消えた登記理由

消えた登記理由

消えた登記理由

朝の訪問者

朝の事務所は、まだエアコンも効ききっておらず、コーヒーの香りだけがまともな空気だった。そんな中、ドアが唐突に開いた。 入ってきたのは、年の頃なら七十近い男性で、背筋が妙に伸びていた。 「ここ、司法書士のシンドウさんの事務所ですか」と尋ねる声は、少しだけ震えていた。

登記簿の違和感

差し出されたのは、平成の終わり頃に取得した不動産の登記簿謄本だった。 その登記簿に目を通していくと、ある欄で手が止まった。 「登記の原因が……書かれていない?」と声に出してしまったほど、そこはぽっかりと空白だった。

原因欄の空白

通常、所有権移転の原因には「売買」や「相続」など明確に記載がある。 しかしこの登記では、その欄がまるごと欠けていた。 補正の跡も、職権訂正の記録もない。不気味なまでに綺麗な空欄だった。

サトウさんの鋭い指摘

「その物件、平成三十年に名義が変わってますけど、その頃って地元で土地の詐欺事件ありませんでした?」 机の向こうから声が飛んできた。タイピングの手を止めずに言うその口調は、相変わらず冷たい。 俺は驚いて顔を上げる。「サトウさん、それって……」と聞きかけたが、彼女はもう次の資料を取りに行っていた。

亡き所有者の謎

旧所有者の死亡日と登記の日付を照合すると、なんと登記が行われたのは死亡の翌週だった。 遺産分割協議書も見当たらない。何より、その名義変更を担当した司法書士の名前が、俺の知る限り存在しない人物だった。 「まさか偽名……?」と独り言を呟いた俺に、サトウさんが「またですか、シンドウさん」と溜息をついた。

謄本に隠された過去

過去の登記をさらにたどっていくと、一度名義が戻っていた記録を発見した。 つまり、一度譲渡された土地が再度旧所有者に戻されたことになる。 だがその理由もまた不明だった。「もしかして、ここから本当の『闇』が始まってたのかもしれないな……」

売買か贈与かそれとも

残された手がかりは、固定資産税の通知書に貼られていた古い付箋だった。 そこには、「遺言の通りに」と走り書きされていた。 売買ではない。贈与にしても時系列が合わない。誰かが故意に「登記原因」を伏せた可能性が高まってきた。

古い登記簿の発見

法務局の地下資料室で、紙ベースの古い登記簿を見つけたとき、背筋がぞくっとした。 そこには、一度も申請されたことのない「遺贈登記」の下書きが残っていたのだ。 申請されなかったはずの登記内容が、実際には何故か公簿に反映されていた。

二つの住所の意味

登記簿上の住所と、実際に税務申告されていた住所が異なっていた。 どちらかが偽装されたものなのは明らかだったが、それがどちらかを確定するには至らなかった。 「このあたり、ルパンの変装みたいですね」と俺が言うと、「それであなたは銭形ですか」と返された。

怪しい依頼人の正体

あの初老の依頼人が、実は旧所有者の元使用人だったということが判明した。 しかも、旧所有者の遺言状を長年管理していたこともわかった。 「遺言を無効にできないか」と相談を持ちかけてきた過去があったことも記録から浮かび上がった。

昔の事件とのつながり

平成の終わりに起きた、地元金融機関を巻き込んだ不動産詐欺事件。 その首謀者の一人が、今回の登記に関与していた事務所に籍を置いていたという証拠が出てきた。 もはや偶然とは言い難い状況だった。

司法書士の勘と野球脳

「やれやれ、、、。俺の出番か」そう呟きながら、俺はその時思い出した。 高校時代のサイン盗み――相手が打つ瞬間の癖を見る力が、こんなところで役に立つとは。 記録の矛盾、紙の折れ目、押印の位置。細かな“癖”が犯人の手口を浮かび上がらせていた。

登記原因の真実

結局、登記原因が空白だったのは、遺言を偽造して「遺贈登記」と見せかけるための工作だった。 それを申請した司法書士は実在しない人物――つまり偽造書類をそのまま使っていたのだ。 警察に情報を提供し、依頼人はその後、事情聴取の末、逮捕された。

事務所に戻った静けさ

夕方、事務所に戻ると、いつものようにサトウさんは淡々と仕事をこなしていた。 俺が「今日もまた、余計な勘が当たっちまったな」と呟くと、彼女は「どうせまた、たまたまでしょう」と答えた。 コーヒーはもう冷めていたけれど、不思議とその冷たさが心地よかった。

サトウさんの冷たい一言

「でもまあ、たまには司法書士らしい仕事をしましたね」 その一言に、俺は少しだけうれしくなってしまった自分を心の中で責めた。 ――やれやれ、、、またからかわれた気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓