気づけば話す内容が全部仕事のことになっていた
ふとした会話の中で、気づけば自分の話題が仕事のことばかりになっていることに気づく瞬間があります。悪気はないし、話せることがそれしかないから自然とそうなってしまう。でも、相手がだんだん無言になっていくのを見ると、ああまたやっちゃったなと思うんです。休日のカフェでも、親しい友人との電話でも、気づけば「登記の件でさ」「今月も依頼が立て込んでて」と口にしている。何かを共有したいという気持ちはある。でも、共有できる“人生のネタ”がほとんど仕事で埋まってしまっているんですよね。
プライベートの話が浮かばない日常
「最近どう?」と聞かれても、頭の中で思い浮かぶのは顧客の対応、事務所の締切、法務局とのやりとりばかり。ご飯の話も、趣味の話も、なんだか思い出せない。自分ってこんなに話題の乏しい人間だったっけ?と思うこともしょっちゅうあります。仕事をしてる時間が長いせいか、それ以外の時間が空白になってる気がするんです。漫画を読むのも、「これ記事のネタになるかも」とか考えてしまう始末。こうやってどんどん“仕事人間”になっていってる気がします。
昔の自分と今の自分を比べてしまう
学生時代、特に野球部の頃なんて、バカみたいな話ばっかりしてたんですよ。どうでもいいような話題で盛り上がって、笑って、くだらないって言い合ってた。それが今じゃ、打ち合わせの延長みたいな話しかできなくなってる。なんでこんなに固くなってしまったんだろうと、自分で不思議になるくらいです。
野球部時代はくだらない話で笑ってた
「今日の弁当、唐揚げ二個だったぞ!」とか、「監督の口癖ランキング作ろうぜ」みたいな、どうでもいい話に本気になれていたあの頃。時間があれば、ボールを握るか喋るかのどちらかでした。そんな日々が、今ではまるで別人の人生のように感じられます。今の自分は、人と会っても“成果報告”みたいな喋り方しかできない。あの頃みたいに笑いたいのに、どうも力が入ってしまって素直に雑談すらできない。
今は愚痴すらも業務報告みたいになっている
「今日もバタバタだったよ」とこぼすのも、なぜか“報告”っぽくなってしまうのは職業病でしょうか。「書類ミスが多くてさ」「登記のタイミングが読めなくてさ」と言い出すと止まらない。聞いてる相手にとっては、もはや何を言っているのかすらわからないかもしれません。昔のような“ただの愚痴”が言えなくなってる。そういう自分に気づいて、ますます話せなくなる、そんなループにハマってる気がします。
話題の引き出しを開けると中身が業務だけ
ちょっとした雑談をしようとしたとき、引き出しを開ける感覚がありますよね。そこに入ってるのが、登記申請、不動産の売買契約、相続の相談ばかりだったときの虚しさたるや。自分の頭の中、これしかないのかと。映画を観ても、「登記のシーン変だったな」とか、ドラマを観ても「これ契約書どうなってるんだ」とか、職業目線でしか観られない。自分で自分をつまらないと思う瞬間です。
友人との会話も報告書スタイル
久しぶりに会った友人に「最近どう?」と聞かれて、「3月は登記件数が去年より2割増しで…」って言いそうになったことがあります。あぶないあぶない。けど、その後に出てくる言葉が結局「で、今その対応に追われてて…」になっちゃう。友人との会話ですら、感情じゃなくてデータで答えてしまうようになった自分にゾッとしました。数字や事実の裏側にある自分の気持ちを伝えるのが苦手になってる。それって、誰とも本音で話せなくなってるってことかもしれません。
自分でも聞いてて面白くないと感じる瞬間
話していても、「これって誰かの役に立つ話なんだろうか」と考えてしまう癖があります。会話って、本来は楽しかったり、くだらなかったりするもんだと思うんです。でも今の自分は、意味や価値を求めすぎてる。まるで記事を書くように話す。聞いてる相手の表情が曇ってきたら、「またやっちまったな」って思うけど、もうどう話していいかわからないんですよね。
事務所のことを離れても頭の中は仕事
コンビニでコーヒー買ってても、「そういえばあの案件、決済金の入金確認したっけな」と頭をよぎる。テレビを観てても「この人の登記名義、どうなってるんだろう」と職業病が発動する。完全にオフになる瞬間がないんです。そんな状態で、プライベートの話題が自然と出てくるわけもない。心から休むってどうやるんでしたっけ?という感じです。
会話が続かないのは自分のせいかと悩む
会話が続かないとき、「相手がつまらなそうだった」と感じる以上に「自分が面白くないせいだ」と落ち込むことが多くなりました。話題が狭くなってるのは自分の生活が偏ってるからで、それを改善しようにも時間も気力もない。悪循環です。でも、どこかで誰かが共感してくれたら、それだけで救われるような気もするんですよね。