登記された恋人

登記された恋人

プロローグ サトウさんの違和感

朝一番の依頼人は妙に沈んでいた

その日、事務所にやってきたのは30代前半の女性だった。姿勢はきちんとしていたが、目元に影があり、どこか焦っているように見えた。受付で話を聞いていたサトウさんの眉が、わずかに動いたのが見えた。

「婚姻届を提出したのに、戸籍に反映されていないんです」と、依頼人は言った。彼女は婚姻を証明するため、戸籍と住民票の調査を司法書士に依頼したいという。

戸籍謄本と一通の婚姻届

机の上に差し出された婚姻届は、役所の受領印が確かに押されていた。添付された戸籍には、だがその結婚の痕跡はなかった。婚姻届の提出日は2週間前。役所の処理ミスか、あるいは虚偽の申請か。

「やれやれ、、、朝からこの手合いか」と心の中でため息をつきながら、俺はコピーを取りながら一通りの説明を始めた。

不可解な氏名変更の記録

書類の整合性は完璧だったが

婚姻届に添付された書類一式は、いずれも不備のないものだった。印鑑証明書、本人確認書類、住民票の写し――形式上は何一つ問題はなかった。だが、不自然なほどに完璧すぎる。

「この人、本当に書類の提出者本人か?」と、サトウさんがぼそりと呟いた。彼女の目は、細部の筆跡に集中していた。

本人確認で浮かんだ別の顔

免許証の顔写真は、確かに依頼人に似ていた。しかし、まるで整形後かと思うほど雰囲気が違う。眉の形、輪郭、笑いジワの位置。別人とまでは言えないが、違和感が積もっていく。

「コナンくんだったら、まず声紋で照合するでしょうね」と、俺が冗談を言ったが、サトウさんは無視してパソコンを叩き続けていた。

恋人の代理人を名乗る女

本当に委任されたのか

その翌日、別の女性がやってきた。「彼の代理人です」と名乗り、婚姻届の撤回手続きについて相談したいと言う。事情を訊ねると、なんとその男性には正式な婚約者が別にいたという。

「は?どういうことだよ」と俺が声を漏らすと、女性は「書類だけが先に走ったんです」と涙ぐんだ。まるで昼ドラのような展開だ。

電話の向こうの“本物の彼”

俺は、事情確認のために戸籍に記載された男性本人に電話をかけた。受話器の向こうで、動揺しながらも彼はこう言った。「僕は婚姻届なんて出していません。いや、出せるはずがないんです。彼女とは別れたんですから」

婚姻届は誰が出したのか。誰が誰の名前で。何のために。

戸籍と住民票の食い違い

転入日と転出日の矛盾

依頼人の住民票を追っていくと、興味深い事実が判明した。彼女の転入日は、婚姻届の提出日と一致していた。しかし、転出元の市役所には、同姓同名・同生年月日の人物が別住所でまだ登録されていたのだ。

つまり、同一人物が二箇所で生きていた。

なぜか申請人が二人存在する

同じ日付、同じ内容で提出された婚姻届が、別の市でも確認された。住所や職業欄の細部が違うだけで、すべての項目が酷似していた。印鑑も同一に見える。だが、それは完璧すぎた。

「コピーか、模倣か。にしても、どっちが本物なんだ?」と俺は首をかしげた。

サザエさんの家族構成を例にした謎解き

家族が一人増えていたら気づくか

「サザエさん家に知らない親戚が住民票に勝手に入ってたら、普通気づきますよね」とサトウさんが言った。「でも、その親戚が昔の恋人の名前を騙ってたら?」

なるほど。これは感情の証明ではなく、事実の照合の問題だ。法律は嘘をつかないが、人の記憶と気持ちはいくらでも脚色される。

恋愛の履歴は登記できない

婚姻届に書かれていた名前は、確かに実在した。だが、それは現在の彼ではなく、“元彼”だった。しかも、名前と生年月日だけを流用されていた。恋愛感情というあやふやなものを、法的な記録に無理やり縫い付けた結果がこれだった。

真相 彼女は二人いた

代理人の正体は元恋人

最初の依頼人は、婚約破棄に納得できなかった元恋人だった。そして“代理人”を名乗った女こそが、現在の恋人だった。婚姻届は、過去の女が勝手に提出した偽装書類だった。

愛が証明になると信じてしまった者の、暴走だったのだ。

嫉妬が動機となった法的トリック

元恋人は、彼の結婚を阻止するため、自分との婚姻を事実として残そうとした。筆跡、印影、氏名――すべては完璧に再現されていたが、戸籍の更新を妨げることはできなかった。

やがて、役所側の照会で齟齬が発覚し、すべてが露見した。

やれやれ、、、書類は嘘をつかない

でも嘘をつく人間の方が面倒だ

「書類は嘘をつきません。ただし、人間はつきます」と、俺は依頼者に言った。「書類が真実を語るには、それを提出する人間がまともである必要がある」

やれやれ、、、結局、いつものことだ。

最後に頼れるのは事務員の一言

「最初からあの女、目の動きが泳いでた」と、サトウさんが言った。俺は苦笑した。「それを最初に言ってくれよ」

「言いましたよ」とサトウさん。塩対応も、信頼の証なのだ。

エピローグ 登記された恋人は誰だったか

法と恋の狭間で

戸籍には、後日訂正の記載が加えられた。重婚ではなく、虚偽記載。愛という言葉の裏で、証明されないまま消えていった恋の形があった。

「恋の同一性証明なんてものが、あればよかったのにな」

塩対応とホットコーヒー

事件が終わったあと、事務所で飲んだコーヒーがやけに苦かった。「もうちょっと砂糖入れてくださいよ」と言うと、サトウさんは小さじ一杯だけ差し出してきた。

塩じゃなくて、まだよかった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓