最後の印が嘘をつく

最後の印が嘘をつく

序章 疲れた午後の来訪者

書類の山に埋もれる日常

盆明けの午後、机の上はいつものように謄本と委任状と登記申請書で満ちていた。エアコンの風も生ぬるく、郵便物の束に埋もれながら、俺は己の存在価値についてぼんやり考えていた。そんな時、ドアがぎいと音を立てて開いた。

「すみません、遺産のことでご相談がありまして」と、小太りの中年男が汗を拭きながら入ってきた。なぜか書類を抱え、目を泳がせているのが気になった。

男が差し出した遺産分割協議書

「これ、兄弟三人での遺産分割協議書なんですけど…」男は手元の紙束を差し出す。見れば、三人の印鑑が並んで押されていた。内容自体は特段不自然ではなかったが、何かがひっかかった。

「ご兄弟はどちらに?」と問うと、「兄と弟は東京と仙台です」とのこと。全員が署名押印済みだというが、三つの印のうち、一つだけ妙に新しい印影があった。

h3に浮かぶ違和感

三つの印影と一つの不一致

赤い朱肉のかすれ具合が微妙に違う。最初の二つは朱肉の色がくすんでいたが、最後の一つだけが鮮やかだった。おかしい、押印の順番が逆転している。

普通なら同時に署名し、まとめて持ち回るはずだ。それができなかった理由を、書類は無言で語っているようだった。

サトウさんの無言の視線

「……この協議書、押印の順番がおかしいですね」と背後から声がした。振り向けば、サトウさんがじっとこちらを見ていた。相変わらず塩対応だが、彼女の指摘は鋭い。

俺は机を叩きそうになる手を抑え、ふぅと息をついた。「やれやれ、、、また妙なことに巻き込まれそうだな」。

かすかなズレと時間軸

押印の順番が語るもの

通常、協議書は代表者から順に押印される。しかしこの文書では、三男の印が最後にあるが、印影が一番新しい。つまり、印は順番に並べられたが、実際の押印順とは違うということだ。

これはただのズレでは済まない。誰かが順番を操作したか、あるいは後から印を追加した可能性がある。司法書士として、見過ごすわけにはいかなかった。

時系列を読み解く司法書士の直感

「登記簿と日付、通帳の入出金履歴を見れば何かわかるかもしれませんね」サトウさんがそう言って、既にパソコンで法務局のデータを引っ張り始めていた。仕事が早すぎて怖い。

「やっぱり、三男の居所、確認しておきましょうか」と俺。怪しい匂いがしてきた。なんとなく、サザエさんで言えばカツオが悪だくみしている時の波平の眉間みたいに、俺の額にもシワが寄った。

相続の裏に潜む人間関係

兄弟の確執と不在の三男

長男と次男は不動産を取り、三男には現金のみ。公平に見えて、実は不公平な分配だった。「三男はこの内容で納得しているんですか?」と俺が聞くと、依頼人は視線を泳がせた。

「いや、まあ、電話では…了承してる…はず…」と曖昧な返答。これは決まりだ。絶対に何か隠している。

電話の向こうの沈黙

俺は勇気を出して、三男に直接電話をかけた。「あの協議書に押印されたご記憶は?」と問うと、数秒の沈黙のあと「えっ、何のことですか?」という返事が返ってきた。

それはつまり、本人は知らぬ間に勝手に押印されたということだ。俺の中で何かが確信に変わった。

決め手となった証言

コンビニの防犯カメラ映像

「この時間、コンビニで朱肉買ったって兄貴が言ってたんですよ」三男の証言で、俺たちはその店舗を訪れた。防犯カメラには、依頼人が協議書を開いて印を押している姿が映っていた。

しかも、三男の印鑑を持って。これは私文書偽造、いや、もしかするともっと根が深い話かもしれない。

銀行印の押し間違いが呼ぶ悲劇

調査の結果、三男の銀行印は紛失届が出されており、そこに似た形の印が再登録されていた。つまり、偽の印鑑を作って押していたのだ。完全にアウトである。

「これはもう、登記申請どころではありませんね」と俺が言うと、サトウさんは「最初からそう思ってました」とだけ返した。

真相と告白

遅れて押された最後の印

依頼人はしばらく沈黙したあと、ぽつりと話し始めた。「弟が土地を持っていくのが許せなかった。自分が一番面倒を見てきたのに」と。動機としてはありがちだが、法律の前では意味をなさない。

結局、協議書は無効となり、改めて公正証書遺言に基づく処理が行われることとなった。

嘘をついたのは誰か

真実は一つだけだ。しかし、嘘を重ねたのは一人だけではなかった。次男も長男も、それぞれに都合のいいことを言い、黙認していた節がある。だからこそ、第三者の目が必要だったのだ。

「やれやれ、、、やっぱり俺の出番だったか」と、誰にも聞こえない声で呟いた。

終章 サトウさんのひと言

事件の終わりと書類の重み

すべてが終わり、協議書は証拠として警察に渡された。事務所の空気はいつものように静かだったが、少しだけ涼しさが戻っていた。

「シンドウさん、明日の午前中、法務局行ってください。ついでに私の分のコーヒーも」と、サトウさん。まったく、デキる女は冷たい。

やれやれ、、、今日もまた終わらない

デスクに戻り、コーヒーをすすりながら、俺はふと天井を見上げた。俺の仕事ってなんだろう、と考える暇もなく、次の電話が鳴った。見ればまた相続の相談だ。

やれやれ、、、今日もまた一日が終わらない。でもまあ、誰かの嘘を見抜くのが俺の仕事だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓