朝の地下音と謎の来訪者
いつものように古いエアコンが唸りを上げる中、事務所の床下からコツコツと妙な音がした。ネズミか?いや、それにしては妙にリズムが一定だ。サトウさんが無言でこちらを見た。
「今の音、地下室ですか?」と問われて、返答に詰まる。地下室はもう何年も使っていない。少なくとも俺は、あの事件以来、開けてすらいないのだ。
書類の山と靴音の違和感
慌てて机の下を確認しつつ、書類をかき分けるが、どこから音が漏れているのか特定できない。重ねた登記識別情報通知書の端がぴくりと動いたように見えた。
それでもまさか誰かが入っているなんて。鍵はこの俺が最後に閉めたはずで――その記憶は、なぜかぼやけていた。
旧依頼人の再訪と不可解な一言
その日の午後、古びたジャケットの男が現れた。顔に見覚えはあるが、名前が出てこない。受付でサトウさんが冷たくあしらう中、男は俺の名をはっきりと呼んだ。
「先生、地下の件、そろそろ時効ですよね?」――その言葉に、全身が凍る思いだった。
「あの部屋はもう封印したはず」
男の名は五条。五年前、ある登記の依頼で関わったが、途中で音信不通になった人物だった。その登記にまつわる“場所”が、ちょうど地下室だった。
「あの部屋には、もう誰も入れないはずだ」と口にした瞬間、背後でまたコツンと音が鳴った。
地下室という名の保管室
地下室は正式には「登記資料一時保管庫」と呼ばれ、数十年前の書類が眠っていた。今では使われなくなり、封印同然の状態だった。
俺の記憶では、最後に入ったのは旧庁舎時代に保管された相続関係説明図を探したときだった。あれから鍵は机の奥にしまい込んだままだ。
鍵が合わない理由
試しに鍵を取り出して扉を開けようとした。が、どういうわけか鍵がまるで合わない。鍵穴が変形したのか、あるいは――誰かが別の鍵に交換した?
「まさかね」と呟いた声に、サトウさんがすぐさま「合鍵の登録ありますよ、ここに」と手帳を差し出した。
登記簿から消された物件
五条が持参した書類には、かつて存在していたはずの地番が記されていた。だが、法務局のオンラインで検索しても、該当情報は出てこない。
「抹消されたのでは?」と問うと、五条は首を振った。「最初から存在していない扱いになったんです」
「存在しない部屋」の謎
書類の奥から出てきた旧登記簿。そこには確かに「第七番倉庫」の記載があった。だが現在の登記事項証明書にはその記載が消えている。
つまり、何者かが“登録しないこと”で地下室の存在を帳簿から消したということだ。
やれやれ司法書士の独り言
俺は頭を抱えた。「やれやれ、、、こういう時だけ記憶力が良いんだからな」と呟くと、サトウさんが「五条さん、地下に書類持ち出した可能性も」と冷静に続けた。
それを聞いた五条の顔が歪んだ。「ええ、持ち出しました。持ち出さなきゃ、証拠が消されると分かっていたから」
「こんな時に限ってコーヒーが切れる」
全てを聞き終えた俺は、淹れようとしたコーヒーの缶が空なのを見てまたため息。「こんな時に限ってコーヒーが切れるって、サザエさんじゃあるまいし」
サトウさんは無言で新品の缶を引き出しから差し出した。冷たいが、優しい人だ。
サトウさんの突きつけた証拠
サトウさんが机に広げたのは、平成初期の地図と現在の登記図面。二つを重ねると、明らかに“空白の地番”が存在していた。
「ここにもう一つの部屋があった。でも、わざと描かれていない。登記されなかった部屋ってわけです」
かつての依頼と今の罪
五条はそこで口を開いた。「あれは資産隠しのために依頼された偽装でした。僕は…証拠を持ち出して保管していたんです。いずれ公開するつもりでした」
司法書士として、俺の立場は非常に微妙だった。だが、罪を認める者が現れた今、それを握りつぶす理由はない。
地下室に眠っていたもの
地下室に入り、古いキャビネットを開けた。埃の中に埋もれていたのは、五条の証言通り、資産移転の証拠とされる文書一式だった。
「これを出せば、誰かが困るでしょうね」サトウさんの声に、俺は「いや、困るのは俺たちじゃない」と答えた。
扉の奥で動いていた時計
一つだけ動いていた壁の時計があった。電池もないのに、なぜか針が回っていた。時計の裏には“誰かが見ている”というメモ。
ゾッとした俺は、もうこの部屋に二度と入りたくないと思った。
事件の核心と司法書士の選択
五条の告白と証拠資料を整理し、法務局と警察に提出することにした。依頼人としての彼の立場もあるが、真実はもう覆せない。
「俺たち、こういうことやるために司法書士になったんだっけ?」と呟くと、サトウさんが小さく「違います」とだけ返した。
「本当の依頼者は誰だ」
書類の端にあった筆跡は、かつて俺が尊敬していた先輩司法書士のものだった。つまり、黒幕は…。
この件の背後には、まだ終わっていない登記があると確信した。
朝が来て依頼は終わる
次の朝、五条は荷物をまとめていた。「これでようやく終わりました」と言った表情は、少しだけ晴れやかだった。
サトウさんが静かに「地下は封鎖しておきます」とだけ呟いた。あの部屋が再び開くことはないだろう。
地下室の鍵は二度と使われない
錆びた鍵は紙に包まれて、机の奥深くに仕舞われた。「これでまたしばらく、平穏が戻るな」と言いながら、俺は書類の山に向き合った。
やれやれ、、、今度は別の謎が舞い込んできそうだ。
そしてまた日常へ
コーヒーを淹れなおす音が事務所に静かに響く。サトウさんは既に次の案件の準備を始めている。
日常という名の戦場は、今日も静かに始まっていた。