謎の相談者が訪れた朝
その日も朝から判子と申請書に囲まれていた。コーヒーが冷めるほどに打ち合わせが続く中、玄関のチャイムが鳴った。現れたのは、やや目の赤い中年女性だった。
「この登記、何かおかしいんです」――差し出されたのは、ある土地の登記事項証明書。そこには不可解な点が、確かにあった。
所有者の変更が数年前に行われていたのだが、彼女の話では、実際にはその前の所有者は失踪していたという。
登記簿の写しと涙ぐむ女性
彼女は、失踪した兄の土地が、まるで自然に他人のものになっていたことに納得がいかないという。兄は借金こそあったが、土地を手放すような人間ではなかったと話した。
僕は写しを丁寧に見直した。移転原因は「売買」、しかし売主の住所は兄の自宅から遠く離れた場所になっていた。
「これは…簡単じゃなさそうだな」内心の警戒が、ジワリと広がっていった。
サトウさんの鋭い第一印象
「それ、名義の移転がグレーですね。しかも住所変更がされてないのに売却って、変ですよ」
そう言ったのは、デスクで書類を整理していたサトウさんだった。彼女はちらりと登記簿を見ただけで、違和感を察知していた。
「登記の日付と住所のズレ、あとこの印鑑…少し潰れてますね。偽造の可能性もあります」
旧所有者の名前が消えている
登記簿をさらに追っていくと、不自然な点がもう一つ浮かび上がってきた。以前の所有者の名前が、補正も抹消もなく消えていたのだ。
不動産登記の世界では、何も記録がないことこそが最大のヒントになる。消えていたのは名前ではなく、真実そのものだった。
僕は机に肘をつきながら、「まるでサザエさんの家の間取りみたいに、辻褄が合わない」とつぶやいた。
登記簿の空白に潜む違和感
所有権の移転には必ず原因が必要だ。売買、贈与、相続――理由があって初めて変わる。しかし今回の登記には、その一行がない。
まるで、何者かが意図的に情報を消し、空白を作ったように見える。空白が語るのは、書かれたことではなく、書かれなかった事実だ。
これは単なるミスではない、と直感した。
改ざんか誤記か 記録と現地の矛盾
現地を確認に行ったところ、土地には今も空き家が建っており、表札には兄の名前がそのまま残されていた。
近所の住民に聞くと、「5年前に急にいなくなった」と言う。しかもその後、誰も出入りしていないという。
つまり、売却された形の土地に、誰も新たに住んでいなかった。紙の世界と現実のズレが、疑念を深めていく。
役所に残された古い謄本
僕は市役所の保管庫を訪れ、古い閉鎖登記簿の謄本を取り寄せた。そこに記された手書きの文字が、ひとつの手がかりとなった。
土地の元の名義人である兄のサイン。その筆跡は、今回の移転登記に押された署名とはまるで違っていた。
だが決定的証拠にはならない。筆跡は状況証拠に過ぎない。もっと強い裏付けが必要だった。
昭和時代の謎の名義人
古い謄本には、昭和時代に一度だけ、ある男が短期間だけ所有していた記録が残っていた。その人物は現在の新所有者の父親だった。
つまり、数十年前に既に関係性が存在していたことになる。これは偶然ではない。
裏で何かが繋がっている――そんな気がした。
貸金庫の存在を示す一行
謄本の余白に書かれたメモ。「第一信金 本店 貸金庫番号○○」という走り書きがあった。
もしかすると、失踪した兄が何か重要な資料を金庫に預けていたのではないか。サトウさんが、淡々と調査依頼の電話をかけはじめた。
「開示には相続人確認が必要ですね。戸籍、取りましょう」彼女の指示に従い、僕は動いた。
裏付け調査と予想外の証言
戸籍を取り寄せ、相続人としての立場を示す書類を整えた。そして貸金庫の中身を確認すると、そこには一通の手紙と登記申請書の控えが保管されていた。
そこには「売ってない」と明記された兄の筆跡の手紙があった。つまり、今の登記は虚偽の申請によるものだったのだ。
僕たちは、その証拠をもって警察へと同行した。
隣人が語った失踪事件の記憶
「あの晩、兄さんの家にスーツの男が2人、来てましたよ」
近隣住民の証言が新たな真相を呼び起こした。登記を仕掛けた人物と関係があった者が、直接家に来ていたのだ。
計画的に行われた不正。すべてが、綿密に仕組まれていたように見えた。
失踪直前に起きた土地の売却
登記上は売却、しかし実際には本人不在で成立していなかった。売買契約書すら残されていないのだ。
唯一あったのは、偽造された委任状。その筆跡も、専門家によって偽造と断定された。
ようやく、真実が形になり始めた。
登記申請書に仕掛けられたトリック
申請書の控えには、偽名の司法書士の記名があった。架空の名前だった。資格者を偽って作られた書類で、手続きが強行されていたのだ。
「やれやれ、、、こんなの通っちゃうなんてなぁ」僕は思わず、声を漏らした。
サトウさんはため息をつきながら、「どこかの探偵漫画のトリックみたいですね」と皮肉を言った。
印鑑証明の発行日と提出日の不一致
さらに印鑑証明の発行日は、登記申請書の日付よりも後になっていた。そんなはずはない。
つまり、申請書類は先に作成され、後から辻褄を合わせて印鑑証明が取り付けられたのだ。
法務局の窓口でのチェックが甘かったことも、不正の背景にあった。
筆跡鑑定が明かした偽造の手口
専門家による筆跡鑑定では、「兄の署名ではない」と断言された。加えて、用紙も古いものをわざわざ用意して偽装されていたことが明らかに。
この事件は、長期間にわたる計画と、それを支えた複数人の共犯によるものだった。
事実が揃ったことで、警察は動いた。
やれやれと言いながらも真相へ
事件は新聞沙汰になった。土地の名義は回復登記によって元に戻された。兄の行方は依然不明だったが、不正は正された。
「本当に、こんな事件あるんですね」とサトウさんが言うと、「まあ、現実は漫画より奇なりってね」と僕は返した。
やれやれ、、、また一件、終わったか。コーヒーをすすりながら、冷めた現実の苦さを噛みしめた。
司法書士が暴いた真犯人の動機
真犯人は、父親が所有していた土地を取り戻したかった新所有者の息子だった。計画のために司法書士まで偽り、登記の網をすり抜けた。
土地に執着する理由は、そこに眠る記憶だったのだという。だが、法を欺いた代償は重かった。
法務局も警察も巻き込み、事件は大きく報道された。
登記簿が語る真実と哀しい結末
登記簿とは、真実を記す公の記録である。だが、その裏には、書かれない物語が必ずある。
兄の行方は最後までわからなかった。けれど彼の土地は、妹の手によって守られた。
誰かの記憶と、誰かの正義が交差する。そこに、司法書士の小さな光が届けばいい。