が、何のために。共有者の名義を整理しようとした“何者か”がいたのだ。
公図に隠されたもう一つの区画
なぜ誰も気づかなかったのか
公図を拡大コピーし、重ね合わせてみる。すると、現地とは異なる形状が浮かび上がった。おそらく、昔の地目変更で区画が分断されたのだ。
サザエさんの町内でも、たまにある。地番が違うのに、表札は同じ苗字。それに気づかず相続してしまった者が、後に痛い目を見るのだ。
やれやれ登記のやり直しだ
過去の錯誤と現在の権利
一つ一つの名義をたどり直し、登記原因証明情報を積み上げていく。これは推理というより、地道な作業。だけど、誰かがやらなきゃならない。
そして、ついに見つけた。昭和62年の売買契約書の写し。未登記だった隠れ共有者の名義を押さえる証拠だった。
サトウさんの推理がすべてをつなぐ
遺産分割協議の矛盾
「この協議書、内容が変です」——サトウさんが冷静に言う。確認すると、共有持分の合計が100を超えていた。つまり、誰かが“水増し”していたのだ。
それは偽造ではなく、相続人の一人が他の家族の印鑑を無断で使用していた結果だった。家族間の信頼という名の盲点だった。
司法書士シンドウの逆転登記
証拠としてのゴミ袋
すべての鍵を握っていたのは、亡兄の部屋のゴミ袋だった。破棄されたメモ帳の片隅に、共有名義変更の試算が書かれていた。「〇〇分の一、消せば均等」
証拠を突きつけ、相続人たちを集めて協議をやり直した。その場には涙と怒号が飛び交ったが、結果的に全員が納得する形で合意した。
事件の結末
真犯人は誰か
真犯人は存在しなかった。全員がちょっとずつ間違えていた。制度の不備、記憶の誤差、書類の不注意。その積み重ねが、一つの“事件”になっていたのだ。
エピローグそして日常へ
相変わらず忙しい午後
「先生、次の相談者来てます。境界争いで揉めてるそうです」サトウさんの無機質な声が、現実に引き戻す。僕は登記簿を片付けて、冷たいコーヒーを一口飲んだ。
「やれやれ、、、」また今日も、眠らない共有者たちに付き合うことになる。