朝の依頼人と不可解な相談内容
夏の朝にしては湿度が低い。そんな中、年配の女性が突然事務所を訪れた。申立書の控えを手にしていたが、どこか所在なさげに見える。
「弟が行方不明になって十年。家族で不在者財産管理人の選任をしようと思ってるんです」
まれな相談だ。が、珍しいのは相談そのものではなく、その表情だった。悲しみよりも、どこか薄笑いのようなものが口元に浮かんでいたのだ。
不在者財産管理人の選任申立て
選任申立てに必要な戸籍、住民票、財産目録などを確認するうちに、私はふと違和感を覚えた。
「これ、印鑑証明書が新しすぎませんか?」
不在者とされる弟の印鑑証明が、直近のものである。行方不明者が役所に来て印鑑証明を取得できるとは思えない。
宛先のない手紙と妙な沈黙
さらに確認すると、一通の封筒が見つかった。消印は三年前。差出人不明、宛名もない。だが中には遺言書の写しが入っていた。
「これ、弟さんの筆跡ですか?」
女性は曖昧に頷いたが、その沈黙の長さがすでに何かを語っていた。まるでサザエさんが波平のハゲを隠そうとするような不自然さだ。
不自然な遺言書の存在
公正証書遺言と称されるその文書は、確かに形式的には整っていた。しかし記載された証人名が気になった。どこかで見た名前だ。
私は手帳を繰り、数年前に扱った別件の資料を確認する。そして気づいた。
その証人はすでに五年前に死亡しているのだ。証人欄の存在自体が嘘で構成されていることになる。
公証人役場での記録確認
急ぎ、公証人役場に問い合わせを入れる。記録簿を確認してもらうと、該当の遺言書は存在しなかった。
「持ち込まれたのは偽造の可能性が高いです」
そう言った担当者の声が、妙に現実味を帯びて響く。どこからどう見ても作り物。だが、それを誰が何のために?
証人の署名に隠された違和感
筆跡は故人のものに似せられてはいたが、ひとつだけ癖が違った。文字のハネが逆なのだ。
「この違和感、何かの記憶とつながりそうだ」
過去に扱った詐欺事件で、同じような筆跡の改ざんがあったことを思い出す。
行方不明とされる相続人
戸籍を辿ると、弟の死亡届は出ておらず、失踪宣告もされていない。住民票は除票になっていたが、死亡ではなく転出扱いだった。
それも、住所は存在しない場所への転出だ。ここで何かの操作が行われたと考えるのが自然だった。
だとすれば、本当に不在なのか?
住民票の消除と戸籍の謎
サトウさんが調査したところ、転出届は他人によって出されていた可能性が高いという。
「しかも同じ字で、ほかの市でも似た転出届が見つかりました」
複数の市町村で不正な手続きが行われていたとすれば、これはもはや偶然ではない。
実は消えていなかった存在
実際に我々が調べた中で、ある地方の簡易宿泊施設に、同名の男性が滞在していたことが判明した。
「顔写真がこちら。依頼人の弟さんと一致しています」
つまり、行方不明ではなかった。消えたのではなく、消されたのだ。
サトウさんの鋭い指摘
「この消印、封筒とインクの種類が合いません」
サトウさんの一言で、私の眠っていた勘が目を覚ました。封筒の消印が、実在する郵便局のものではなかった。
作られた日付。つまり、この遺言書の封筒は完全な偽造品だったのだ。
筆跡のクセに注目する
不自然に筆圧が強く、途中から筆跡の癖が変わっていた。
「たぶん前半と後半で別人が書いてますね」
彼女の観察眼に脱帽した。まるで少年探偵団の小林先生レベルの洞察だ。
封筒の消印が導く事実
偽の消印を押すためには特殊な器具が必要だ。しかも、その器具は限定的にしか流通していない。
「数年前、警察で証拠品として押収されたことがあります」
それを調べると、なんと依頼人の家族とつながる男が以前にその事件で関与していた。
登記簿が語る名義変更の痕跡
さらに驚くべきことに、不動産の登記簿には、弟名義から依頼人名義に移る寸前の申請記録が存在した。
だがその申請は、直前で取り下げられている。つまり、誰かが登記を途中で止めたということになる。
これが“良心”なのか、それとも“焦り”なのか。
信託登記と所有権の推移
同じ物件には、かつて信託登記の記録もあった。だが、それもまた数年前に抹消されている。
ここに至る流れには、誰かの計画が見え隠れしていた。
だが、その計画は、緻密なようでどこか雑だった。
見落とされた附属書類
サトウさんが「この登記原因証明情報、古すぎませんか?」と指摘する。
確かに、登記に添付された書類の一部が、10年以上前の公正証書をそのまま流用していた。
手抜きが、全体の計画を崩壊させた。
元依頼人の嘘と動機
依頼人の女性は、弟が所有していた古い民家を自分のものにしたかったのだろう。
そのために失踪を装い、偽の遺言を用意し、登記まで企てた。だが、最後の最後で司法書士の目をごまかすことはできなかった。
「やれやれ、、、また登記簿が嘘を暴いたな」
保険金と相続放棄の罠
さらに調査を進めると、生命保険金も絡んでいたことがわかった。失踪を装えば受け取れる金額は大きい。
だが、そのためには他の相続人の協力も必要だ。彼女はそのすべてを自作自演で通そうとしていた。
まるで怪盗キッドが変装をミスってバレたような結末だった。
隠し財産と偽名のからくり
不在者とされた弟は、実は偽名で別の土地に暮らしていた。彼が家族と縁を切った理由は、過去の金銭トラブルだった。
「俺の名前で勝手に登記変えるなっての……」
弟の怒りは当然だった。すべては家族の虚構だった。
司法書士が暴くトリック
今回の事件で改めて思い知った。登記簿は嘘をつかない。つくのは人間のほうだ。
私は机の上に散らばった資料を束ねながら、静かに思った。
「サトウさん、また俺たち、名探偵みたいなことやったな……」
名義貸しの実態解明
事件を追う過程で、実は弟名義の不動産がほかにも複数見つかっていた。すべてに今回と似た不正が関与していた。
つまり、これは一度きりの問題ではなかった。
彼女の家族ぐるみの計画だった可能性が高い。
地目変更の盲点を突く
しかも、その一部には農地転用の届出がなされていないまま地目変更されていたものもあった。
「ほんと、登記の世界ってサザエさんより奥が深いわ……」
サトウさんがぼそりと呟いた。私はただ苦笑するしかなかった。
決定的証拠と通報の瞬間
我々はすべての資料をまとめ、関係機関に報告した。
通報の瞬間、サトウさんは淡々と電話をかけていた。その様子は、まるで刑事ドラマの一場面のようだった。
私はコーヒーを啜りながら、ただ祈るように見守っていた。
法務局からの協力要請
数日後、法務局から我々に協力依頼が来た。
「例の申請人、どうやら別件でもトラブル起こしてるみたいです」
連鎖する嘘は、すべて登記簿が炙り出していた。
サトウさんの冷静な通報劇
「録音もしてありますし、書面にも残してあります。準備は完璧です」
冷徹な口調。だが、それが正義を貫く彼女のやり方なのだろう。
私は内心拍手を送った。
事件の結末と依頼人の末路
依頼人の女性は後日、詐欺未遂の容疑で逮捕された。弟も再び表に出て、真実を語った。
不動産は元の状態に戻され、事件は終結した。
ただ、家族というものの複雑さだけが心に残った。
登記の抹消と再登記の手続き
必要な登記の抹消と、新たな正当な名義への変更は、すべてこちらで手続きを進めた。
サトウさんの完璧な申請書類には、もはやツッコミどころがなかった。
「これで文句あるなら、法務局の神様に言ってください」
不在者の真実と家族の選択
弟は、結局家族とは縁を切る決意をしたという。嘘にまみれた愛情なら、いらない。
私たちはその選択を尊重した。ただ、少し寂しさが残った。
「登記簿の文字が、家族の傷を残すこともあるんだな……」
そして静かな日常へ戻る
事件が終わり、静けさが戻った事務所で、私は一息ついた。
「やれやれ、、、」と心の中で呟く。
また、明日も登記簿が何かを語りかけてくるのだろう。
「やれやれ、、、」と呟きながら
サトウさんは冷たい麦茶を飲みながら、キーボードを叩いていた。
私はといえば、昨日の書類をまた机の下に落としていた。
そんな日常こそ、平和というやつなのかもしれない。
冷たいお茶とサトウさんの無言
ふと目が合うと、サトウさんは目だけで「片付けろ」と言っているようだった。
「はいはい」と答えながら、私は黙って紙を拾った。
登記簿には書かれない、静かな日常が、また始まる。