朝の電話から全てが崩れ始めた
その日も朝から、バタバタとしたスタートだった。事務所に入るや否や、留守電が何件も溜まっていて、その中の一本が問題の始まりだった。「すぐに電話をよこせ」と怒鳴るような声の依頼人。心当たりはあった。数日前に対応した相続登記の件で、こちらが「内容を確認して折り返します」と言ったことにご立腹だったらしい。電話をかけ直すと、開口一番に「おたくは何様だ」と言われ、頭が真っ白になった。朝の8時台に、理不尽な怒声を浴びるのは、精神にくる。
「今すぐ来てくれ」から始まる圧力
電話の向こうでその人は言った。「今日、こっちに来てくれないと困る」。そう言われても、こちらには今日やるべき仕事がいくつもある。丁寧に説明しようとすると、「そんなのはおたくの都合だろ。こっちはこっちで忙しいんだ」と強い口調で遮られる。気づけば謝罪の言葉を口にしていたが、なぜ自分が謝っているのか分からなくなった。元野球部の経験で多少の理不尽には慣れているつもりだったが、年齢を重ねた今、それはむしろしんどさを増幅させるスイッチにしかならない。
怒鳴る口調に言葉を選べなくなる
怒りに満ちた口調というのは、ただの「声」ではない。まるで相手の感情が直接こちらの心に押し込まれるような、そんな圧をともなう。それを浴びながら、冷静な言葉を選ぶのは想像以上に難しい。言い返せばもっとヒートアップするとわかっている。だからこそ、グッと堪える。でも、言葉を飲み込むたびに、自分の中に何かが積もっていく。会話が終わったときには、喉がカラカラに乾いていた。
「言い返したら負けだ」と自分に言い聞かせる
受話器を置いたあと、思わず机にうつ伏せになった。怒りよりも、悔しさと無力感が混ざったような感情がこみ上げてくる。でも、言い返したら終わりだ。それが自分の中のプロ意識だった。感情的な対応をすれば、司法書士としての信用を落とす。そう自分に言い聞かせることで、どうにかバランスを保っていた。でも本音を言えば、心の中では「もう辞めたい」という言葉がうっすら浮かんでいた。
事務所に戻っても心は晴れず
用事が済んで事務所に戻っても、心の重さは消えなかった。カーテンの隙間から入る昼下がりの光さえも、どこか薄暗く感じる。日常に戻ったはずの空間なのに、頭の中ではさっきの怒声がリフレインする。精神的に削られると、普段の業務にも支障が出る。登記簿一枚見るにも集中できず、同じ行を何度も読み返していた。
事務員の「大丈夫ですか」がしみる
そんなとき、ふと事務員が声をかけてくれた。「先生、顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」。その一言に、思わず涙が出そうになった。弱音を吐ける場所がないという現実に押しつぶされそうになるなかでの、その言葉は沁みた。たった一人のスタッフに、こんなにも支えられているのかと実感した瞬間だった。
ため息の数と仕事の進まなさ
その日、ため息ばかりついていた気がする。自分でも気づかないうちに、深いため息が繰り返し口から漏れていた。書類の山を前にしても、どれから手をつければよいかわからない。まるで、作業の一つ一つが急に重くなったような感覚。いつもなら難なく処理できるはずの登記申請が、何度もチェックしないと怖くて出せなかった。
書類のミスでさらに自己嫌悪
そして案の定、小さなミスをしてしまった。住所の番地が一桁ずれていた。それに気づいたのは、提出直前。冷や汗が出た。「なんでこんな簡単なミスを…」。自分を責める声が、頭の中でこだました。一つの高圧的な対応が、こんなにも連鎖して心を蝕んでいくのかと、改めて恐ろしくなった。
なぜここまで我慢してしまうのか
あとになって冷静になると、「なぜあんなに我慢してしまったんだろう」と思う。言い返すことが正解だったとは思わない。でも、せめて毅然とした態度をとれていれば、自分をここまで追い詰めなくて済んだかもしれない。気弱な自分と、理不尽に耐えることを美徳だと信じる癖に、嫌気がさした。
司法書士はサービス業という現実
よく「士業なんだから強く出てもいいんじゃないか」と言われる。でも現実は違う。司法書士は完全なるサービス業だ。顧客に対する対応が悪ければ、すぐに評判が下がる。下手をすれば次の紹介が来ない。だから、理不尽な要求にもある程度は応じなければならない。それが日々のプレッシャーになる。
「言い返さない=プロ」の幻想
「プロなら感情的にならない」。そんな言葉を自分に言い聞かせてきた。でも、それが正しいとは限らない。感情を押し殺し続けることで、どこかで心が限界を迎える。プロとは何か、自分を犠牲にすることなのか。それとも、自分の心も守れる強さを持つことなのか。その問いの答えはまだ見つからない。
でもやっぱり限界はある
それでも限界は来る。毎日が積み重なれば、どれだけ我慢強い人でも折れる日がある。誰にも見せられない崩れた顔を、ひとりの夜に鏡で見てしまったときのあの虚しさ。だから今は、「もうちょっと、がんばりすぎない」ことを自分に許している。言い返さないことが美徳なんかじゃない。心が壊れる前に、手を抜く勇気も必要だ。
机の下で握った拳とその意味
その日、事務所の机の下でこっそり拳を握った。怒りではなく、悔しさと、ぐちゃぐちゃな感情を収めるために。誰にも見せられないから、せめて拳にぶつけた。でもあの瞬間、自分はまだ「辞めていない」と気づいた。心が折れそうになっても、まだここにいるという事実が、少しだけ救いになった。
怒りでも涙でもなく、無力感
本当にしんどいときって、怒る気力も泣く余裕もない。ただ、ぼんやりと「何のためにやってるんだろう」と考える。社会のため? 依頼人のため? いや、もうそれ以前に「生活のため」で精一杯。でも、それでいいじゃないかと思う。立派な志がなくても、毎日仕事してるだけで、十分えらいと思うようになった。
「こんなこと誰にも言えない」の壁
こうした話は、なかなか人に言えない。同業者にすら、「そんなことで落ち込むなよ」と言われそうで怖い。でも、誰にも言えないまま抱え込むのは限界がある。だからこうして、書くことで整理するようになった。文章なら、少しは自分の気持ちを置ける場所ができる気がする。
だからこうして、書いてみることにした
この記事が誰かの役に立つとは思っていない。でも、もしかしたら「自分だけじゃなかった」と思える人がいたら、それでいい。司法書士に限らず、がんばりすぎるすべての人へ。無理をしてまで耐えなくていい。折れそうなときは、こっそり拳を握って、少しだけでも逃げ場を作ってほしい。