SNSを開くたびにしんどくなる僕の話
いつからかSNSを開くのが怖くなった
以前は、昼休みや移動中のちょっとした時間にSNSを開くのが習慣でした。誰かの楽しそうな投稿や、面白い出来事を読むのが癒しでもあったんです。でも、ある時から「開くのがしんどい」と感じるようになりました。特に疲れている時ほど、その感覚は強くなる。誰かの何気ない日常や成功の報告を見るたびに、自分の生活の地味さや成果の少なさに気づかされる。そんなの比較する必要もないって頭ではわかっているのに、心がそうはいかないんですよね。
情報の海に溺れていく感覚
SNSのタイムラインって、際限なく流れてくるんですよね。ちょっと覗くつもりが、気づけば30分、1時間と経ってしまっていることもあります。しかも、そのほとんどが他人のキラキラした部分だけを切り取ったものばかり。それをずっと見ていると、「なんで自分はこんなに冴えないんだろう」っていう気持ちになってしまう。溺れているのに泳ぎ続けてしまう、そんな感覚です。
他人の成功が自分の欠点に見えてくる
たとえば、同業者が「本日3件目の決済が無事完了」とか投稿しているのを見ると、素直に「すごいな」と思う反面、自分の今の仕事量や成果と比べてしまう自分がいる。「あの人は人望があるからな」とか、「営業が上手いから紹介も多いんだろう」とか、どんどんネガティブな考えが浮かんできます。自分でも嫌になるんですよ、そんな風に考えてしまうのが。
「自分も頑張らなきゃ」と無理に思わされる日々
問題なのは、その比較から「自分ももっと頑張らなきゃ」と無理に思ってしまうこと。無理な営業、無理な予定の詰め込み…。疲れ果てて夜には何も残らない。SNSを見るたびに焦りと空虚感が強くなって、それでも手が勝手にアプリを開いてしまう。中毒とまでは言わないけど、確実に精神にはよくなかったと思います。
司法書士のくせにこんなに心が揺れるとは
自分で言うのもなんですが、司法書士ってある程度「堅実」で「冷静」なイメージがあるじゃないですか。でも実際のところ、僕なんてしょっちゅう感情が揺れます。感情を抑えようとすればするほど、SNSみたいな場で小さな波が積もり積もってしまう。そしてある日、突然ドッとくる。「なんでこんなに心が疲れてるんだ?」って。
元野球部のメンタルでも折れるときは折れる
学生時代は、炎天下でも声を出してバットを振っていたし、理不尽な監督にも食らいついていたタイプでした。でも、大人になってからの「静かなストレス」って、じわじわ効いてくるんですよね。SNSからくるプレッシャーや比較なんて、若い頃は一笑に付していたかもしれない。でも今は、そう簡単に流せない。日々積み重なって、折れる瞬間がある。
地元密着型事務所の見えない競争
地方で事務所をやっていると、同じ市内、同じ業界での「誰がどれだけやってるか」が可視化されやすい。SNSで繋がっているから余計に。「あっちの事務所は○○の登記をたくさんやってるな」とか、「この先生はYouTubeまで始めたのか」なんて。知らなきゃ気にならなかったのに、見えるから余計に苦しい。競争してるつもりはなくても、見せつけられると勝手に自分の足元が揺らいでしまう。
「頑張ってるアピール」が胸に刺さる理由
これは本当にひねくれた感情なんですが、SNSでの「頑張ってます」投稿が、時に胸に刺さるんですよ。自分でもうすうす感じてる「もっと頑張れよ」っていう内なる声が、外から突きつけられてるような気がして。「誰もお前のこと責めてないよ」って思いたいけど、自分で自分を追い込んでる。これが一番苦しい。
本当は自分も認められたいだけなのに
結局のところ、僕も誰かに「頑張ってるね」と言われたいんだと思います。でも、それを素直に求められない性格なんですよね。SNSに載せるほどの華やかな実績もないし、載せたところで「いいね」が少なかったらそれはそれで傷つく。認められたいけど、失望したくない。だから黙ってる。結果、誰にも届かない努力になってしまう。
事務員の投稿にすら焦る自分がいた
うちの事務員さんがたまにプライベートな投稿をしてるんですが、それすらも「ああ、ちゃんと充実してるんだな」と思ってしまうことがありました。別に張り合う必要なんてないし、そんなつもりもないのに、なぜか自分と比べてしまう。投稿一つにざわつくような心の余裕のなさに、さすがに自分でも情けなくなりました。
SNSを見ない選択肢は本当にあるのか
何度もSNSをやめようと思ったことがあります。でも、情報収集にも使っているし、仕事上のつながりもあって、なかなか踏み切れない。完全にやめることが正解なのかも分からない。じゃあ、どうやって自分を守っていけばいいのか。それを考えるようになりました。
アカウントを消す勇気がないのはなぜか
僕がSNSをやめきれないのは、「つながりが切れる」ことへの恐怖なんだと思います。独身で、人との交流も限られている中で、SNSは数少ない外界との接点。やめてしまったら、何もかもから取り残されるような気がして。だったら続けた方がまだマシだと、つい使い続けてしまう。まさに悪循環です。
仕事の広報ツールとしてのジレンマ
司法書士という仕事は、知ってもらわないと始まらない。だからSNSで事務所のことを発信するのも大事だと頭ではわかっています。でも、それをやることで自分のメンタルが削れていたら、本末転倒ですよね。「集客」か「自分の心」か、そのジレンマにいつも揺れています。
救いになったのはリアルの小さなつながり
SNSに疲れて、本当に限界だったとき、救ってくれたのは画面越しの言葉ではなく、リアルでの小さなやりとりでした。たとえば、依頼者さんが「ほんとに助かりました」と笑顔で帰ってくれた日。そんな一言のほうが、何百の「いいね」よりも心に残る。それを忘れていた自分に気づかされました。
事務所に訪れるお客さんの言葉の重み
先日、相続の手続きを終えたご家族から「先生に頼んで良かったです」と言っていただきました。SNSでは何も共有しなかったけど、自分の中では一生残る出来事でした。数字や反応では測れない、こういう一つひとつが、本当に大事なんだと再認識しました。
いいねよりもあたたかいありがとう
SNSでの反応は一瞬です。でも、面と向かってもらえる「ありがとう」は、じんわりと沁みてくる。表面的な承認よりも、深く残る感謝のほうが、僕には必要だったのかもしれません。そう思ってから、少しだけSNSとの距離を取れるようになりました。
友達のいない休日でも救われた瞬間
正直に言うと、友達と呼べるような人はほとんどいません。休日は一人で家にいて、スマホを見て落ち込むことも多い。でも、お客さんからの感謝の言葉や、事務員さんとのちょっとした会話が、心を温めてくれる。そんな日常の中にこそ、救いがあると気づきました。
独身司法書士がたどり着いた小さな結論
SNSを完全にやめることはできなかったけど、少しずつ付き合い方を変えることはできました。見ない時間を作ったり、投稿を絞ったりするだけでも、心が軽くなる。競争しない、比べない、焦らない。それができた日は、不思議と仕事も落ち着いて回るんです。
SNSに疲れたら距離を置いてもいい
無理に頑張らなくていい。誰かの輝きに自分を照らし合わせて落ち込むくらいなら、一度画面から目を離してみるのもありです。心の健康って、思ってる以上に大事だと思います。自分を守れるのは、やっぱり自分しかいません。
見えない誰かと比べるのをやめる練習
SNSの向こうにいる人は、ほんの一部の側面しか見せていない。そのことを忘れずに、自分自身の価値をもう一度見直す練習をしています。「今ここでちゃんと頑張ってる自分」を、もっと大事にしてあげたいと思っています。