はじまりは一通の遺産相談
盆が近づくと、なぜか遺産相続の相談が増える。そんなジンクスのような話を事務員のサトウさんに漏らしたら、「統計的根拠はあるんですか?」と冷たく返された。
その日も、件の通り、見知らぬ中年女性が私の事務所を訪れた。彼女の手には一枚の遺言書のコピーと、ぎこちない笑顔があった。
思い出したくもない名前
遺言書には、かつて私が登記を担当した家の名前があった。あのときの依頼主は、どうにも信用できない口ぶりの男で、依頼後もトラブルばかり起こしていた。
「父が亡くなり、相続の登記をお願いしたいのですが」と女性は言った。だがその“父”が、私の記憶にある限り、単独名義だったはずだった。
依頼人のぎこちない笑顔
話を聞く限り、彼女は実子で、兄がもう一人いたらしい。しかし、その兄は数年前に突然家を出て以来、行方知れずなのだという。
遺言書には妹だけが受遺者として書かれていた。そのことに彼女自身、どこか引っかかりを感じている様子だった。
遺言書に潜む不自然な空白
私がその遺言書を眺めていると、どうにも気になる空白が目に入った。文末の直前、何かを書こうとしてやめたような、空白の行。
形式的には問題ない。だが、なにかを「消した」気配があった。
消された一行
コピーでは不鮮明だったので、原本を見たいと伝えた。依頼人は、戸棚の奥にしまってあるはずだと答えたが、その日のうちには持ってこれなかった。
その間に、私は登記簿を取り寄せ、旧登記内容を確認することにした。
サトウさんの睨んだ一点
「あの空白、消しゴムのあとです。肉眼じゃわかりませんけど、PDFスキャンにノイズが出てます」 パソコン画面を見つめながら、サトウさんがぼそっと言った。
さすがというべきか、やっぱりというべきか。彼女の推理力には、常に一歩遅れをとる自分がいる。
登記簿に刻まれた二重の名義
取り寄せた登記簿には、意外な記載があった。過去に、一時的にではあるが、長男とされる人物が持ち分を所有していた時期があったのだ。
だがそれは、すぐに父親に戻されていた。抹消登記の理由は「持分贈与による抹消」。…だが、それが本当ならば、長男の署名が必要なはずだ。
所有者が二人存在する謎
その登記簿の記録日付と、父親の生前の不動産売却時期が妙に近かった。まるで何かを隠すために、無理やり処理したような痕跡があった。
この違和感が、事件の核心に触れている気がしてならなかった。
シンドウのうっかりがヒントに
古い謄本を確認しているとき、私は手を滑らせて一枚、裏表逆にスキャンしてしまった。だがその裏面に、見覚えのある印影が写り込んでいた。
押印者の名前。それは、失踪した長男だった。
消えた長男の行方
私は依頼人にそれとなく訊いてみた。「お兄さん、最後にどこで目撃されましたか?」 彼女はしばらく沈黙し、やがて答えた。「父が兄を病院に送ったと聞きました。それきりです」
どうにも腑に落ちない。病院?死亡届は出ていない。戸籍には除籍もされていない。では、今どこに?
相続から除外された理由
遺言書には、明確に「長男には一切相続させない」と記されていた形跡があった。それが、なぜか空白に変わっていたというわけだ。
まるで、誰かがその一文を消し去ったかのように。
近隣住民の奇妙な証言
私はかつての近隣住民に電話を入れた。すると、こんな証言が返ってきた。「そういえばあの日、夜遅くに救急車じゃなくて黒いワゴンが来てたよ」
運ばれたのは若い男性だったという。だが、どの病院にもその搬送記録はなかった。
閉ざされた実家の真相
事情を聞いた警察OBの知人とともに、かつての実家へ足を運んだ。立ち入りはできなかったが、裏庭の物置には鍵が掛かっていなかった。
そこには、大量の古い書類と、埃をかぶった手帳があった。
物置から見つかった古い戸籍
その手帳の間に、破り取られた戸籍謄本の断片が挟まっていた。そこには、兄の名前に続いて、見慣れぬ病名が記されていた。
精神疾患による長期入院。それが家族に知らされることなく、施設へ移送された可能性が高まった。
サザエさんのように隠された秘密
「まるであれですね。タマがいなくなったと思ったら、冷蔵庫の裏にいたってやつ」 私はぼやいた。 「それ、例えのチョイスが狂ってます」とサトウさんが眉をしかめた。
だがこの例えが当たりだった。兄は、実家の敷地にある離れの地下室で発見されたのだ。存命だった。口がきけず、記憶も曖昧だったが。
サトウさんの冷静な一言
「あの遺言書、偽造ですね。おそらく父親が書いた“ふり”をした誰かの筆跡です」 サトウさんが淡々と指摘した。
やれやれ、、、またか。こういうのは、何度見ても胸がざわつく。
「この書類、日付が変です」
「死亡日の数日前に作成されたことになってますけど、捺印はその日付の“後”の印章です」 ファイリングを見ていたサトウさんが、またしても冷静に指摘する。
つまり、父親の死後に作られた可能性が高い。それは重大な偽造行為だった。
塩対応の奥にある鋭さ
「こんなの、素人の筆跡トレースですよ」 呆れたようにサトウさんがつぶやいた。だが、その声の奥には、真実を暴く者としての誇りも見えた。
私はというと、ただ「うちの事務員、探偵の方が向いてるんじゃないか?」と心の中でつぶやくだけだった。
真犯人は誰か
調査の末、遺言書を偽造したのは妹だった。兄を排除し、財産を独占するため、父親の死を利用したのだ。
しかし、結果的に兄が見つかったことで、彼女の計画は崩れ去った。
家族の中に潜んでいた裏切り
「父が、兄を隠しておくように私に言ったんです」 妹はそう供述した。だが、それを証明するものはなかった。
結局、妹は遺言書偽造と監禁の疑いで告発されることとなった。
シンドウの直感が導く答え
ほんの些細な違和感。記載された日付、押された印影、依頼人の目の泳ぎ。すべてが一本の線に繋がったとき、真実は姿を現した。
「推理漫画より、リアルの方がずっとややこしいですね」と私はため息をついた。
暴かれる嘘と沈黙
妹の証言によれば、父は兄の病状に疲弊し、外部に出すことを決めたが、それを世間に隠したかったという。
遺言書の空白は、その「ためらい」の痕跡だったのかもしれない。
隠された相続放棄
兄は、自分の権利について何も理解していなかった。ただ、生きていた。それだけで、すべてが変わった。
形式だけの放棄では済まされない。だからこそ、私は登記の前にすべてを明らかにした。
やれやれ、、、まさかこうなるとは
依頼人が逮捕され、兄が療養施設に引き取られ、遺産は一時保留となった。 「やれやれ、、、まさかこうなるとはな」 帰り道、私は誰にともなくつぶやいた。
事件の終幕と依頼人の涙
妹は、拘束されながらも泣いていた。「私だって、家族を守りたかっただけなんです」 その言葉が本心かどうかは、もう分からない。
だが一つだけ言えるのは、嘘からは、何も守れないということだ。
本当に守りたかったもの
守るべきは、沈黙ではなかった。真実だったのだ。 サザエさんのタマのように、隠れているだけじゃ、何も変わらない。
解決後の静かな事務所
事務所に戻ると、サトウさんは何も言わずに椅子に座っていた。 「おつかれさまでした」とだけ言って、またパソコンに向き直る。
その背中に、ちょっとだけ感謝を込めて、私は缶コーヒーを机に置いた。
シンドウ、再び書類に追われる日々
静寂が戻った事務所に、ファクスの音が鳴り響く。次の登記相談だ。 現実は、すぐに次の波を押し寄せてくる。
平穏な日常の中の余韻
「さあて、次は“登記識別情報の再発行”か…」 私は頭をかきながら、書類の山に手を伸ばした。
サトウさん「仕事、たまってますよ」
「シンドウ先生、次の相談者、あと10分で来ますよ」 冷たい声が現実に引き戻す。 やれやれ、、、また一日が始まる。