静かにパニックな日々司法書士の本音録

静かにパニックな日々司法書士の本音録

朝一番で押し寄せる不安と電話の嵐

「今日は静かに過ごせたらいいな」そんな願いが叶ったためしが、ここ最近ありません。司法書士という仕事柄、予定通りに物事が進む日などほとんど存在せず、むしろ予定外のことで溢れていく毎日です。朝、湯を沸かしながらスケジュール帳を見ると、ほんの数件の予定。しかし現実は、その数件に見えない“追加”がどんどん積み重なってくるのです。そして、その始まりが「朝イチの電話」です。

「今日は静かに進むかな」という淡い期待

朝の空気は静かです。湯気の立つコーヒーを一口飲んで、「今日は静かに書類作成でも進められるかな」と期待するのですが、電話のベルが鳴った瞬間、その期待は消し飛びます。「先生、ちょっと聞いてもいいですか?」の声に、心のなかでは「始まった…」とつぶやく自分がいます。もはや条件反射です。相談の内容は十中八九、緊急か面倒なケースです。静かにパニックが始まる朝、それが日常です。

目覚ましは鳴るけど心は起きない

最近では、目覚まし時計の音より、脳内の“やらねばリスト”の圧で目が覚めます。肩こりと胃もたれを連れて起き上がり、シャワーを浴びて鏡を見ると、くたびれた顔がこっちを見ています。司法書士は朝が勝負と言っても過言ではないのに、心が置き去りになったまま出勤です。野球部時代のような朝練の活気も気力も、どこへいったのやら。

朝イチの電話が鳴る音にビクッとなる日々

事務所のドアを開けると同時に電話が鳴ると、もうその日が“特別ハードデー”に認定される予感しかしません。着信音がトラウマになりそうです。以前、お昼を食べるタイミングを逃し続けた日がありました。なんと夕方の16時半にようやく最初の食事がコンビニのおにぎり一個。あれを噛みしめながら、「あ、今日も静かにパニックだったな」と笑えない冗談をつぶやいた記憶があります。

事務所は小さいけれど心配ごとは山盛り

うちの事務所は、私と事務員さんの2人体制です。都会のビル街にある大手とは違って、田舎の小さな建物の一角にひっそりと構えています。でも、電話も依頼もトラブルも、規模に見合わずちゃんとやってきます。いや、むしろ小さいからこそ、一つ一つが身に染みるんです。事務員さんが休みの日などは、一人で右往左往。つい「ああ、3人目の自分が欲しい」と天井を見上げます。

たった一人の事務員さんに支えられて

事務員さんがいなかったら、正直この仕事を続けられていたかどうか。書類のチェックも、郵送も、電話対応も、一手に引き受けてくれています。私の“静かにパニック”な様子も察して、「先生、これ私やっておきますね」と声をかけてくれる瞬間、涙が出そうになります(出しませんが)。まるで内野ゴロを全力でさばいてくれるショートのような存在です。

急ぎ案件が重なると冷や汗しか出ない

「急ぎでお願いしたいんですけど…」という言葉ほど、司法書士を追い詰めるものはありません。依頼が重なると、ひとつでも遅れれば信用問題に発展します。でも、事務所のリソースには限界がある。冷や汗をかきながら、タスク管理アプリをにらみ、手帳に書き込む。なのに、気づけば何も終わってない。あの瞬間の絶望感は、静かだけど確実に心を削ってきます。

静かに積もるプレッシャーと孤独感

一人で経営していると、相談できる相手も限られます。「これ、誰に聞けばいいんだろう…」と思いながら、ネットで検索しても答えは出ず、結局法務局に電話。あちらも忙しく、たらい回しにされて、気づけば1時間が消えています。「俺、何してたんだっけ」と自問自答する日も珍しくありません。誰にも責められていないけど、ひたすら責任が重くのしかかってきます。

お客さんの「ちょっとだけいいですか」に潜む地雷

「ちょっとだけお時間いいですか?」というフレーズ、すっかりトラウマになってしまいました。短時間で済むことなどほとんどないんです。しかも、その「ちょっと」の中身が、だいたい他人のトラブルで、法的にも倫理的にも微妙なものだったりする。静かにパニックになるには十分すぎる材料を、にこやかに渡される毎日です。

簡単そうな依頼が一番こわい理由

「登記の内容はもう決まってるので、簡単だと思います」という言葉。これ、信じてはいけません。大体の場合、話をよく聞くと登記原因が不明だったり、書類が足りなかったり。以前、「相続登記だけです」と言われた案件が、ふたを開けたら代襲相続で10人以上の相続人が登場したときには、心の中でそっと叫びました。「なにが“だけ”だ」と。

「すぐ終わりますよね?」の呪文に怯える

「すぐ終わりますよね?」は、私にとって呪文のようなものです。言われた瞬間、全身に緊張が走ります。そう言われて終わった試しがないからです。しかも、言っている方は善意で言ってるから余計に断りにくい。かといって無理に受ければ、後で自分がしんどくなる。毎回、「はい」と言った自分を反省しつつ、なんとか乗り切るのが精いっぱいです。

パニックは声に出さずに顔で耐える

「静かにパニック」という言葉がぴったりなのは、実際には声も荒げず、誰にも当たらず、ただ表情を固めたまま事態を収めようとするからです。机の下でこっそり深呼吸しながら、「これが今日もか」と自分に言い聞かせる。まるで満塁のピンチでマウンドに立たされているような感覚。それでも試合は続く、仕事も終わらない。それが日常です。

登記完了通知より先にやってくる虚無

登記が完了して、お客さんにも報告を済ませ、ようやく一段落。「これで今日は終わりだ」と思った瞬間にやってくるのが、謎の虚無感です。忙しさの中にいたときは、早く終わってほしいと願っていたはずなのに、いざ終わると「なんだったんだ、今日一日…」と燃え尽きたような気持ちになるのです。

「終わった感」よりも「終わってしまった感」

何か大きな案件が終わると、「終わったー!」と叫びたい気持ちもありますが、それよりも「終わっちゃったか…」という虚無が強いです。特に何日も取り組んだ案件だと、達成感よりも、ぽっかり空いた時間の方が怖く感じることがあります。人間って、達成だけでは満たされないんですね。

達成感より疲労感が勝るのはなぜだ

結局のところ、仕事が一つ片付いても、次の案件が頭に浮かぶので、達成感を味わう余裕がないのかもしれません。たとえるなら、マラソンの給水所で水を受け取る間もなく、次の坂道に突入するようなものです。疲れはたまるばかり。なのに、止まると不安になる。そんな日々の繰り返しです。

誰かに愚痴りたいけど誰もいない夜

事務所の電気を消して家に帰ると、シーンとした部屋。テレビをつけても、心は騒がしくなるばかり。誰かに聞いてほしい愚痴は山ほどあるけど、電話をかける相手もいません。同業者のLINEグループに愚痴るのも憚られ、SNSでぼやくと見られてしまう。結局、こうしてブログを書くことでしか気持ちを整理できないのです。

飲み屋で一人しゃべるよりここで書く

以前は近所の居酒屋で店主に話を聞いてもらっていたこともありました。でも、結局話しながら泣きそうになる自分が嫌で、最近はご無沙汰です。こうして文章にする方が、ちょっとだけ冷静になれる。誰かに届くかどうかはわからなくても、自分の気持ちを置いておける場所があることが、今は救いです。

野球部時代の仲間にも言えない弱音

学生時代の友人たちは、家庭を持ち、安定した企業で働いている人も多いです。連絡を取れば、話は聞いてくれるでしょう。でも、彼らには弱音は吐けません。「お前ならできるって思ってたよ」なんて言われた日には、かえって苦しくなります。だから、こうして静かに、自分の言葉で綴る。それが、私の静かにパニックな日常の、ささやかな出口です。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。