お客さんの「ちょっと聞きたい」に殺されそう

お客さんの「ちょっと聞きたい」に殺されそう

「ちょっと聞きたい」は本当に“ちょっと”なのか

「先生、ちょっと聞きたいんですけど」――この言葉を何度聞いたことか。電話越しに、訪問先で、LINEでも。何気ない導入に見えるが、実際にはその“ちょっと”が1時間、いや2時間に膨れ上がることはざらだ。こっちは午前の予定が詰まっていても、声のトーンに罪悪感が混じっていたら断りづらい。結局、「少しだけですよ」と言いながら資料を出して説明し、気づけば昼を食べ損ねている。司法書士という職業柄、親身になるのは当然かもしれないが、最近ではこの“ちょっと”に押しつぶされそうになる日々が続いている。

朝イチの電話がすでに予定外

一日の始まり。コーヒーを飲みながら書類のチェックをしていたところに、固定電話が鳴る。番号を見ると、見覚えのある相談者。「おはようございます、先生、ちょっとだけお時間いいですか?」。本能的に「終わらないやつだ」と思った。でも出ないわけにはいかない。結局、登記手続きに関する話から、相続人とのトラブル、果ては親族の愚痴まで、電話は45分。やっと切れたと思ったら、次の来客が5分後に来る予定。心の準備も、資料の確認もできないまま玄関チャイムが鳴った。

「今お時間よろしいですか?」で崩れるスケジュール

この言葉、何気ないけれど破壊力がすごい。「いえ、ちょっと今立て込んでまして」とはなかなか言えない。せっかく信頼して聞いてくれているのだから、と思ってしまう。だけどその“善意”が仇になる。15分だけと始まった会話が、気づけば「じゃあ、もうひとつだけ」に変わっていく。そして気づく。今日の午前中の予定、ほぼ全部吹っ飛んだな、と。予定は未定、という言葉が嫌いだったけど、最近はもう諦めの境地だ。

優しさを見せた代償は、昼食の缶コーヒー

空腹で頭が働かず、やっと一段落したころには14時を過ぎている。昼休憩なんて言葉は、この業界には存在しないのかもしれない。コンビニの前で缶コーヒーを片手にひと息つく。でも、そのときスマホが鳴る。LINE通知、「先生、急ぎじゃないんですが、今週どこかでお話できませんか?」。思わず缶を強く握ってしまう。この“急ぎじゃない”が、“急ぎになる”日も、よく知ってる。

無料相談と善意の境界線

「相談だけなら無料ですよね?」という言葉がある。初回の相談を無料にしている事務所もあるし、私もそういう形を取っている。でも、これが“いつでも何でも聞ける”状態になると話は変わってくる。あくまでボランティアじゃない。司法書士の一言には責任が伴い、時間も消耗する。それでも、相談者の「少しだけ教えてほしい」という姿勢を前に、つい「いいですよ」と言ってしまう。これが繰り返されると、自分のキャパシティを蝕んでいく。

値段がつかないからこそ際限がない

人は、無料のものに無限の価値を求める。「たった一言教えてくれればいいんです」「その場で済む話なので」…こちらにとっては、準備も知識も、過去の判例も必要なこともあるのに、受け手側はただ「聞いてるだけ」。結局、どこまで応じるかを線引きしなければ、どんどん“親切な司法書士”に吸い尽くされていくのだ。

「ついでにもうひとつ」地獄の始まり

一度受け入れると、「ついでにもう一つ聞いてもいいですか?」が飛んでくる。これが本当に厄介だ。一つ目の質問よりも、二つ目の方が重いことが多い。そして「こんなこと、誰にも聞けなくて…」と真剣に言われると、途中で切り上げるのも難しい。こっちは気づけば全力モード、もはや“相談”というより“業務”の域。けれど、それはあくまで無料対応として処理される。

相談者の「安心」と司法書士の「疲弊」

相談者は「安心しました」「やっと眠れます」と満足げに帰っていく。それを見ると、こちらも「やってよかったのかな」と思う。でも、夜になってどっと疲れが来る。事務作業が残っていて、家に帰れない。誰かに「おつかれさま」と言ってもらえるわけでもない。達成感よりも、“擦り減った”感覚の方が大きいのが、本音だ。

独身という逃げ場のなさ

家に帰っても、誰もいない。だからといって寂しいわけではない…というのは強がりかもしれない。相談に疲れても、誰かに「今日すごい電話だったんだよ」と話す相手がいない。食事も、結局コンビニ弁当。自分の時間があるようで、どこにも吐き出せない気持ちが溜まっていく。せめてテレビを見て笑えるような余裕が欲しい。

「仕事だから仕方ない」と言い聞かせる夜

深夜、パソコンの前で資料を眺めながら、「まあ仕事だしな」と自分に言い聞かせる。でも、その声は少し乾いている。やりがいがないわけじゃない。でも、やりがいだけでは心が持たないこともある。だからと言って、辞められもしない。こうしてまた、次の日も「ちょっと聞きたい」がやってくる。

一人だからこそ、どこまででも頑張ってしまう

「誰かのために頑張る」っていうより、「頼まれたら断れない」という方が近い。でもそれって、優しさじゃなくて、ただの自滅癖かもしれない。誰かに頼られることで自分の存在価値を感じてしまう。でもその分、誰にも頼れない自分を作ってしまっている気がする。

頑張る人たちへ、ひとこと

司法書士に限らず、誰かの「ちょっと」に応えすぎて、自分のことを後回しにしてる人、きっとたくさんいると思う。優しい人ほど、断れずにすり減っていく。でも、それで倒れてしまったら、本末転倒。もっと自分を守っていいし、弱音を吐いたっていい。

断る勇気は、自分を守る武器

「ごめんなさい、今日は難しいです」と言ってみたら、意外とみんな理解してくれた。全部に応えなくても、人間関係は壊れない。むしろ、きちんと線引きした方が、信頼されることもある。勇気を出して断ること、それが自分を守る第一歩なんだと思う。

弱音は悪じゃない、孤独が一番の敵

「もう無理かも」と思ったら、それを口に出していい。誰かに話してみると、思っていた以上に楽になる。そして、それを共有できる相手がいるなら、その人は大切にした方がいい。私も、ようやく少しずつ“弱音を吐ける場”を作ろうと思っている。これを読んでるあなたも、ひとりじゃない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。