孤独な士業のひとりごと

孤独な士業のひとりごと

朝のデスクとため息の音

朝、事務所のドアを開けると、ほんのわずかな空気の入れ替えがあるだけで、誰かの「おはよう」は聞こえない。慣れたもので、いちいち寂しがっても仕方ないけれど、やっぱり人の声がないと一日の始まりがぼんやりする。司法書士という仕事は、集中力を必要とするし、静けさは悪くないはずなのに、なぜかこの無音が胸に重たい。開業して十数年、誰とも言葉を交わさず過ごす朝も多い。静けさに潜む孤独は、騒がしいよりも心にしみる。

開業から15年、変わらない静けさ

開業したばかりの頃は、それなりにワクワクしていた。「自分の城を持つ」なんて、なんとも男のロマンじゃないかと、若干の高揚感もあった。でも、数年経ち、その静寂が変わらないままだと、少しずつ感覚が鈍っていく。音がない、というのは実に不思議なもので、自分の呼吸や椅子を引く音さえ気になるようになる。電話が鳴らない午前中など、「あれ、電波がないんじゃないか」とスマホを確認する始末。静けさは武器になるが、毒にもなる。

おはようを言うのはパソコンだけ

毎朝、最初に話しかけるのはパソコンの起動音。昔は、通勤電車の中で「今日も一日頑張ろう」と気持ちを切り替えていたが、今は車で通勤。誰とも話さず、エンジン音とウィンカーの音だけを相手にして事務所に着く。パソコンを立ち上げると、自動で立ち上がるスケジュール表が「おはよう」と言ってくれているような錯覚すらする。寂しいなんて言いたくないけれど、時々ふと、声が欲しくなる。誰かの声、ただそれだけで救われる日がある。

予定表のすき間に映る孤独

予定表を眺めると、午前10時に1件、午後3時に1件。空白の時間がやたら広く感じる。昔はこの空白に「勉強」や「経営の見直し」などと前向きな意味を与えていたが、今はただの“空白”。その間にやることはある。山ほどある。でも、人と関わらない時間が続くと、思考が内向きに偏ってくる。気づけば「この仕事、あと何年続けられるかな」なんて考えてしまう。予定表は便利な道具だけど、時に心の鏡にもなる。

電話の向こうに広がる「人間関係」

司法書士の仕事は人との関わりがないようで、実はものすごく「人間関係」に左右される。クライアント、銀行、不動産業者、裁判所――どれも形式的なやりとりに見えるけれど、ちょっとした言葉の選び方で空気が変わる。電話一本のやり取りにも神経をすり減らすことがあるのだ。特に「先生」と呼ばれるたびに、背中がむずがゆくなる。そんな立派なもんじゃない、ただの事務屋だ、とつぶやくのは、もう癖になってしまった。

「先生」と呼ばれるたびに苦笑い

「○○先生、いつもありがとうございます」――この“先生”という言葉、最初のうちはくすぐったかったが、今では少し苦手だ。「先生」と呼ばれるほどの人間なのか?自分にそう問いかけると、答えに詰まる。失敗もするし、体調も崩すし、恋愛も全然ダメだし……どこにでもいる普通の男なのに、外から見ると“先生”の肩書が勝手についてくる。そのギャップが、どこか息苦しさを生む。もっと正直に生きたいが、看板を背負っている限り難しい。

偉くないし、余裕もない

司法書士というと「しっかりしている人」というイメージを持たれることが多い。確かに手続きには正確さが必要だし、知識も求められる。でも、だからといって人間的に立派かというと、全然そんなことはない。ギリギリまで書類に追われ、銀行とのやり取りで冷や汗をかき、夜中にコンビニ弁当を食べている自分に、余裕など微塵も感じない。それでも「大丈夫です」と言い切るしかない。士業は、弱音を見せづらい商売だ。

それでも演じなきゃならない役割

どんなに疲れていても、どんなに内心がグチャグチャでも、「先生」と呼ばれれば、しゃんとしなければならない。たとえ声が裏返っても、心が折れかけていても、安心感を与える側でいなきゃいけない。演じることに慣れすぎて、時々自分が何者か分からなくなる。でも、それが役割なのだと割り切る。そう思うことで、自分を保っている。演技でも、誠実さは伝わると信じている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。