登記を一つ間違えただけで全部終わると思った日

登記を一つ間違えただけで全部終わると思った日

登記ミスに気づいた瞬間の冷や汗

登記なんて、間違えるわけない。そう思っていたのは、ほんの数年前までの話。司法書士という職業柄、正確さが命。毎日のように目を皿のようにして書類と向き合い、念には念を入れて確認しているつもりだった。それでも、ある日ふとしたタイミングで気づいてしまった。たった一文字のミスで、案件そのものの信頼性が揺らぐような、致命的な間違いを。体の芯が冷えていく感覚。背中を伝う汗。時計の針が止まったような、あの瞬間の恐怖は今でも忘れられない。

たった一文字が生んだ地獄の始まり

それは「所有権移転登記」の依頼だった。書類の中にある被相続人の住所表記に、わずか一文字の誤記。気づいたのは提出直前、念のための再確認でのことだった。これがなければ、完全にそのまま出していた。訂正すれば済む話かもしれない。しかし「もしこのまま登記されていたら?」という想像が頭の中をグルグル回り始める。依頼人の信頼を裏切ることになっていたかもしれない。責任の重さに足がすくむ思いだった。

自分の確認不足か事務員の見落としか

事務員のミスかもしれない。でも、最終確認をしたのは自分だ。責任はすべて自分にある。そんな思考が頭の中を占める。事務員も焦っていたし、自分も他の案件で追い詰められていた。正直、余裕なんてなかった。ミスを咎める気持ちは一切なく、むしろ一緒に背負ってしまうことに慣れすぎてしまっているのかもしれない。それでも、どこかに「もっとちゃんと見ていれば」と自分を責める気持ちが拭えない。

夜中に何度も起きては書類を見直す日々

それ以来、寝つきが悪くなった。夜中に何度も目が覚めるたびに、「あの件、やっぱり間違ってなかったか?」と心配になってしまう。枕元に置いた書類を手に取り、電気スタンドの光で何度も確認する。まるで強迫観念だ。睡眠時間が削れていくたびに、疲労が蓄積し、余計にミスを誘発するようになる。悪循環とはこのことだろう。ミスの恐怖が、生活すら壊しかけている実感があった。

クライアントへの報告が胃にくる

「今回、軽微な修正がありました」…この一言を伝えるまでに、どれだけの言い回しを頭の中でシミュレーションしたことか。どう伝えれば安心してもらえるのか、怒られずに済むのか、信用を失わないのか。胃がキリキリと痛む感覚に耐えながら、電話を握る手が汗ばむ。言い訳は通用しない。プロとして当然のことができなかった、という現実を突きつけられる瞬間だった。

何をどう伝えたらいいのかわからなくなる

口に出そうとしても、うまく言葉が出てこない。真面目な依頼人ほど、こちらの些細な言動にも敏感だ。「大丈夫です」と言いながら、どこかに動揺が見えてしまえば、それだけで不安を招く。謝罪と説明、そのバランスを間違えると、信頼を一気に失う。言葉の選び方一つで、長年積み上げてきた関係すら崩れる可能性がある。毎回その緊張感と戦っている。

信頼を失うかもしれない恐怖と向き合って

信頼というのは、本当に儚い。こちらが必死にやってきたことでも、一つのミスで「信用できない人」と思われてしまうことがある。誰かがミスをした話を聞けば「自分なら」と思っていた。でも今は違う。自分もまた、簡単にそう見られる側なのだ。誤解を恐れず言えば、誠実さだけでは通用しない局面がある。結果でしか評価されない現実は、司法書士という職業の厳しさを物語っている。

登記ミスのリスクはどこにでも転がっている

どれだけ気をつけても、完璧ということはない。登記実務には複雑な要素が多く、ほんの些細な表記や番号の違いが、大きなトラブルにつながることがある。入力ミス、転記ミス、解釈の違い。どれも起こり得る。そして、起きたときの代償がとにかく重い。登記というものが、どれほど繊細なバランスの上に成り立っているかを、日々痛感させられている。

ケアレスミスが許されないこの仕事

誰にでもミスはある。そんな言葉は、司法書士には通じない。ケアレスミス一つで、不動産取引が止まることもある。依頼人だけでなく、関係者全体に迷惑をかけるリスクがある。たとえば登記識別情報の紛失。単なる印刷ミスが、後々に大きな波紋を呼ぶこともある。どれだけ小さな作業であっても、集中力を切らさないようにという自戒を、常に持ち続けるしかない。

複雑化する案件と疲弊する脳みそ

昔と比べて、案件の内容はどんどん複雑になっている。共有持分、法人名義、相続が絡む物件…。調査に時間がかかるし、資料の読み込みも神経を使う。結果的に一つひとつの作業に倍以上のエネルギーが必要になっている。集中力も限界がある。パソコンと書類に向き合いながら、夕方にはもう脳が溶けるような感覚になる。なのに、仕事は減らない。

登記申請のプレッシャーと孤独

申請のボタンを押す瞬間。正直、毎回怖い。提出後に補正がくると、またすべてを見直さなければいけない。「大丈夫」と自分に言い聞かせても、どこかで不安がつきまとう。一人で仕事をしていると、そのプレッシャーを共有する相手がいない。事務員には責任を負わせたくないし、誰にも頼れないという孤独が、心に重くのしかかってくる。

補正で済めば御の字という世界

補正指示が来たとき、ホッとする反面、「ああやっぱりか…」と自分にがっかりする。致命的なミスでなく、訂正が可能なものである限り、まだ救われる。でも、そのたびに「自分はプロとしてどうなんだ」と問われているような気持ちになる。補正で済んだのに、気持ちは沈んでいく。いつも心のどこかに、自己否定と不安が渦巻いている。

実務と法解釈の板挟み

登記の世界では、実務と法の間に微妙なズレがあることが多い。「現場ではこうしているけど、法律上は…」というケースは珍しくない。その中でどちらを優先するか、自分で判断しなければならない場面も多く、その判断がまた重い。判断を誤れば、結果的に補正や却下に至る。判断力と責任感のはざまで、胃が痛くなる日々は続いていく。

裁判所の一言に振り回される毎日

法務局や裁判所の解釈一つで、対応がガラッと変わる。こちらが「これで通る」と思っていた内容も、「再提出」「理由書を添付せよ」と返ってくることがある。やり直しがきくとはいえ、時間も手間も削られる。それ以上に、精神的なダメージが大きい。信じていたルールが突然ひっくり返されるような感覚は、慣れたと思ってもつらいものだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。