登記簿が告げた無人駅の約束
朝一番、電話のベルが鳴った。眠たい目をこすりながら受話器を取ると、受話口の向こうからかすれた声で「登記簿を見てほしい」とだけ言って切れた。まるで昭和の探偵ドラマみたいな始まり方だったが、こちらはそんな余裕のある立場じゃない。
メモに残ったのは「秋月」という名字と、どこか懐かしい響きのする地名だった。思い出せそうで思い出せない。そんなもやもやを抱えたまま、僕はいつものようにコーヒーを淹れた。
朝の電話と沈黙の依頼人
朝の光が事務所に差し込む中、サトウさんはいつものように淡々と書類を整理していた。僕が電話の件を話すと、「無人駅の近くってことは空き家じゃないですか?」と早速切り込んでくる。さすがだ。だが、その冷静さが少しだけ寂しく感じるのは、きっと僕が年を取ったせいだろう。
依頼人の名乗りが不明瞭なままというのがどうにもひっかかる。こういう時は、だいたい厄介ごとが潜んでいる。いやな予感がした。
駅前の空き家と忘れられた地番
法務局で登記事項証明書を取り寄せると、確かにその土地は登記上存在していた。しかし現地に行ってみると、雑草が胸の高さまで伸びた空き地。かつて家が建っていた面影は、かろうじて門柱だけが残していた。
地番と住所が一致しない。古い町名変更や合併が絡んでいるのかもしれない。地元の古い資料室にこもる羽目になるとは、まるで「金田一少年の事件簿」の地図トリックじゃないか。
名義の綻びと記録の空白
登記簿によれば、最後の名義人は昭和58年に亡くなっている。その後、相続登記がされていないままだった。不思議なのは、相続人らしき人物が数年前に「解体」の届けを出していたことだ。名義が変わっていないまま、誰がそんなことを?
「誰もいない家なのに、誰かが手を加えているってことですね」とサトウさんが言った。冷静な声が逆に不気味に聞こえた。
サトウさんの鋭い指摘
「通帳のコピーもあるんですけど、名義が違うんですよ」とサトウさんがファイルを差し出した。よく見ると、振込の履歴が数回記載されており、その都度名義が違っていた。振込主もバラバラ。しかも、振込元の一つは登記簿の住所と一致していた。
「これ、偽名義で振り込んでいたらマネロンまがいですよ」とポツリ。さすが塩対応、言うことがキツい。
通帳の数字と登記簿の矛盾
振込額は少額だが、妙に定期的だった。まるで「存在証明」のように意図的に繰り返されていた。まるで「ここに私はいる」とでも言いたげな。
そしてその振込日には、必ず一つのパターンがあった。年に一度、8月15日。終戦の日だ。関係あるのか? ないのか? 頭が混乱してきた。
土地台帳の移転履歴に潜む罠
台帳を調べていると、旧土地台帳にのみ記載されている「仮差押え」の記録を見つけた。平成元年、債権者の名は……依頼人と同じ名字。「秋月」。そして驚くべきことに、それ以降の履歴が一切更新されていない。
なぜ止まっている? 差押えが解除された記録もなければ、所有者移転もない。まるで時間が止まった土地だった。
廃線と遺言と過去の因縁
その土地の隣には、かつて駅があったという。今は廃線となっているが、当時は人でにぎわっていたらしい。夏祭りの日、駅前で事件が起きたという記事を古新聞で見つけた。
内容は、刃物沙汰による傷害事件。被害者の名前がまた「秋月」。やれやれ、、、もう何人目だよ、秋月さん。
線路沿いに残された登記事項証明書
駅跡地の柵の間から、風に舞う書類の端が見えた。手に取ってみると、それは見慣れた「登記事項証明書」だった。しかも、まだ出力されて間もない紙質だ。
誰かが最近になってわざとここに置いたのか? 内容は、件の土地とは別の筆だった。だが、登記人の住所が同じ。何かが繋がってきた気がした。
鍵を握るのは誰の署名か
古い相続放棄の書類に添えられた署名。筆跡鑑定の知り合いに頼んでみた。結果は「全て同一人物の可能性が高い」。つまり、相続放棄も、解体届も、振込も——全部一人の仕業。
彼は存在を隠しながら、土地の管理を続けていた?なぜ? そしてそれを、なぜ今になって明かそうと?
司法書士の勘違いと逆転
僕は大きな勘違いをしていた。依頼人は、亡くなった人の関係者だと思い込んでいたが、実際は——本人だった。死んだことにされていた「秋月義一」が、自らの痕跡を辿るようにして連絡をしてきたのだ。
彼はかつて冤罪で人生を失った。そして静かに生き直していた。だが、誰にも「生きていた」とは言えなかった。
現地調査の帰り道の違和感
無人駅のホーム跡を歩いていると、遠くに一人の男性がいた。こちらを見ているようで見ていない。白髪混じりの後ろ姿に、僕はあの筆跡と声を重ねていた。
彼は僕に背を向けると、ゆっくりと山道のほうへ消えていった。まるで過去へ戻るように。
やれやれと言いながらも掴んだ一枚の地図
事務所に戻り、サトウさんに一部始終を話した。「まるで劇場型事件ですね」と彼女は言った。僕は「やれやれ、、、」と肩をすくめながら、手元の地図を広げた。
地番を辿っていくと、ある一筆がぽっかりと空いている。そこが、彼の最後の居場所なのかもしれない。
明かされた真実と偽装の動機
彼は死んだことにされたことを利用し、人生をやり直した。それは悲劇かもしれないし、自由の象徴だったのかもしれない。だが、残された登記簿は、彼の存在をずっと証明し続けていた。
だからこそ、最後に司法書士へと依頼を残した。「自分が生きた証を、残してくれ」と。
消えた相続人と名前のからくり
すべての署名が彼だったとしたら、相続人名義で提出された全ての書類は偽装だったことになる。だが、それを咎める人はいなかった。むしろ、誰も気にしていなかった。
彼は最後に「静かに名を消す」ことを望んだのだろう。だが、それでも土地は語る。紙と印鑑が、人の過去を浮かび上がらせる。
一件落着と冷たいアイスコーヒー
事件が終わり、事務所にはようやく静けさが戻った。いつも通り、サトウさんは冷蔵庫からアイスコーヒーを出して黙って机に置いた。ありがとう、と言っても返事はない。
「なんでこんな事件ばかり来るんでしょうね、先生」と彼女がぽつりと言った。「そりゃ、俺がうっかりしてるからだよ」と返すと、少しだけ口元が緩んだ気がした。