忙しさに身を預けてしまう癖について
気づけば、予定表は真っ黒。空白があると落ち着かない。そういう自分の癖に、最近ようやく気づきました。朝から夕方まで登記、夜は相談対応、週末は資料整理と、仕事を詰め込んでいると「余計なこと」を考えなくて済む。…本当にそうなんでしょうか。正直、机に向かっているときの方が心が安らいでいるような気さえして、「これって逃げてるんじゃないか」と思う瞬間があります。
手を動かしていれば余計なことを考えずに済む
ある日、朝から申請書を何件も作っていたときのこと。集中しすぎて、気づけば昼食も忘れていました。そのときふと、「この静けさが心地いい」と感じたんです。誰とも話さず、誰にも邪魔されず、ただ書類と向き合っている時間。それはまるで、バッターボックスに立っているときのように、周りの音がすべて消えて、自分とボールだけの世界に入り込む感覚。けれど、バットを置いたとき、現実が一気に押し寄せてきたあの感覚と似ています。
ふと立ち止まると押し寄せてくる不安
夜、ふと手を止めて湯船に浸かったとき、急に胸がざわつく。書類のことでもお客さんのことでもなく、「この生活、ずっと続けてて大丈夫か?」という不安。誰とも深く関わらず、気を使わずに済む仕事にどっぷりと浸かって、結果的に人と距離を取っているのかもしれない。野球部時代は、仲間と泥だらけになって一緒に笑っていたのに、今は誰とも目を合わせて笑っていない自分がいる。
仕事中毒という言葉では片付けられない感情
「仕事に夢中なんですね」と言われたことがあります。でも正直、夢中というより「逃げ場を仕事にしてる」だけなんです。夢中になれているわけじゃない。ただ、孤独や将来の不安と向き合うのが怖くて、仕事という名の盾を振り回しているだけ。それが“中毒”だと言うなら、そうかもしれないけど、本当はもっとシンプルで、「ただ、寂しいだけ」なんですよね。
自分で自分を追い詰めている気がする日
毎日忙しく働いていると、「これは自分で選んだことだから」と自分に言い聞かせがちです。でも、その選択肢を減らしているのは、実は自分自身なのかもしれないと感じることがあります。ひとりで事務所を構え、すべてを抱えているのは、ある意味“安心するため”の行動。けれど、それが逆に自分の首を絞めているのかもしれません。
休むことに罪悪感を抱いてしまう心理
以前、半日だけ休みを取ったときがありました。コーヒー片手にベンチに座っていたのですが、なぜかそわそわして落ち着かない。「この時間にあの書類を片付けられたのに」と頭の中で計算が始まるんです。子どもの頃、サボった練習の翌日、監督に叱られるのが怖くて走り込んでいた自分が、いまだに中にいるような気がします。
一人事務所ゆえのプレッシャーと焦り
事務員は一人。つまり、ほとんどの業務は自分一人の肩にかかってきます。ミスは許されない、遅れも許されない。誰も尻ぬぐいをしてくれないから、気が休まる時間がない。クライアントの信頼がすべてなだけに、少しのミスが信頼失墜に繋がる。そう思うと、どんどん神経質になってしまう自分がいて、ますます「休む」ことが怖くなるのです。
人と比べても仕方ないとわかってはいるけど
SNSで同業者の投稿を見ると、「あの人、案件も多くて人生も楽しんでるな」とつい比べてしまう。そういうとき、自分がどれだけ仕事に逃げてきたかを痛感します。別に勝ち負けじゃないとわかっていても、心のどこかで負けている気がしてしまう。比べてもしんどいだけだとわかっていても、やっぱり見てしまう。そのループから抜け出すのが難しい。
逃げているのか踏ん張っているのかの境界線
「頑張ってますね」と言われるたびに、「本当にそうなのか?」と心の中で自問しています。これは努力なのか、それとも逃避なのか。自分の中でもその境界線があいまいになってきていて、ときどき立ち止まって考えることがあります。でも答えはいつも出ないまま、また机に向かってしまうのです。
やりがいと依存は紙一重
「ありがとう」と言われると救われるし、登記が無事に通ると達成感もあります。でも、もしかしたらその感情を得るために、仕事に依存しているだけなのかもしれません。仕事で得られる肯定感を、自分のすべてにしてしまっている。そう気づいたとき、「もっと他の自分の価値を見つけないと」と思うのに、またその翌日も変わらず朝から仕事に向かってしまうんです。
自分の感情にフタをするプロ意識
司法書士という仕事柄、感情を抑えて冷静に対処する場面が多い。でも、それが習慣になると、自分自身の感情すら抑え込んでしまうことがある。泣きたくても泣けない、弱音を吐きたくても吐けない。そんなプロ意識が、逆に自分を感情のない機械のようにしてしまっている気がします。感情のフタを閉めたまま何年も過ごしてきたツケが、今じわじわときています。
それでも人として壊れたら意味がない
どれだけ仕事を完璧にこなしても、心が壊れてしまったら意味がない。それは頭ではわかっているのに、行動が伴わない。頑丈そうに見える橋も、実は内部がボロボロだったりするように、見た目だけではわからないひずみが自分の中にもある。自分の声に耳を澄ませること、それをサボってきた分、これからは少しずつでも自分を大事にしていきたいと思っています。
少し立ち止まって深呼吸する勇気
ほんの少し立ち止まるだけで、見える景色が変わることもあります。深呼吸して、今日一日をただ終えるのではなく、「どうだった?」と自分に問いかけてみる。そんな時間を持つことも、仕事のうちなのかもしれません。逃げでも戦いでもない、もう少しやさしい働き方。そんなものを目指してもいいんじゃないかと、眠れない夜に思ったりします。
忙しさの中でも自分の気持ちに耳を傾ける
一日中バタバタしていても、5分だけでも目を閉じて自分の気持ちを感じる時間をつくる。たったそれだけで、思ったより心は変わるものです。スマホの通知を切って、誰にも見られないところでため息をついてもいい。そんな“自分だけの逃げ場”を作ることも、仕事に飲まれないために必要なのだと思います。
話せる相手がいるだけで少し軽くなる
本音を吐ける人がいるかいないかで、心の重さは全然違います。事務員との何気ない雑談が、思った以上に救いになっていることもありますし、同業者と飲みに行って「俺も最近つらくてさ」と言い合えるだけで気が楽になる。一人で抱えないこと、それは甘えではなく、自分を壊さないための知恵なのかもしれません。
逃げでも戦いでもない第三の道
仕事に“逃げる”ことが悪いわけではない。でも、それを自覚しないまま続けていると、いつか心が折れてしまう。「逃げてるかも」と思ったその瞬間こそが、見直すタイミング。休むことも、立ち止まることも、戦うことも、全部選べる自分でいたい。誰かに褒められなくても、自分で自分を認めてあげる。それが、眠れない夜に出した、ひとつの答えです。